2013年1月30日水曜日

「朱に交われば赤くなる」ネット社会への風刺かも

徒然では無い中での諺借りての続き。

人は関わる相手や環境によって良くも悪くもなるって意味で。

妻をめとらば 才たけて みめ美わしく 情けある
 友を選ばば 書を読みて 六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分(しぶ)の熱」
与謝野鉄幹のこんな歌もよく歌っていたものです。
たしか、テレビもネットも無い時代だった・・・。
いや、実生活がどうだったかはともかく。
そして、その次にはこうあったような。
「ああわれダンテの 奇才なく バイロン、ハイネの 熱なきも
 石を抱( いだ)きて 野にうたう 芭蕉のさびを よろこばず」

芭蕉のさびは喜んでいましたが。

純朴な志を抱き、憂国の念を持って政界に打って出た政治家達も、永田町が持つ“朱”と交わっているうちに赤色に染まっていく。そこに巣くう論理に初心を忘れていく。そんなもんじゃありませんかね。

「総理大臣というのは孤独なもんなんだよな」。何人かの総理経験者から聞かされた。田中角栄はつづけた。「俺の耳に入ってくるのは、みんな良い話ばかりなんだよね」。甘言は判断を誤らせ、政治の方向を世論から乖離させる。

孤独とは、結果一人で決断しなければないらないということや、誰の言を信じ、受け入れればいいのかという判断に到達する。

官房長官は総理の女房役。これもあの世界での定説。しかし、総理に呼ばれてもその部屋に行く事を潔しとしなかった人がいた。なぜか、どうせ怒鳴られるのがわかっているからと。

最近、新聞記事に書いてあった。菅官房長官は安倍首相の“精神安定剤”になっているって。その気持ちはわかる。だから安定剤は染まってはいけないのだとも。
気心の知れた「お友達内閣」は、国を危うくすることをお忘れなく。
そして、今や多くの政治家も使っているネット。ツイッターやフェイスブック。ついに石原慎太郎までが始めたという。頑迷固陋な暴走族も流行りものにはかてないということか。ま、本人が見たり読んだり書き込んだりはしないと思うけど。

きのう見たツイッターに興味惹かれる短文があった。
「脱原発全然結構。だが放射能の影響を過剰に煽ったり福島県を巻き込まずやってくれ。俺らここに住んでいるんだよ。あとリアルに誰にも相手にされないからってツイッターに逃避するにはよくないと思うけどね」。
思わずフォローボタンを押し、リツイートしてしまった。同感だったから。

このリツイート機能。なんと理解し、利用すればいいのだろうか。ボクがやったと同じように、同意見を広めるってことなのか。ということはそれこそ朱に交わればの如く、同じ意見や感覚の人同士が仲間を求めて同じ色を求めあっているってことじゃないかなと。

もちろん、そんな人が全てではなく、反論、論破に励んでいる人もいるが。
ツイッターを通じて、友達も出来た。作家や映画監督や地元の人達。
3.11直後は東大のチーム中川のツイートにずいぶん助けられた。デマが飛び交っていた中でも。
「友を選ばば」の胸中かとも。

しかし、ネットの中に埋没してしまうと、それこそ“中毒状態”になってしまうと、一日中かかりっきりって人もいるのではないかと思うくらい。バイロン、ハイネに親しむ時間もなかろうに。

ネットには人それぞれの接し方があると思う。リツイートは同意の証としているボクのような奴もいるが。でも、同意であっても、それは一旦自分が引き取って、解釈して、自分の言葉に置き換えて発信するってのが最良なんじゃないのかもと。

すみませんでした。ミソクソ一緒の話で。眼くそ鼻くそを笑うの類の話で。
ツイート代わりに一言。

「きょうはこれから病院に検査に行ってきます。風邪が原因だと思われる体調不良が続いているゆえ」。
「頭のMRIやります。肺のCTもやります。思いっきり放射線浴びてきます。もちろん医療用のですがね。ガハハ」。
そして、「また言われてしまった。お医者さんから。煙草やめましょうよ」。

きょうのからから亭、だれかリツイートしてくれるかな(笑)。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...