「おととしの東日本大震災にあたっては、多くの人々が被災地に赴き、被災者のために力を尽くされ、心強いことでした。これからも皆で被災地に心を寄せて過ごしていきたいと思います」。
天皇陛下が一般参賀で述べられた言葉。ほっとする、嬉しい言葉だ。
寄り添う、心を寄せる。ずっとそんな言葉を見聞きしてきた。被災地同志では、そこの人達の間にはそれがあった。全国からも多くの寄せられた心があった。
そして、それと同じくらい、少なくとも「福島」を忌避する言辞や行動も見た。勝手に天皇の意志を忖度する。
敢えて「皆で」と言われたことを。皆の中に自分も含めて。そして、年頭にあたり、被災地に言及されて心情を。
そして、寄せられた心に、被災地はどう応えるか。被災地にとっても課題が与えられる。
それは何か。今言えることは「自立」、そして「自律」。国や行政を頼っていても、福島でいかに東電を責めたとて、“前進”にはつながらない。
概略的に言えば、被災地東北は、その歴史の過程が、いわば「お上」(天皇家のことではない)のいいなりになって来たという事。
そして、その「お上」が、あてにならず、あわよくば、これも歴史の過程にあったように、「東北を見捨てる」のではないかという危惧。
見捨てられるよりはこっちから見捨てよう。そしてあらゆる「知慧」を回そう。「お上」を利用してやると言う気概も含めて。
東北には”埋蔵”されているような、さまざまな文化がある。伝統文化が、被災地の人たちに励みを与えた。その文化を発信していくのも一つの在り方。
隠れたような伝統文化が、伝統芸能が、被災地のそこここにある。彼らはそれを「復活」させることで、生きている自分たちを体感出来た。
伝統文化は被災地の人たちのこころに寄り添っていた。そして、その多くが、農耕民族としての誇りと不屈の精神だったということ。
新しい年、福島が始めなければならないこと、やるべきこと、自らの力で立ち上がるべきこと。それらを模索し、実行する年だと。
「あてがいぶち」のような復興策では無く。
水と緑の都市といわれた郡山からも、除染作業によって、日々、「緑」が削られていく。剥ぎ取られていく。
2週間ほど後の皇居の歌会始め。天皇、皇后両陛下がどんな歌を詠まれるのか。寄り添った心が、どういう歌となって表現されるのか。
心待ちにしている。