2013年1月6日日曜日

「年賀状」について

年賀状は、奇しくも、2011年元旦をもって「失礼させていただきます」と挨拶させていただいています。年齢の区切りを故として。

首を回らせば七十有余年         人間の是非看破に飽きたり         
 往来の跡は幽かなり深夜の雪           一炷の線香古窓の下

良寛の句を拝借した最後の賀状でした。もっとも、付けくわえておきました。
人間(じんかん)の是非は問い続けると。

中学生の頃、先生と友達に出した10枚くらいの年賀状。気がついて見たら、長年のお付き合いが増え、2,000枚くらいになっていました。

お恥ずかしい話し、とてもじゃない、費用が・・・。葉書代、印刷代。で、意を決して年始の挨拶欠礼とした次第です。

でも、去年も、今年も、百枚以上の賀状を戴きました。嬉しいものです。懐かしい人も、消息を知りたかった人もそれぞれありで。

もし、おととし、「欠礼」を言っていなかったら、去年はなんと書いたでしょう。きっと書けなかったか、およそ「賀」には相応しくない文言が並べられていたでしょう。

やはり去年は書かなかった、書けなかったであろう郡山のタウン誌の編集長から今年は賀状を貰いました。

「年の始めの御挨拶を申し上げます。あの震災以降、身体の中のオクノオクの方で何かが固まってしまい、ここに来て想うのは“あ~疲れた”。前に進もうにもやる気が起きず、こうなったら今年は飲んで踊ってのびるまで楽しく過ごして行こうと思っています」。こう書かれてありました。

同じ感情なのです。そうなんです。身体の奥に、頭の奥に「何かが固まってしまっている」のです。解きほぐせないのです。溶けないのです。

風邪のような体調の変異も、まるで体内で固まってしまっているように解けてくれないのです。

解けようが解け無かろうが、「人間の是非は看破していかねばならない」とあらためて肝に銘じています。

良寛の「偈」の背くようですが。

郡山に来たのが昭和63年の夏。郡山で初めて書いて出した賀状の日付は1989年元旦。

そこにはこう記していました。

秋、東京に無い本当の空を見ました。
冬、凍てつく舗道を踏んでいます。吾妻下ろしの寒風に向かって歩いています。
春、・・・・・・

まさに、今年の春も「・・・・・・」なのかと。「・・・・・」を文字で埋めねばならないと覚悟しています。

戴いた賀状にはきちんと返事を出します。その作業が待っています。どんな思いを綴り、近況をなんと書くか。悩ましいですが。

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