2013年1月24日木曜日

「個人的に」という二枚舌、そしてマスコミの驕り

きょうもNHKの東北ローカル、「被災地から声」を見た。きょうは相馬。
津田キャスターは言っていた。もう二年、既成の法律で対処するのはおかしいと。そして仮設に暮らす年配の女性。何年ぶりかの大雪。その「雪かたし」をしながら。「下着4枚も着てるんだよ。ブクブクだ。どうせ来るなら暖かい時に来てよ」。

重ねて言う。なんでこの番組が全国ネットにされないのだと。被災地で「キズ」を舐め合っていてもダメなんだ。やはりNHKの限界なのだなと。NHKの全国ニュースを見ているとつくづく思う。この番組は支持する、NHK全体は支持できないものが多い。もちろん時々は「良質」な番組をやっているけれど。それは認めるけれど。

昨夜の報道ステーション。古館の言い草。日揮の事件のこと。
「ご遺族は実名を伏せての報道を希望しましたが、私どもは事件の重大さ、また、亡くなった方の名誉のために実名で報道させていただきます」。
名誉とは何なのだろう。そして、この私どもって誰なのだ。古館個人か、制作会社の古館プロジェクトか、報道ステーションのプロデューサー含めたスタッフか、テレビ朝日という会社の見解か。

3・11以降、「振りをする」古館に嫌気がさしていた。安倍の単独出演。ただひたすら「ご意見拝聴」の体だった。

日揮事件の名前を報道するかどうかについて、意見、見解が割れている。マスコミに所属する人は、大方クレジットを付けてネットで言う。「個人的見解ですが」って。いわば「逃げ」を打っている。政治家にしても然り。「個人的」をよく使う。
人の意見や見解に二通りがあるのか。個人的とそうでないものと。おかしい。ところ変わればなんとやらってことか。「野党の時代はそう言いましたが、今は内閣総理大臣です。そのことについては・・・」。それを二枚舌という。

マスコミは、肩書で勝負している。肩書を持っている以上、組織に属している以上、二枚舌は許されない。政治家とて同じ。

二枚舌が許されている以上、どこにも本音が無い、本音がわからない以上、その言辞の中で翻弄される民草はいかにすべきなのか。

朝日新聞の「約束やぶり」に象徴されるように、朝日に抗議の申し入れ書を出した人が、本当に被害者の家族なら、朝日はそれに応える義務がある。
それすらしないで、また、「名誉」なんて言葉を大上段に掲げて物を言う輩に、「語って」欲しくない。

社内に番組審議会と言うのがある。そこで「有識者」と言われる人達はこのことについて論議すべきだ。
新聞・テレビ・ラジオが加盟している「マスコミ論理懇談会」と言うのがある。このことについて真摯に、真剣に論議すべきだと思う。出された結論が市民感情と乖離していたら、それはそれ。

「知る権利」という主張はさすが言いだしてはいないようだが、「知る」ということがはたして権利なんだろうか。それは国家権力が「隠し事」をしている時のためにある言葉だと思うのだが。

双葉町の井戸川町長が辞任した。きょうは町議選が告示された。たぶん無投票、現職再選。
井戸川町長の不信任の理由にこうあった。「独断専行」と。へ理屈のようだが、独断専行ということは「二枚舌を使っていなかった」ということにもなる。
少なくとも彼は東電や政府に対して、双葉郡のどこの首長よりも抵抗していた。

双葉郡は政府の「二枚舌」に翻弄されてきた。双葉町はそのリーダーとしてどんな人を選ぼうとするのか。

双葉町民も福島県民である。その町で起きていることに対して知事の反応は余りにも“他人事”のように聞こえる。

県紙2紙。双葉町のことについてもっと迫るべきかと。そして、町民は、こういう時だからこそ「実名」で語るべきかと。もうここまで来てしまっているんだ。恐れるもなは何もないと開き直って。

もう「内輪の本音」と「外向けの建前」の二枚舌はいらない。

とにかく、遺族の感情とは別に亡くなった人の名前は、すでにして、全部明らかにされてしまったということ。それによる、想像される「報道被害」の責任は誰がとるのかと言うこと。書き放なし、送り放なしで、多分、「そういえばこういうこともありましたね」で終わりにされるのだろうな。原発事故にしても、やがて・・・。

