2013年1月21日月曜日

アルジェリアの事件に思うこと

ボクの弟は、つい最近まで日揮に勤めていた。仕事の詳細はしらないが、石油精製プラントに関わる仕事をしてきた。
海外にも何年間も行っていた。南アフリカ、クエート。数年間の単身赴任。

アルジェリアの人質テロ事件、今現地に行っている社長や関係者、記者を相手にしている担当者、彼はよく知っている人達なのだろう。

身柄を拘束されて人や、不明の人も、彼の知り合い、同僚だった人達かもしれない。そして、時期と場所が違っていたら、彼も“当事者”になっていたかもしれない。いや、現役を退いたとしても彼もやはり“当事者”だ。

事件以来、彼に電話するのがためらわれている。何から切り出せばいいのかわからないし、彼のこの事を聞くのは、話すのは、所詮部外者の野次馬のようにも思えるから。
事態の推移をみて、ゆっくり話してみたいと思っているが。

弟が居た会社というだけで日揮には心情として親近感がある。亡くなった人もいるという情報。それが誤報であることを祈りつつ。

あくまでも“部外者”として・・。
事件を伝えるテレビ、新聞。なぜかあの原発事故当時と重なる。中東問題やアルカイダに関する「専門家」という人が出て来てうんちくを語っている。いろんな視点から。もちろん、情報が少ないせいもありにしても、なんとも心もとないし、的が外れているような“解説”ばかりとも。

原発事故に関する専門家はいなかった。あの時は彼らに振りまわされていた。
そして、学者として、中東を知っている人はいても、テロを語れるはずもないのに、それを語る、いや語らせる。

そして政府。まさにあの時と同じだ。申し訳ないが右往左往としか見えない。見えてくるのは、いかに国際情勢に関しての情報収集能力が弱く、頻繁に行われている「会議」がほとんど意味を為していないのではないかということ。

外遊日程を切り上げて帰国し、「陣頭指揮をとる」と言う安倍が、ほとんど外交ルートも持たず、影響力を持たない中で行動している有様は、あの時東電に乗りこんで行った菅を彷彿とさせる。

アルジェリア政府の方針は、人命重視よりもテロの壊滅にあったと言われる。あの石油プラントを維持することを最優先にしたように見える。
紛争を抱え、テロの脅威に対峙している「国家」としては、それも仕方の無いことだというのか。

あの砂漠の中のプラントが何時でも“標的”にされることは、想定内だったはず。しかし、その警備については語られない。阻止出来たはずのテロではなかったのかと素人目には見えるのだが。

テロには屈しない。国家の威信の前では人命は軽いものだたのではないかという素朴な疑問。防ぎうる事件ではなかったのかという疑問。

またもや原発事故当時と重なる。あの官邸内の狼狽ぶり。誰も的確な指示が出せなかったこと。危機管理の専門家は、その管理の無さを糾弾していた。

少なくとも現地の、つまり1Fの状況を現場の状況を把握出来ないまま、東電本店はその施設を「守ろう」としていたこと。海水注水をためらったことを含めて。
行く先も無いままに、とにかく避難しろと住民を放り出したあの指示のように。それがどんな結果を招くかの想像力もないままに。

避難指示は人命尊重だった。ではあるものの、それは「国家の威信」を維持しようと腐心した結果ではなかったのか。

東電本店の指示は、現場の人間を見殺しにさえしかねないようなものでは無かったのか。

「組織」とはあまりにも冷淡なものだ。冷酷なものだ。

そんなこんなの思いが海を渡って感じられる。石油が高度成長や文明を支えているという論議にまではしたくないが。

アルカイダというテロ集団について語れるものでもないが。そんな事が、事半ばであるにも関わらず去来して来て・・・。

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