2013年8月15日木曜日

歸國(きこく)

東日本大震災前の2010年の8月に放送された倉本聰のドラマ「歸國」。

敗戦から60年余り。ある日忽然と東京駅に軍用列車が到着し、そこから英霊たちが降りてくる。一夜、思い思いの地に行ってきていい。故郷であれ、どこであれ。

英霊たちは今の日本の姿を見る。亡霊となって。

まさに柳田邦男の遠野物語と同じ世界。英霊たちの“過去との遭遇”。
さまざまな遭遇。年月の経過・・・。どこにも彼らの居場所は無かった。

再び東京駅に集結した英霊たちに指揮官は言う。
「おれたちはこんな日本のために命を捧げたのではない」と。再び軍用列車に乗り込み去っていく・・・。

なぜドラマのタイトルは「帰国」ではなく「歸國」という字なのか。彼らが出征していったのは日本國であり、帰るのは、習い覚えた「歸」という字でなくてはならなかった。彼らは帰国という字は知らない字だったのだ。

帰国と歸國。タイトルの二文字が過ぎ去った「時」を如実に示している。

お盆の最中の8月15日正午。68年前を思い頭を垂れる。黙とうする。

異国の地で果てた英霊や多くの民間人、軍属。彼らは歸國しているのだろうか。歸國したのだろうか。迎え入れられたのだろうか・・・。

あのドラマの登場者は、あれから3年後のこの国をあらためてどう見ているのだろうか・・・。

日本の無条件降伏を求めたポツダム宣言は1945年7月26日に発せられ、日本は多大な犠牲を蒙ったあと、8月14日にそれを受諾した。昭和天皇の「英断」と聞く。

2011年12月。原発事故に関して宣言が出された。「収束宣言」。その宣言を、福島の人間は誰も受け入れていない。受け入れる側が無ければ“原発事故”という、原発との「戦争」は終わらない。

その収束宣言を受諾出来るのは、完全廃炉になってからだ。気が遠くなるくらいの長い戦争は続く。

汚染水の問題は解決の目途が立たない。作業はそれに集中せざるをえない。
汚染水を溜めるタンクの増設はさながらトーチカの構築のようでもあり、井戸の掘削は、退避壕を作るのにも似て。

防護服に身を包んだ作業員は兵士か。敗戦を覚悟しながらも戦い続けた日本軍の姿になぞらえるのは無礼か。作業員たちも思っているのかもしれない。
無駄な努力をしているのではないか、場当たり的な作戦ではないのかと。

國がそうであったように、国も“兵士”を“消耗品”としか見ていないのか。

そして「帰る」国を失った15万人の人々。15万人の人たちはどこに「帰還」すればいいのか。そこは故郷であって故郷ではないような、家があっても村や町があても、そこにあるのは・・・。

終戦の日、二つの「戦争」が重なる。二つの戦争を体験した人も高齢者という名で括られたまま、いる。

広島の原爆ドームには、その碑にはこう書かれている。過ちは繰り返しませんから。

福島の地に、そんな碑が作られることはあるのか。

他人事としての「福島」、責任の所在をないがしろにされたままの「福島」。

当時の首相は責任に関して告発されても、出頭を拒否している。今の首相は、福島の再来という可能性が排除されないにも関わらず、“偽りの大国”を誇示しようとしているような。

戦争のあと、平和ボケの国民が生まれた。核エネルギーに敗れたにもかかわらず、この国の空気は、またも平和ボケを希求しているような。

「國」であっても「国」であっても、“指導者“たちは歴史も経験もわきまえず、常に過ちを犯しているように思えてくる68回目の8月15日。


“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...