2013年1月16日水曜日

「福島を知ること」から始めた・・・

今、東北を考える「東北学」。なんか大上段に振りかぶって始めた今年の「塾」のターマ。
どういう視点のアプローチから本題に入って行くか。きのう咄嗟に決めたのは、まず地元「福島」の事を知ろうとする試み。

県外から、東京から、その他から、一括りで呼ばれる「福島」。その福島をそれくらいここで暮らす塾生がわかっているか。

小賢しい、生意気な“他所者”としての亭主。他所者だから余計知りたい、知ったことも多々あるが故。

論語読みの論語知らずでは、今の福島、東北を語れないと。

意地悪なようだが、平成の大合併後の福島県の市町村名と言わせてみる。浜通り、中通り、会津の三つに分けて言われる福島県の、その三つの呼称の“線”を何処で引くかを問いかける。その輪郭をなぞる。おのずから、三地方がその歴史や伝統、さらには民族性の違いもおぼろげながら明らかになってくる。

戊辰戦争。八重の桜は、今NHKの「おかげ」で、全県にわたる代名詞のようだが、戊辰の役の時、会津藩と三春藩、郡山はどういう関係にあったのか。
敵対関係にあったということも。
福島県は、会津県、福島県、岩前県の三つが合併して出来たということも。

それらの“歴史”を伝える。理解を深めてもらうために。雑駁ではあるが。

福島県の市町村の数が59であることを彼らは知らなかった。知っていてどうってことではないが、この地を知らないとこの地は語れない。そう思うから。

別の角度からも問いかけた。日本全国にある原発で、県名が付いているのはどこの原発かと。それは福島と島根だけ。あとは町名や村名、地域名のはず。

もし、双葉郡にある原発に「東京電力双葉発電所」と名付けていたら、あの「事故」以来、連呼された福島、福島とう呼び名も、双葉、双葉とされ、例えばそこに隣接する火力発電所が広野火力と呼ばれ、その上に福島の名が冠されていないようなイメージが出来ていたのではないか。女川原発は女川原発であり、それが、決して「宮城原発」とは言われないように。

戊辰戦争と語るなら、その戦争だけでなく、その後も見よう、考えよう。斗南藩移封を。荒れ地を耕し、牧場を作って人達を。その苦難を。
それを考え、語れば、双葉にも眼が行く。

双葉郡と言う“名前”の由来を伝える。それは、明治の時代、相馬氏ゆかりの中村藩の所領であった標葉(しねは)郡と、岩城氏所領の楢葉郡が合併して出来た自治体。その境目は富岡の夜の森であったということ。

そして、標葉は主として富山県からの開拓団によってそこの多くの地が出来たところ。郡山が九州の久留米藩や鳥取、広島からの開拓民入植で開けていたのと同じように。

標葉への入植者は、やがて満蒙開拓団に編入され、海をわたり、敗戦後、またその地に戻ってきて開拓を再開し、酪農にいそしんだこと。原発建設の“立役者”だった正力松太郎は富山県の出身だという“偶然”。

塾生には他県から来た子もいる。その子に「東北のイメージ」を尋ねる。郡山に生まれ育ったものの、しばらく東京や外国にいた子もいる。彼らにも「東北のイメージ」を問う。

確たるイメージは、あらためて問われると咄嗟の返答には窮するようだ。豊かな自然と温かみのある方言という答えも返ってくる。

言葉は悪いが、意地悪なようだが、福島県人に福島を問うということは面白い。
答えに窮しながらも彼らの中で、醸成される福島観が出来あがる、再認識させることが出来る。

阿武隈という地名、安達太良という地名。それらにも触れる。それは勢い、蝦夷の民とのかかわりにもいざなわれる。

入口の、また、その入り口で時間切れになった「東北を考える」という“作業”。

あと何回やることになるのか。いろんな意味で郷土を知ることが郷土愛にもつながるとおもうから。

ボクも次回に向けて、さらに「思考」を深めなければならないと期しながら。

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