2013年1月23日水曜日

日揮の「氏名公表」について再び

ボクがまだ駆け出しの頃、入社して間もない頃、埼玉県の狭山で、女子高校生の誘拐殺人事件があった。被害者の名前は中田善枝ちゃんという。当時16歳。
連日、狭山に通った。被害者宅にも何回も伺った。上がり込んで話をするようになった。上げてくれた。まだ行方不明だった時。
やがて遺体が発見された。その現場に居た。すぐ中田家に行った。警察からは知らせが無いという。その「死」を最初に伝えたのは取材者としてのボクだった。
デンスケという録音機のマイクを向けてしまった。家族の声が欲しいと。父親に言われた。「それに何の意味があるのだと」。咄嗟に“嘘”をついた。「いえ、このような事件を無くすためにも」と言ったような。デスクに「声をとってこい」と厳命されているとは言えずに。父親は言った。
「瀬川さん、あなたは私たちによくしてくれた。知らせてもくれた。だから一言だけは喋る。でも、こういうことはやめた方がいい」と。

ボクはそのテープをデスクに渡さなかった。渡せなかった。そして、今でも中田善枝という名前を記憶しているし、見せて貰った写真の笑顔をうっすらと覚えている。

この事件がその犯人とされた男の出自をめぐる、そう、被災別部落出身ということでの冤罪事件に発展していった。事件のマスコミにおける呼び名も「善枝ちゃん誘拐殺人事件」から「狭山事件」と変わっていった。

テレビにワイドショーという物が存在せず、いわゆるメディアスクラムなんていうことも無い時代だったが。

その頃、吉展ちゃん事件というのがあった。上野の時計店の子供が誘拐され殺された事件。その犯人は小原保という。福島県石川町の出身。死刑囚とされた彼は獄中で短歌の道に目覚め、ペンネームを福島誠一として、歌を次々に詠んでいった。処刑のその朝まで。歌人福島誠一のドキュメンタリー番組を作りたいと思った。福島に来てから。石川町に通い、その親戚筋の人を探し、話をしたいと申し込んだ。断られた。私たちは「隠れるように密かに生きているのです」と。

アルジェリアの日揮社員が殺害されて事件。
新聞を見て驚いた。内閣記者会、つまり官邸の記者クラブが氏名の公表を安倍と菅に求めたという。
「国民の関心は非常に高く、政府が公的に全面的に救出や情報収集に関与しているから、最も基礎的な情報として氏名と年齢の公表を求める」といった申入書。

国民の関心、それは「お前たちの関心だろう」。もし、あの懐かしい記者クラブのまだ居て、クラブ総会でそんな取り決め、申し入れをすると言われたら、ボクは断固反対と手を上げたはずだ。

氏名公表に何の意味が、意義があるのだ。公表することは悼むことになると言った新聞記者がいる。
じゃ問う。あなたはその名前を終生忘れませんか。悼み続けますか。

元産経新聞記者だと言う人がネットに書いている。
「私は“Aさん”のままでは死にたくない」と。15年にわたる社会部記者の体験を披歴しながら。
あなたの記者経験は、単なる思い上がりの、勘違いの経験でしかなにのだよ。
あなたは“Aさん”のままでは死なない。あなたが死ねば、産経新聞の訃報欄には載る。
家族は関係者に知らせる。それでいいではないか。死んでまで己を誇示したいのか。

朝日新聞が、“遺族”を探し当て、遺族は匿名を前提として、インタビューに応じた。それを朝日は破った、約束を。といわれる。その記事は東京の最終版などには載ったかもしれないが、福島に来る朝日にはその記事は無かった。

昨夜NHKニュース。被害者の一人が南三陸の被災者であり、母親一人が残され仮設で暮らしている。そのインタビューが、母親だけでなく、友人までもが。近く同窓会があるはずだったことも含めて。

そして今日、その事が各民放にも伝播している。

メディアはそれの公表を求め、それが公表される事が何に意味をも持たないにも関わらず、いっときの「異郷に散った国民的英雄」として祀り上げたいのか。

犯罪を犯した“犯人”の氏名公表や、不祥事を起こした企業名の公表とはわけが違う。

伝えることの意味。

仮にそれを知ったからと言って「伝えない勇気」というものがあって然るべき。だからマスコミの“傲慢さ”がにじみ出る。

福島県から他県や都会に避難しているひとが数多くいる。避難を余儀なくされて人も、自主避難した人も。避難者であることを明言し、その地で反原発の声を上げている人もいる。かたや、福島県であることをひたすら隠す人もいる。
それは、差別に会うことも含めて、「公表」されることで被る“あらゆる被害”から逃れたいからだ。

