2015年10月4日日曜日
「変わった」こと「変わらない」こと。
民主党が“栄華”を誇っていた頃、小沢一郎が代表選の出馬した際、ヴィスコンティの映画「山猫」の一節をとって、「何かを変えるためには自分が変わらねばならない」「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」と言った。
でも、小沢は変わらなかった。永田町に埋没した政治感覚から変わることは出来なかった。
やがて民主党は凋落し、安倍自民が復活し、何も変わらない永田町政治、永田町論理に根差した政治が続いている。およそ“民主主義”なるものを理解していないような人たちの手によって。
未だ持って政党の離合集散がそこに生息する人たちの関心の的。政治の在り様、大本から変わって欲しいと願うとこ大なのだけど。
数合わせの政治・・・。
東日本大震災があった。原発がとてつもない事故を起こした。あの頃、この国の人は「変わらねばならない」と思ったはずだ。
しかし、変われなかった。惰性と言う名の螺旋に身を委ね、そこで思考停止することを選んだ。
でも、変わった人達もいる。安保法制をめぐる抗議行動。そこに主体的に参加する若者はこういう。
「震災以降、主体性を持って自分の考えを言うことが大事だと思うようになった」と。
津波、原発事故、困難な復興。特に10代であの「3・11」を体験した若者のは大きな影響を与えたのだろう。
「震災は日本にとって不幸なことだったが、僕達はその経験を生かしていかなくてはならない。そのためには主体性を持って、自分の意志を示さねばならないのだ。それぞれが主体性を持ちながら、異なる意見を持つ人とも柔軟に話し合い、行動を起こすことが必要だと考えたのだ」とも。
政治的イデオロギーや既成の団体からは真逆の立場で若者は声を挙げていたのだ。安保法案や安倍政権が目標に掲げられてはいるが、それ以前の、もっと本質的な問いかけがそこにはあるように思えるのだけど。
若者像は「3・11」を境にして、変わったのだと思う。そして、その若者が兄の世代、親の世代、祖父母の世代をも牽引していったような気がする。
若者世代は、すべてではないにしても変わったのだと思う。
学び、考えることを実践しているのだとも思う。
政治の世界では、安倍政権打倒、自民党の一強体制を打破するために対抗勢力の“共闘”を“統一”を共産党が呼び掛けた。選挙協力を。
今までの共産党とは変わらねばならない。そう言いながら。
他の「野党」は及び腰だ。
「変わる」という一種の哲学をすら語った民主党。まるで小沢アレルギーが、共産党アレルギーがあるかの如く、旧態依然としているとしか映らない。
政界だって、もう一回「ガラガラポン」とかき混ぜてみたらいかが。その後の配牌がどうなろとも。
今のままの貼り絵作業では埒があくまいと。
何回、今日は「変」という字を書いただろう・・・。
そして、病発症以来、体調、体質はたしかに変わっている。手足はいささか復調の兆しあるものの、脳内と視力、視覚が変わってしまった。この「変化」、どう受け止めればいいものやら・・・。
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