2015年10月8日木曜日

末は博士か大臣か

昔、とく世間で言われていたよな。出来の良い子どもに祖父や祖母が期待を込めて、近所の人も、親もこぞって。「末は博士か大臣か」って。

「末は博士か大臣か」。褒め言葉だった。そして、その目標である大臣や博士は、それなりの見識、知識、博覧強記であり、人格者であるという位置付けがされていた。

今年のノーベル賞、すでに二人の”博士“が受賞した。テレビで見る限り、二人とも人格者であった。立派な研究者だった。
地方の大学出身。特に大村先生などは「カネ」とは無縁の人に思えた。

もしかしたら、学問の世界では、いち早く「地方の時代」が来ているのかもしれない。

教え子や関係する大学の生徒は、ゆかりのある地の子どもたちは眼を輝かせて、「研究者」の道を目指すと話していた。

博士の博士たるゆえんだ。

博士の話題が世を賑わしている時、まことにくだらない、空虚な、意味不明な“大臣製造”の出来事があった。

安倍のお仲間、お友達の9人は留任。自民党の4役はそのまま再任。全く持って毒にも薬にもならない輩。
交代したのは10人か。これまた毒にも薬にもならないお方たち。

新聞はこんな改造ですら大々的に扱う。紙面を割く価値があるニュースなんだろうか。旧態依然の新聞の政治報道だ。記事に使われている用語も、内容も。

もし書きたいなら、石破の根性無し、河野太郎の変節を書けばいい。岐阜の聖子お姉さんが立派な人にみえてくる。

まさに大臣病患者の集団と化した自民党。

もう、政局を巡ってNHKは見ないことにした。あまりにもひどすぎる安倍の宣伝・広報機関。

言うこと値はずだ。

自民党にはもう人はいなくなった。人材はいない。いないから安倍は人材豊富などと言う。マスコミにも大方人がいない。

目先の御身お大切を目論んでばかり。悲しいかな。

末は大臣・・・。もうそんな期待をする親はいないだろう。晋ちゃんのママ以外は。その“末”の「意味」、「価値」が違っているのが現在。終わりを意味する末なのかも。

沖縄担当、まさに翁長への挑戦人事だ。
拉致は・・・。兼任の3番目。
もう“利用”する必要はないということなのだろう。外しなさいよ。これみよがしに襟につけているブルーリボンを。襟のリボンが泣いている。

復興大臣、環境大臣。福島はじめ被災地には関係する立場。ど素人の”抜擢“。もう「3・11」は視界に無いということだろう。

おらが地元の大臣さま・・・あの達、地元のために何をしたんだろう。してきたんだろう。風の便りにも聞こえてこなかった。

猟官運動に精を出してはいたらしいが。

風の便りと言えば、オバマのノーベル平和賞の返還要求があるとかないとか。
オバマは“白状”したよ。アフガニスタンの病院爆撃はアメリカのやったことだって。謝罪もしたという。

「ゴメンで済むなら警察いらない」。よく庶民の間ではいわれた言いぐさ。

ゴメンで済ます世界の警察アメリカってことか。

そのアメリカに媚をうる安倍やあわれ。

「一億総活躍社会」を作るそうな。担当大臣まで置くそうな。ならば一億分の一として、この政権に物申し、オサラバするために活躍してみようかな。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...