もし日揮の被害者が帰国し、それこそ合同葬、社葬でもやろうものなら、そこにメディアは殺到するだろう。そこに列席した人を捕まえて、「今のお気持ちは」とやるだろう。それもまた「知る権利」の一つなのだろうか・・・。

2013年1月22日火曜日

さまざまな「死」

アルジェリアの事件、やはり7人の日揮関係者が亡くなっていた。3人がまだ不明だという。

きのう書いたこのブログを見て、弟が便りをくれた。やはり酒を酌み交わした仲だったらしい。短い文章に込められて彼の無念さを思う。
彼は言う。酔えない酒を毎晩飲むことになるという悲しみ。と。

日揮は亡くなった社員の氏名を公表しないという。政府もそれを尊重すという。
しかし、この国のメディアは執拗に公表を迫り、探り当て、遺族にインタビューを試みる。

その事に何の意味があるのか。やがて帰国するその人達の葬儀の場に行って、何かを聞き出そうとする。それを伝えることに何の意義があるのか。

人の死が、単なる興味の対象でしかないと、ネタとして消費されるものでしかない「死」に対して無感覚になっている“職業病”と。

氏名を公表することが追悼になる。そんなことを公言した大手新聞社の幹部もいるらしい。

遠い異郷の地で、不遇な死を遂げねばならなかった人。「整えられない死」、それに対して「畏敬」の念は無いものかと。

あの大震災と津波で、多くの、万を越す「整えられない死者」を見て来た。
その人達には「A」とか「B」とかいう記号では無く、名前があり、人生があった。そこに立ち入った取材もあり報道もあった。

伝えるべき死者の名前と伝えるべきでない名前もある。

今朝、社友会から訃報のメールが届いていた。78歳。よく知っている先輩。こたえる。
なぜか周りに死者が増えているように思えてくる。

映画監督の大島渚さんが逝った。昨夜が通夜、今日が告別式。多くの報道陣が築地本願寺に集結している。参列した“有名人”の次々とインタビューする。多くが真面目に答えている。
そして恐ろしいほどの“愚問”が発せられる。おそらく芸能レポーターという、何も考えていない奴らだろう。「大島監督に、何と言うお別れの言葉をかけられましたか」。

もし、それが仮にボクであったら、即座に言うだろう。「バカ野郎。そんな愚問に応じる必要はない。これは俺と亡くなった人とだけの問題なんだ」と。

人は多かれ少なかれ、それぞれの「死生観」を持っている。もし持っていないのなら、今からでもいい。「死」について考えるべきだと。絶対に訪れる「死」を想うべきだと。

この事は塾でも彼らに問い、語った。生とは何か。死とは何か。それは対極に位置するものか、同居しているものか。循環しているものなのかと。

人の死をもすら考えることが出来なくなっているような今のこの日本。

今朝の新聞に小さく載っていた。赤星建彦さんという人の死が。ミュージックボランティア協会というのを立ち上げ、遺児たちを応援していた人。

そして数日前には101歳の詩人、柴田トヨさん訃報。平易な言葉でものの核心を突いてくる。3・11後に書かれて詩を付す。

<被災地のあなたに>  柴田トヨ
最愛の人を失い
大切なものを流され
あなたの悲しみは
計り知れません
でも 生きていれば
きっと いい事はあります
お願いです
あなたの心だけは
流されないで
不幸の津波には
負けないで

いろいろな人の死が、さまざまな死が重くのしかかってくるような。
あらためて、「メメント・モリ」。

2013年1月21日月曜日

アルジェリアの事件に思うこと

ボクの弟は、つい最近まで日揮に勤めていた。仕事の詳細はしらないが、石油精製プラントに関わる仕事をしてきた。
海外にも何年間も行っていた。南アフリカ、クエート。数年間の単身赴任。

アルジェリアの人質テロ事件、今現地に行っている社長や関係者、記者を相手にしている担当者、彼はよく知っている人達なのだろう。

身柄を拘束されて人や、不明の人も、彼の知り合い、同僚だった人達かもしれない。そして、時期と場所が違っていたら、彼も“当事者”になっていたかもしれない。いや、現役を退いたとしても彼もやはり“当事者”だ。

事件以来、彼に電話するのがためらわれている。何から切り出せばいいのかわからないし、彼のこの事を聞くのは、話すのは、所詮部外者の野次馬のようにも思えるから。
事態の推移をみて、ゆっくり話してみたいと思っているが。

