2015年10月28日水曜日

「アグリカルチャー」

郡山に収穫の時期に合わせて行われるイベント、「あぐり市」と言うのがある。
日曜日、駅前の商店街が歩行者専用になるのに合わせて。もう15年も続けられている農産品の“直売”。この日曜日50回を数えた。

郡山農学校、郡山農業青年会議所、青虫くらぶなどと言った農家や農に関心がある人達が主催している“イベント”。

特に、農学校は「農業」に関心がある人達が集まり、農家の畑を借り、実習も兼ねて作物を作り、自らタネを植え、栽培し、収穫し、出来上がったものを直販している。

「農夫・農婦」たちは皆手弁当。もちろん手当も無い。

彼らを一番困らせ、悩ませたもの。それはあの原発事故だった。放射能が拡散され、汚染が広がった時。
彼らは独自で勉強会を立ち上げ、必死に農を守ろうとした。

ひまわりが効果的だとされればひまわりを。ゼオライトが効果的だといわれればゼオライトを。

試行錯誤を繰り返してきた。

当時まだ高価だった測定器をいち早く買い求め、検査機器も整えた。

50回目の市では郡山産の米の試食会も行われた。農作物を使った巨大な壁画を作った。モチーフは「北風と太陽」。数日間かけて作り上げ最後の夜は徹夜だったという。

農業を英語では、agricultureと言う。アグリカルチャー。カルチャーとは文化って意味だ。あぐりは勿論農業のこと。
農業っていうには「文化」だということ。

だから「あぐり市」は「農業文化の場」でもあるのだ。

農産物を見ていると、それを食べると、あらためて「身土不二」という言葉を想起する。

「身土不二」、それは農業文化と食文化の“哲学”なのだとも。

安全保障という言葉がこの国を覆っている。語られるのは軍事力による安全保障のことばかりだ。
人間、食わなければ生きていけない。「食う」ということは何にも勝る安全保障なのだ。

TPP問題。それは食の安全保障の根幹にかかわることだ。食の自給率、それも根幹にかかわることだ。
その根幹が大きく揺らいでいるということ。

食品添加物や着色剤、産地偽装。それらだけが食の安全の問題では無い。

あきらかに農産物の生産量は減っている。酪農も含めて。

TPPによって、それの全貌はいまだもって明らかではないが、大筋言えることは関税の廃止に、低減によって安価な食品が身の回りに溢れるということだ。

消費者は、とりあえず価格によって購買を決める。家計のたしにと。

生産者はどうだ。今、農家の現状は「米を作れば作るほど赤字」だということだ。大規模な農家に集約しても解決策にはならない。

我が家の周りからも農地がどんどん宅地化されている。

稲穂が実っている時、それをたとえば車窓から見る人は「豊かな田園風景」として農村を鑑賞対象として誇るだろう。

こと福島に限って言えば、放射能に次いでのTPPということになるような気がする。

何があっても多少の畑があれば自前で食っていける。それは農の「個別的自衛権」だ。

煙草、酒、缶詰・・・なんでも“舶来品”を有難がっていた時代は終わっているはず。

米だって国産米が美味いに決まっている。肉だって国産が美味いに決まっている。

農業は延々と続いてきた日本ならではの「食文化」なのだ。裏の畑でとってきた野菜が食卓にのる。それが農村の「おもてなし」なのだ。農家はそのおもてなしを最上の喜びとしてきたのだ。

東北の片隅に住むことになって四半世紀以上。そこで学んだことの一つだ。
身土不二を体感したことも含めて。

そういえば農民文学とか農村詩人などという文化も無くなってきたような気がして。

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