原発事故で仮設住宅に避難している人達を、「笑ってばかりいる」と非難する人たちがいる。たしかに、時々取材に訪れるテレビのインタビューに「怒ったってしょうがないさ」と笑い飛ばしている人を見る。
「諦めの延長線上にある笑」。笑うことでしか表現出来ない苦しみと悲しみ。
福島だけではない。岩手や宮城の仮設でもそうだ。
その目が心底笑っているのか・・・。評するひとはそこを見てほしい。
夜、テレビの日常。お笑いタレントを使った愚にもつかないお笑い番組。乾いた笑・・・そして、なんでも手ばたき(方言、拍手や手を叩くこと)。
その笑に同化しているのだろうか。していないと思う。他人の前でだけ見せる笑顔。他人の気持ちをおもんぱかっての笑顔。東北人の“特性”だ。
三輪明宏が大ヒットさせた「ヨウトマケの歌」。ヨイトマケ・・・。学生時代、漠然とながらその歌の意味を理解し、口ずさんでいた。
男に交じって綱を引く。朝から晩まで。その歌を歌いながら、掛け声代わりに。
彼女たちは、即興で、アドリブで歌詞を作る。それも仲間の笑いを誘うような。
「冗談を言って笑うことで辛さを吹き飛ばす」のだそうだ。
笑は辛さ、悲しみ、苦しさの裏返し。
福島県の桑折町の仮設で、東北の写真家が集まって「笑顔の写真」というプロジェクトが行われた。
笑わないお年寄りたちに、さまざま声をかけてカメラの前で笑ってもらう。
こわばっていた顔がだんだんほころんでくる。
うっすら塗られたメーク。
妻の肩にそっと手を添える夫もいた。結婚式以来のツーショット。
カメラマンは必死に笑顔を引き出そうと声をかけ、何十回もシャッターを切る。
飛び切りの笑顔の写真が出来る。友達同士でそれを見た笑い転げる。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ。こんなに綺麗に撮ってもらってありがとう」。
「これで元気が出ましたよ」。涙ながらに見える明るい表情。
笑うことで辛さを吹き飛ばす。
去年の紅白歌合戦で“復権”したヨイトマケの歌。一時期、それは放送禁止措置となっていた歌だった。
社会の底辺で暮らす、生きる人たちの歌を「禁止」する。権力は。禁止してもそれは、その歌は多くの人の耳に残っている・・・。生き続けている。
「はだしのゲン」の閲覧制限。それをめぐる閣僚の発言を聞いていると、あきらかに今の政権の“意図”を感じる。
なぜ、今、いやそれは去年の12月のことだったが。
なぜ、いま、この時期に・・・。はだしのゲンが雑誌に連載され始めたのは、1970年代。漫画誌では連載が止められ、赤旗で取り上げられ・・・。
紆余曲折はあったものの、語り継がれてきた物語だ。
歌手の藤圭子が亡くなった。「圭子の夢は夜ひらく」。いろんな歌手が歌っていた。
その歌を五木寛之は「怨歌」と名付け、社会の底辺に巣くう人たちの「ルサンチマン」だと語った。
ルサンチマン、ニーチェの用語。弱者の、強者に対する憎悪と鬱積された復讐心。
塾でやっている「東北学」。その中で、歴史も絡めながら、東北の中央に対するルサンチマンについて我流で話した。
「夢は夜開く」。青森県の片田舎出身の三上寛はその替え歌を作って歌った。
特別過激な歌詞ではない。貧しさを自嘲するかのような歌詞。夢は夜開くを歌っても、開く夢などあるじゃなし、まして夜などくるじゃなし。
歌詞の最後。
この歌も放送禁止措置が取られた。
あらためて思う。三上寛の歌詞には、東北人のルサンチマンが込められていたことに。
ルサンチマンを笑顔で隠す東北人・・・。