弟が居た会社というだけで日揮には心情として親近感がある。亡くなった人もいるという情報。それが誤報であることを祈りつつ。

あくまでも“部外者”として・・。
事件を伝えるテレビ、新聞。なぜかあの原発事故当時と重なる。中東問題やアルカイダに関する「専門家」という人が出て来てうんちくを語っている。いろんな視点から。もちろん、情報が少ないせいもありにしても、なんとも心もとないし、的が外れているような“解説”ばかりとも。

原発事故に関する専門家はいなかった。あの時は彼らに振りまわされていた。
そして、学者として、中東を知っている人はいても、テロを語れるはずもないのに、それを語る、いや語らせる。

そして政府。まさにあの時と同じだ。申し訳ないが右往左往としか見えない。見えてくるのは、いかに国際情勢に関しての情報収集能力が弱く、頻繁に行われている「会議」がほとんど意味を為していないのではないかということ。

外遊日程を切り上げて帰国し、「陣頭指揮をとる」と言う安倍が、ほとんど外交ルートも持たず、影響力を持たない中で行動している有様は、あの時東電に乗りこんで行った菅を彷彿とさせる。

アルジェリア政府の方針は、人命重視よりもテロの壊滅にあったと言われる。あの石油プラントを維持することを最優先にしたように見える。
紛争を抱え、テロの脅威に対峙している「国家」としては、それも仕方の無いことだというのか。

あの砂漠の中のプラントが何時でも“標的”にされることは、想定内だったはず。しかし、その警備については語られない。阻止出来たはずのテロではなかったのかと素人目には見えるのだが。

テロには屈しない。国家の威信の前では人命は軽いものだたのではないかという素朴な疑問。防ぎうる事件ではなかったのかという疑問。

またもや原発事故当時と重なる。あの官邸内の狼狽ぶり。誰も的確な指示が出せなかったこと。危機管理の専門家は、その管理の無さを糾弾していた。

少なくとも現地の、つまり1Fの状況を現場の状況を把握出来ないまま、東電本店はその施設を「守ろう」としていたこと。海水注水をためらったことを含めて。
行く先も無いままに、とにかく避難しろと住民を放り出したあの指示のように。それがどんな結果を招くかの想像力もないままに。

避難指示は人命尊重だった。ではあるものの、それは「国家の威信」を維持しようと腐心した結果ではなかったのか。

東電本店の指示は、現場の人間を見殺しにさえしかねないようなものでは無かったのか。

「組織」とはあまりにも冷淡なものだ。冷酷なものだ。

そんなこんなの思いが海を渡って感じられる。石油が高度成長や文明を支えているという論議にまではしたくないが。

アルカイダというテロ集団について語れるものでもないが。そんな事が、事半ばであるにも関わらず去来して来て・・・。

2013年1月20日日曜日

「心の豊かさ」って何だろう

あの日以来、多くの人々は、あらためて「物の豊かさ」よりも「心の豊かさ」を求めるべきだと気づき始めた。
いや、その前からも気づいてはいたはず。それが顕在化したということか。

「物の豊かさ」、それは経済成長と表裏一体である。バブルの崩壊、リーマンショック。それらを人は“失われた20年”という。

その“失地”を回復すべく、政治は公共投資や減税などで経済再生を図って来たがいずれも身を結ばなかった。財政出動に期待し、規制を求めたり、時には緩和を求めたり。いつしか政府に依存する経済に身を任せていたように思える。

この国は借金まみれである。で在るにもかかわらず、「成長」のためにまだ借金を増やすと言う。日銀には「どんどんお札を刷れ」という。そして、税金を上げる。
ギリシャに追いつこうとしているのか。成長の蜜の味を知った人達は、まるでブレーキの無い車をスピードを上げて走っているような。

テレビをつけてみてください。番組はともかく、CMを見てください。いや、番組もそうか。高級グルメ番組がもてはやされ、どんどん生まれる新商品が紹介される。それは「広告効果」があるからだろう。政治だけでは無い。国を挙げて“成長”を望んでいるのだ。

今更ながらだが、原発は高度経済成長の申し子である。それが多くの家を汚染し、土地を汚染し、森を田畑を汚染した。厳然たる事実。
大津波が一挙に町を村を呑み込んだ。すべてが「破壊」された。厳然たる事実。

人は言う。「経済成長がもたらした豊かさが、それと引き換えに多くの人を不幸に巻き込んだ。これまで通りの豊かで便利な経済成長優先の道を選ぶのか、それともそれを反省し、貧しくてもいい、心豊かな社会へ戻るのかの岐路に立っている」と。

