昨日、東京から来た旧友と会った。数時間話し合った。彼は郡山出身。来たのは小学校のクラス会。安積高校から東大。外交官。東宮大夫・・・多彩な経歴の持ち主。数カ国の大使も歴任、防衛庁にも出向。一時政界出馬を志した人物。
80歳。どこにも老いは感じない。記憶も鮮明。長い付き合いだ。郡山に来る時は必ず連絡をくれ一献かたむける。
多分、彼は語りたくてしょうがなかったのだろう。
待ち合わせの場所で席につくのももどかしいように話始める。まずは政治。
自民党政権に戻ってよかったよ。長くもって欲しいけど安倍ちゃん大丈夫なのかな。そんな切り出し。やはりお友達内閣だと彼は危惧する。
そして言う。今やるべきことがわかっているのだろうか。憲法改正を云々している時ではない。アメリカは憲法改正論議を神経質なまで危惧している。このままで行けば、アメリカは「危険な国」中国のより傾倒していく。
憲法は今のままで特に不都合はない。いままでも解釈や運用でしのいで来たし、どれだけ国費を投入しても、中国の軍事力にかなうわけが無い。
尖閣論議にも話は及ぶ。そして彼は言う。「中国共産党の恐ろしさに対する認識が日本の政治家に欠如している。あの国は軍が支配している国だ。報道されない、その横暴さ、腐敗。そこに媚を売るような鳩山。
あの民主党政権が残した罪は大きいぞ。だいたい原発事故の時の菅の対応はなんだい。彼がベントを遅らせたのだ。余計な手間と時間を現場にかけさせたのだ。あれが一国の指導者の見識だったのか。
そして言う。「あらゆる意味で日本は平和ボケ国家から抜け切れていないのだよ」と。
アルジェリアの事件を受けて、中東、アフリカ外交に話は及ぶ。彼は一時オマーン駐在大使もやっていた。イスラムについてもそれなりに熟知した上での話し。
いまや“隠居”の身であるとはいえ、各界に知己は多い。いろんな事を知っている。
多岐にわたった話の中で彼は、やはり官僚OBとしてこの国の在り方、リーダーの在り方を問うてくる。答えた。
「昔の大名の時代もそうだった。リーダーには参謀が必要なのだ」と。事例を挙げて説明した。例えば長期政権を保った中曽根には後藤田という名参謀がついていたこと。三顧の礼をもって迎え入れたこと。参謀は表には出ない。知恵を出しながら殿を守る。たとえ辛辣であっても、敢えて進言する・・・などなど。
鳩山に、菅に、野田にそれは居たか。皆「寝首を掻かれる」という“恐怖心”から参謀、家老を登用しなかった。安倍も然りだと。
何やら彼は納得したようだった。「いや、きょうはいい話が聞けたよ。参謀論は面白かった」と言っていた。
彼は郡山市のフロンティア大使なるものも勤めている。当然、この春の市長選のことも気になっている。現市長の対抗馬が彼にも相当のアプローチをかけてきているそうな。
致し方ない。市長選をめぐる巷の見方を伝える。そして彼が言う。「やはり若い人が出ないといけないんだよな」と。もはや異郷人である彼は郷土の若い人材に心当たりが無い。
彼には言っておいた。双葉郡の首長がいかにそれぞれ困難な立場にあるかということを。そして県知事のありようも。
県には副知事がいる。市にも副市長がいる。しかし、それらは決して“信頼出来る参謀”ではないことも。
参謀と側近政治は違う。イエスマンで固めた“裸の王様”はやはり平和ボケに陥るんだろうな。そんな事を彼が言っていたような気がする。
久しぶりで来た郡山で彼が見聞きしたことを東京でどう話すのか。気になるところだ。東京に出ていって、多分東京人のままで終わる東北人が、あらためて東北をどう認識したのかも興味がある。
かいつまんで書いた昨日の私事。