いわずもがなの事だが・・・
福島県は大きくいうと三つの地域に分けられる。大方の方はご存知だとおもうけれど。
浜通り、中通り、会津。その三つの地域では、いや、もともとは別な地域、藩であったものが、明治政府によって一緒にされた。
だから、その気候風土は全然違う。そこで暮らす人達の伝統も含めた地域性も違う。気質も違う。どこかで渾然一体となっているようであり、逆に同化出来ない部分もある。
もちろん“方言”も違う。食習慣も違う。
きょうも郡山は雪。会津は大雪。積雪量が違う。浜通りに雪は降っていない。風は強そうだが。
例えば天気予報でも、会津の人は福島の天気予報よりも新潟の天気予報を見る。
会津と新潟には“同一性”があるが、中通と会津のそれを問われると難しい。
今はどうしているか知らないが、ちょっと前までは新潟県の津川とうところは、元会津藩。福島県への編入を求めていた。
放射線量も違う。隣県の一部より会津の方が低い。
なのになぜ、世間の人の大方は「福島」という単なる行政単位の一括りでこの地を語るのか。語るというよりも非難、蔑視の対象として。
青森県もそうだ。津軽、下北、三八上北地方と三分類される。地域性は違うし、成り立ちも違う。
「青森はね、津軽、津軽と言われるけど、同じ津軽でも、みんなべっちべち」。青森の人によく言われた。
山形もそうだ。村山、置賜、庄内、最上。一括りで「山形」とは言いにくい部分がある。
その地を、今の形態でいいから、ある程度理解して、その地について、少なくとも県名で語って欲しい。
「東電」と一括りで言う。それは東京でも福島でも。そして「東電」を悪しざまに言う。あんな過酷な事故を起こしたのだ。それを非難することに寸分の疑義も無いが。その後の対応ももちろん含めて。
しかし、よく考えて欲しい。東京電力福島第一発電所、第二発電所。そこで、現場で働いていた、働いている人達と本店にいる人達の間には大きな違いがあるということを。東電社員という一括りで非難してほしくない。
あの時もそう、そして今でもそう。あの現場で働いている人達の多くは地元の人達であり、なんとかして事故の被害を阻止しよう、今の作業を完遂させようと努力している人達であるということ。
おととしのこのブログでも書いた。「うちの子は、俺が爆発を止めると言って出て行った。それっきり帰ってこない」と言っていた家族の話を。もちろん、それから後には帰ってきて、また出かけるという日々を送っているのだろうけれど。
あの事故の時、数日間、それこそ死を覚悟して、高線量の中に入り手作業でバルブを開けようとしていた人達。みんな、ほとんどが地元の人間だったということ。
そしてその多くは住む家には戻れず、いわば「タコ部屋」のような所に寝泊まりして働いているということ。逃げ出してはいないということ。
社員と言うことで給料は下げられている。その他の、昔風で言えば「不当な扱い」を受けている。それは地元の下請け業者についてもあてはまる。
彼らがいなければ、いや、女性もいるはず。その人達が居なければ、今の「かりそめ」の“安定”や、将来の廃炉などは出来るはずもないということ。
その人達の、家族を含めて数人を知っているから、余計に腹が立つ。
雪景色をどこから見るかによって雪にたいする思いも変わる。山を何処からみるかによっても、その見方は変わる。
笑い話のような諺で締めるつもりはないが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってのは願い下げにして貰わねば。