心豊かな社会。それは何を指すのか。どんな形や姿を言うのか。自然との共生。言い古された言葉である。
森が無ければ水は生まれない。単純な自然の成り立ち方である。しかし、もうそれは以前から言われていたことではあるものの、成長の証としての「開発」は軒並み森を壊した。そして福島の一部の森は汚染されてしまった。切ることさえもおぼつかないような規模の。

「貧しくても心豊かな社会」という。しかし、貧しさが原発を誘致させた。貧しい日々を心豊かな物と出来るのだろうか。

経済成長によって味わった“麻薬”。それが有害だと気づいて、それを罪悪だとしながらも、やはり麻薬から抜け出せない。

激しい競争社会である東京で、心豊かな生活とは何を指すのか。自然を奪われた人達は、どこに豊かさを見いだせるのか。仮設の生活の中に心の豊かさを見つけることが出来るのか。

心豊かな社会の羅針盤を誰が描けるのか。それを目指さなければならない事は分かっていても、その有り様が見つからない。

それが「災後」に言われた、変わることだったとしても、それを拒否はしないし、変わろうとしているものの、それの具体的方途を示せる人は多分いないのではないかと。

堂々巡りのような思考回路がこの国に渦まいているような。

束の間の株価の上下に一喜一憂しているこの社会の「実相」。「成長無くして日本の再生はなし」。そんなフレーズがやがてまた生まれてくる予感。

早く見つけたい「心豊かな国」への道しるべ。

2013年1月19日土曜日

「死」、それは沈黙では無く。

自殺者が去年、15年ぶりに3万人を下回った。そんな報道がされていた。その中に、いわゆる“被災地”の人が、仮設で暮らす人が何人含まれているのだろうか。

自殺、いや、自死。それは「3・11」前からの東京を筆頭にした、この国の社会システムの中で、大きな社会問題の一つだった。

東北のイメージ、塾でも問うたことだが。明確なイメージはないが、東京の人はしばしば漠然としてこう思っているようだ。亭主の過去も含めて。
「素朴で、やや貧しく、しばしば黙っていて・・・」。そう、あの「おしん」の世界を当てはめているかのような。

それは的確な指摘かもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、強い意志を持っていると思う。

昨日は金曜日。官邸前や議事堂前、自民党本部前で、そのたの地でも、郡山駅前でも、小規模ながら反原発集会が行われていた。厳寒の中、思想信条に基づいたその行動にあからさまに異を唱えるものではない。在って然るべきものだとも思う。しかし、官邸前でそれが始まった当初に抱いた“違和感”。いまだそれをぬぐいきれない。
「なんでマスコミは取材にこないのだ」。「なんで福島県民はもっと声をあげないのか」。

ネットに拡散されてその「声」に押されたのか。テレビが行くと、ヘリが飛ぶと、中継がされると、ネットに上がる声は、まさに欣喜雀躍の様相を呈していた。

そこに「福島県民」も確かにいた。そこで声をあげてはいたが。

しかし、あえて言う。「そこは安全地帯なのだ」と。

「しばしば黙っていて・・・」。今でも、多くの人が、なんでもっと大きい声を挙げないのか、なんでもっと怒らないのかという。怒らないように見える福島県民を非難するようにも言う。
覚えていてくれるだろうか。

一昨年、2011年3月24日、“汚染”のよる出荷停止措置で、須賀川のキャベツ農家の人が自死したことを。彼はこよなく農業を愛し、一早く有機栽培を取り入れ、高品質のキャベツを作っていた。彼が最後に残した言葉は「もうダメだ」といううめきだったという。
その死をメディアは「絶望の上の死」と扱う。その時だけは。彼が死を選んだ事に対しての「検証報道」は見たことはないし、それが投げかけた問題を解き明かすことはしていない。不遇の死を深追いすることが、死者を冒涜するかのように勘違いして。

おととしの、2011年6月14日、相馬市の酪農家が牛舎の中で自死した。その壁には「原発さえなければ」と大きく書かれていた。そしてもう一つ残された言葉。「原発に手足ちぎられ酪農家」という“遺書”。

原発に対する、激しい抗議と受け止める。原発さえなければ。原発に“殺された”人達。死をもっての抗議。それを「しばしば黙っていて」というイメージで括れるのだろうか。

その死は沈黙ではないはず。雄弁に語っているはずなにの、それを語る術と持っている者が語ろうとも語らせようともしない。

福島県民は、農家は、「死」という何物にも代えがたい大きな声を挙げたのだ。
それを、そういう風には受けめなかった人たちが99,99%だったということ。

彼らはもちろん知人では無い。しかし、僕の心の中では、気持ちの中では、「Not as a Stranger」、見知らぬ人で無くーなのだ。

いわゆる災害関連死は相次いでいる。特に高齢者。中には自死もあるはず。

そして、これらの「死」は、まるで無かったことのように、その人生が、家族や知人だけで語られるだけで、消されていく、消し去られていくような月日の流れとその変わりようの速さ。

