2016年8月31日水曜日

「歳をとる」ということ

昔、誰かの言葉に「若さというのは、若い者だけが持っているのは余りにももったいないものだ」と言うのがあった。

若さ。それは行動力もあり、知識を吸収できる能力もあり、さまざまな“可能性”を持っているということだ。
歳をとるということは、それらを為すことがだんだん難しくなってくるということだ。
だから、何も考えず、「若さ」という“特権”を行使だけしている若者に与えられている”特権“を、若いということの意味を理解してない若者に対して、いささかの嫉妬を交えた箴言だと思った。

仏教用語に「四苦八苦」というのがある。
「四苦」とは、生・老・病・死を指す。生まれてきた苦しみ、老いて行くと言う苦しみ、病を得るという苦しみ、必ず訪れる死という苦しみ・・・。

この「四苦」ということについても、人それぞれ、それぞれの年代によって受け止め方、考え方が違う。

高齢化社会。誰でもそのことは知っている。しかし、それを実感している世代と、体感している世代と、「社会問題」として捉えている世代とでは、どこか“相違”するものがある。

昨日、公安員会から運転免許更新の通知が来た。後期高齢者の講習通知。3年前はまだちょっとした講習と実技だった。
今度はそれに認知症検査が追加されている。講習時間も長そうだ。

市から「敬老会」の案内が届いていた。参加すれば記念品をくれると言う。
もちろん行くわけは無いけれど・・・。

年齢を、年寄だということを“公的機関”から知らされると言うこと。

自分ではまだ「老人」、「高齢者」という意識が希薄だ。
たしかに、去年の“脳梗塞”以来、体力は急激に落ちている。体力的に年をとったな、との実感はある。

しかし、頭の中は、まだまだ多くの事を吸収したいという“欲望”に溢れている。
その欲求はむしろ増しているようだ。

年金暮らしであるにも関わらず、新聞で得た“情報”をもとに、すぐ本を買う。
アマゾンでは買わない。手に取って字の大きさを確認しないといけないから。

そして、さまざまな「世相」について考えることが多くなっている。
ただし、問題なのは、本を読んでもその中身を“忘れて”しまうことが多いのが悩みなのだが。

むのたけじさんが亡くなった。101歳。今年の「憲法集会」での振り絞るような演説を聴いた。経歴含め「反骨の士」だ。

笑い話のようだが、かかりつけ医に言った。
「101歳まで生きたい」と。彼は真顔で答えてくれた。「生かします」と。それは単なる“延命”ではないと言うことはお互い納得の上でだ。

永六輔、大橋巨泉・・・。物言う大人が、老人が相次いで亡くなっていく。

「歳をとる」ということは、自らの経験も含めて、「物を言い続けること」だと思っている。だから常に考え事ばかりして“疲れて”いる。

古典に通暁した名伯楽とでもいうような知人がいる。98歳。脚はかなり衰えているが毎朝木刀の素振りは欠かさないそうだ。
彼はいつの頃からかサムエル・ウルマンの「青春」という詩を座右に置いている・・・。

永六輔も巨泉も、むのたけじも「孤独に思考し、一人の人間」として物を言ってきた。と思う。

いかなる組織にも属さず、群れずに、彼らの後に続きたいと思う。

だから、一人で自分の言葉で喋る。
自分の言葉で、書き続ける。

台風の中、濁流の中に立っていた水鳥のように・・・。

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