2013年1月10日木曜日

全国には届かない「被災地からの声」

ボクは毎週、絶対に欠かさないで見ているテレビ番組がある。
NHK総合、木曜日午後0時20分からの「被災地からの声」。担当しているのはNHK仙台放送局の津田喜章アナウンサー。

残念ながらこの番組は全国ネットではない。この時間に東京では何が放送されているのかは知らない。東北地方だけの、いわば地域情報番組。

一昨年の3・11以降、一時はちょっと番組タイトルは違っていたが、この種の被災地からの声を放送していた。毎日。もちろん彼がキャスターで。

いつしかその番組は消え、東北ローカルとして、週一の番組になった。NHKだけではない。新聞も、一時はあった「被災地レポート」のような欄は大方姿を消した。

いきなり極論するようだが、メディアの世界からは被災地の実情は、被災した人たちの個々のことは“消え“ようとしている。

敢えてNHKに問う。被災地福島を舞台にした大河ドラマを作り、そのドラマのメイキング番組を作り、一日中、その番宣を流し、挙句、視聴率がどうだこうだ・・・。違うと思う。

日曜の夜8時に流すべき番組は、この「被災地からの声」のような番組なのだと。

きょうは、埼玉県の鳩山町に「避難」して、そこの公共施設を改装して作ったいわば借り上げ住のようなところに住む人たちの声だった。

そこには80世帯が住んでいるという。女川、雄勝、浪江、双葉からの避難民。
そこの全体像は見えなかったが、まさに東北からの避難民が作った、仮の町、新しい町・・・。好んで移り住んだわけではないが。
なぜなら彼らの一人は言った。「後ろを向いたら気が滅入る。埼玉で生きて行くしかない」と。
そして言う。「いつまでも引っ張らないでいたほうがすっきりする」とも。

別の人が言う。浪江からの避難者。「選挙の時のバンザイをみていてイライラした。あの人たちは、国会議員は浪江に入ったことがあるのか。一時帰宅をするたびに家や街の光景が変わっている。家の中からネズミが出て来たし、人に構わず出入りしている」。穏やかな口調ながら、そこに込められた怒りの感情は・・・。

石巻の人は言う。「何も無いところにすがっていてもしょうがないが、俺たちは漁師だから、故郷の海で何が揚がったという話を聞くとたまらない」とも。

「我々は蚊帳の外におかれているんだ」という。そうだと思う。「隔離」しておいて「放置」しておいて、やがて「あきらめる」のを待っているのが、今のこの国のやり方なんだなと。

津田アナウンサーはこんな言葉で結んでいたように覚えている。
「こうやって話を聞いていくと、復興という言葉を簡単にいえるのでしょうか」と。

津田アナウンサー自身、石巻出身の“被災者”である。友達も数人亡くしたという。

去年、たしか文芸春秋に手記を寄せていた。3・11当日のことから含めて。
多分、メディアの中で、彼ほど被災者と直接向き合ってきた人はいないだろう。
彼の目線は、まったく被災者目線である。それは被災者のところに取材に行っているというよりも、立ち寄った若者が話を聞かせて貰うと言う姿勢に見える。
取材メモを取るわけでもなく、向き合って話をする。
話す側もいつしかこころを開いている。そんな光景。

もちろん収録された声は大いに編集されているだろう。だから放送された言葉以外に、もっと多くの話を彼は聞いているはずだ。

敢えてNHKにお願いする。この番組を彼の「ライフワーク」にしてやって欲しいと。

彼が放送で語りかける口調は穏やかで冷静だ。しかし、カメラに向かって自分の言葉でしゃべっているはず。プロンプターもカンペも無いはず。だから見ているものに届く。番組を見ながら、時々涙が出る。それは同情の涙ではない。未だ以てそういう「人たち」がいるということへの悔しさ。

彼は泣かない。涙は見せない。しかし、毎回放送のたびに彼は心の中で泣いていると思う。

彼が一回、怒りをあらわにしたことがある。「頑張る」「頑張ろう」というメッセージが寄せられた時。「頑張れない人は頑張る必要が無い」と。
大きく頷いた記憶がある。

忘れさられようとしている人達がいることを忘れさせない。やはりメディアの果たす役割は大きいとあらためて思う。そしてこの番組は東北でやっていても意味が無い、全国に伝えてこそ意味があるのだということを。

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