アルジェリアのその後の様子が知りたくてNHKのニュースを見る。全国ニュースに続いてローカルニュース。それが終わると関西系の番組。派手な着物をまとって厚化粧というよりも、どう見ても醜悪にしか見えない白塗りの化粧をした芸人二人が、鳴り物をならして、なにかわめいている。笑いの番組だろう。その笑いが被災地のいくばくかの“癒し”になるのか。ならない。

テレビという文明を間に挟んだ、あっちとこっちには、おおよそ、悲しみや苦しみを“共有”するという行為や意識は、もう無くなっているような土曜日の昼下がり。

2013年1月18日金曜日

「ひとくくり」

いわずもがなの事だが・・・
福島県は大きくいうと三つの地域に分けられる。大方の方はご存知だとおもうけれど。
浜通り、中通り、会津。その三つの地域では、いや、もともとは別な地域、藩であったものが、明治政府によって一緒にされた。

だから、その気候風土は全然違う。そこで暮らす人達の伝統も含めた地域性も違う。気質も違う。どこかで渾然一体となっているようであり、逆に同化出来ない部分もある。

もちろん“方言”も違う。食習慣も違う。

きょうも郡山は雪。会津は大雪。積雪量が違う。浜通りに雪は降っていない。風は強そうだが。
例えば天気予報でも、会津の人は福島の天気予報よりも新潟の天気予報を見る。
会津と新潟には“同一性”があるが、中通と会津のそれを問われると難しい。

今はどうしているか知らないが、ちょっと前までは新潟県の津川とうところは、元会津藩。福島県への編入を求めていた。

放射線量も違う。隣県の一部より会津の方が低い。

なのになぜ、世間の人の大方は「福島」という単なる行政単位の一括りでこの地を語るのか。語るというよりも非難、蔑視の対象として。

青森県もそうだ。津軽、下北、三八上北地方と三分類される。地域性は違うし、成り立ちも違う。
「青森はね、津軽、津軽と言われるけど、同じ津軽でも、みんなべっちべち」。青森の人によく言われた。
山形もそうだ。村山、置賜、庄内、最上。一括りで「山形」とは言いにくい部分がある。

その地を、今の形態でいいから、ある程度理解して、その地について、少なくとも県名で語って欲しい。
「東電」と一括りで言う。それは東京でも福島でも。そして「東電」を悪しざまに言う。あんな過酷な事故を起こしたのだ。それを非難することに寸分の疑義も無いが。その後の対応ももちろん含めて。

しかし、よく考えて欲しい。東京電力福島第一発電所、第二発電所。そこで、現場で働いていた、働いている人達と本店にいる人達の間には大きな違いがあるということを。東電社員という一括りで非難してほしくない。

あの時もそう、そして今でもそう。あの現場で働いている人達の多くは地元の人達であり、なんとかして事故の被害を阻止しよう、今の作業を完遂させようと努力している人達であるということ。

おととしのこのブログでも書いた。「うちの子は、俺が爆発を止めると言って出て行った。それっきり帰ってこない」と言っていた家族の話を。もちろん、それから後には帰ってきて、また出かけるという日々を送っているのだろうけれど。

あの事故の時、数日間、それこそ死を覚悟して、高線量の中に入り手作業でバルブを開けようとしていた人達。みんな、ほとんどが地元の人間だったということ。
そしてその多くは住む家には戻れず、いわば「タコ部屋」のような所に寝泊まりして働いているということ。逃げ出してはいないということ。

社員と言うことで給料は下げられている。その他の、昔風で言えば「不当な扱い」を受けている。それは地元の下請け業者についてもあてはまる。

彼らがいなければ、いや、女性もいるはず。その人達が居なければ、今の「かりそめ」の“安定”や、将来の廃炉などは出来るはずもないということ。

その人達の、家族を含めて数人を知っているから、余計に腹が立つ。

雪景色をどこから見るかによって雪にたいする思いも変わる。山を何処からみるかによっても、その見方は変わる。

笑い話のような諺で締めるつもりはないが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってのは願い下げにして貰わねば。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...