2015年10月24日土曜日

“偽装社会”と呼んでみたい

何から何まで”偽装“されているような気になってくる。

横浜のマンションの杭打ちのデータ偽装。この事件からもすべてが透けて見えるようだ。

この国は国家が“偽装”している。何を偽装しているのか。民主国家という思想の偽装だ。
絶望を希望に“偽装”する政治だ。

安保法案を成立させた先の国会。「丁寧な説明をしていく」と首相は殊勝にも言った。そのあとこの問題を巡って丁寧な説明なんてどこでも聞いたことが無い。
説明どころか、それは「終わったこと」とされ、世の関心は見事に他事に移って行った。

丁寧な説明。もともと出来ることではなかったのだ。説明しようにも、その能力すら、言語力すら持っていなかったのだから。
官僚や秘書官が書く原稿を時には棒読みし、時にはプロンプターの画面をなぞる。どこにも自分の言葉は無い。
しかし、自分の言葉のように取り繕う。

答弁、発言の”偽装“だ。民主政治も民主主義の標榜も”偽装“されている。

マンションの工事偽装の話に戻る。
杭打ちのデータが偽装されていた。「犯人」は現場代理人という職種の人に収れんされようとしている。

やった奴は工期などを勘案し、「上」の意向を忖度してやったことだろうと当事者も認めている。言われたとおりにしないと身の保全が危うい。言ってみれば心の偽装だ。

忖度。政治の世界でもそうだ。与党の議員は首相の意向を忖度する。官僚もだ。
なにより「人事権」でやられてしまうのだから。
忖度、慮り。

マスコミの世界にだってその“思考”は広がっている。

「偽装をチェックする仕組みが必要だ」と識者はいう。いまさら何をって。そんなもん当然あって然るべきだったはずのこと。

仕組みや制度の話ではない。仕組みや制度には必ずと言ってよいほど「抜け道」があるのだ。

要は「人の倫理観」の問題なのだ。しかし、今の世の中、今の社会の在り方は倫理がカネにその座を奪われたのだ。大企業が儲ける仕組みの「カネ」。それに倫理観が負けている。そんな世の中なのだ。

工期と厳守する。それが何にも勝る最優先事項なのだ。工期が守らなければ企業の儲けも信用も失墜するという「目先」優先。

だからー。原子力発電所にだってどこかに“偽装”があったのかもしれない。これからもあるかもしれない。そんな疑念をいつも持っている。

有名企業、大企業だから「安心」。違うんだよ。自動車の世界でもそれは経験しているじゃないか。

5年後の東京オリンピックを思う。工期はひっ迫するはず。間に合わなければ国際問題だ。
何が何でも完成させるだろうスタジアム。もし、そこで”偽装“が行われていたら・・・。

今は妄想にしか過ぎないけれど。

改ざん、偽装。それは盗人と同じように、そのタネは尽きまじということか。
「真砂」は花崗岩が“風化”して出来た砂だ。

“風化”も人為に於いては尽きないものなのだろう。

ハロウインという祭りがやってくる。仮装を偽装とは言わないけれど、それは楽しい由緒ある祭りらしい。
とうことは”偽装“というのは「許された」ことなのかもしれないと。

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