2015年10月20日火曜日

美智子皇后のうた

きょうは美智子皇后の81歳の誕生日だ。

誕生日にあたり寄せられた言葉に、今年はいつもより以上にこころ動かされる。

半日がかりの病院から帰り、しばし「美智子皇后さまのうた」という本を紐解いていた。
3・11後、皇后の詠まれた歌に慰められ、励まされ、そしてなによりも「教え」られた。

去年の御歌
「帰りくるを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず」

きょうのお言葉の中にもあった。

「この世に悲しみを負って生きている人がどれほど多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることをあらためて考えさせられた」と。

この方の視点は常に”弱いもの“にあるということ。

今、この国にある“空気”を皇后はどう感じておられるのだろう。
平成7年の全国植樹祭を詠まれた歌。

「初夏の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな」。

この思いは今とても同じなのだろう。

戦(いくさ)あらすな。美しい日本語だ。

戦後70年、次世代やその次の世代の人たちが、「真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています」と記されている。

天皇・皇后夫妻は、それぞれの幼少期からずっと「平和」について「戦争」について考えに考えぬいてきたのだろう。
そして、それらへの“思い”には揺るぎが無かったと受け止めている。

2011年、いち早く避難所を訪問し、避難している人たちに言葉を掛けられたこと。同じ目線で話しあっていたあの姿。

4年前にも書いたけど、両陛下の「存在」がなければ、あの姿がなければ、その後の被災地の在り様も変わっていたかもしれないとあらためて思う。

「天皇陛下がいて助かった」。終戦時を語る時に、田中角栄がたびたび口にしていた“懐古”の弁だ。
天皇陛下がいなかったら、もしかしたら、日本人同士が憎みあい、争っていたかもしれない。そうであったなら高度経済成長期を迎えることが出来た日本もなかったというあの時期を生き抜いた角栄の体験にもとづく的確な歴史判断だったのだろうとも。

広島、長崎、沖縄、サイパン、パラオ・・・。

その地にあった戦争の悲劇。
沖縄を想い詠まれた歌。

「雨はげしくそそぐ摩文仁の岡の辺(へ)に傷つきしものあまりにも多く」。

“戦争”“平和”。それを思い考え続けられてきた両陛下。

安倍自民とは対極にあるような気がしている。

皇室の言動を官邸は“こころよく”は思っていないと聞いた。

彼我を同等に論じるのは全くもって無意味だと思いつつ。

今の皇室があってこそ、この自分でさえも、まだ「助かった」と思っているのだから。

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