本音と建前、人はそれをうまく使い分けながら生きているのだと思う。なかなか使い分けが難しい問題だが。ま、処世術ってとこでしょうか。
正月休みも明けて、政界も本格始動とマスコミは書く。たしかに動き始めた様子。
だけど、被災地の人たちの本音。「あんたら休んでる場合じゃないよ」ってことか。
タカとかハトとか、保守とかリベラルとか、右とか左とか。もう、時代としては、例えば政党や政権を、そんな画一的な言葉で色分けする時代ではないと思う。もう、色分けする基準は無いに等しいのだから。
思想的な色分けはバブル崩壊と共に消滅したような気さえするのだが。
例えば反原発が左で、推進が右という思想的色分けも、現実に即していないと思うのだが。
改憲問題含め、安倍政権は、選挙期間中の言辞を持って「右寄り」「超保守」と言われた。靖国問題も教科書問題も、原発政策も・・もろもろ含めて。
きのう伊勢神宮を参拝したあとの記者会見。安倍は「ソフト路線を打ち出した」と書かれる。たしかに改憲には触れず、原発についても検討と述べるにとどめ、経済成長を高々と打ちだす。
それを以ってして、マスコミや関係者は「安全運転」と評する。持論を言う事が「危険運転」だとするかのように。
なぜ「安亜鉛運転」なのか。参院選を睨んでだと言う。
屁理屈を言うようだが、あげ足を取るようだが、持論を展開すれば参院選は負けるからということになる。改憲や原発など、有権者がそれを危惧しているということになるからか。ならば、今度の選挙で安倍自民党が“勝った”のも、彼の持論を有権者が必ずしも「是」としたということではないということになる。
伝えられる安倍の「ソフト路線」。まさに本音ではないはず。当たり障りが少ないようなどっちつかずの建前論。
衣の下に鎧という怖れをいだきながら我々は彼を戴き、暮らしていくということになる。参院選、おそらく自民がまた“勝つ”であろう。
その暁には鎧が飛び出してくるということか。
改憲について一言。前文にある四つの言葉。それが大好きだ。
「専制と隷従、圧迫と偏狭」を地上から永遠に除去しようとつとめる国際社会において、名誉ある地位を占めたいとおもう。
自民党の改憲草案なるものを見た。そこには、内容もさることながら「美しい日本語」は存在していないということ。“意味不明”の言葉が羅列しているとしか見えなかったこと。
建前と本音。双葉町の井戸川町長が「帰還は30年」と言い切った。除染に限りなく疑問を呈しながら。彼の本音なのか、建前なのか。測りかねる。30年先、それは、事実上、その場所にあったままの「町」は無いに等しいと思われるのだが。
双葉に限らず、警戒区域に指定されている町村の住民は言う。「帰りたい」と。
本音と建前で彼らも揺れている。「帰れない」と言った時の周りの反応を気にする。諦めを伴った本音を語ることの戸惑い・・・。
歳月の経過は「福島」をより難しい、困惑と疑心暗鬼と何らかの決断を迫られる、新たな困難を生みだしている。誰もが解決策を持ち合わせていないだけで。