2016年10月30日日曜日

「唯一の被爆国・唯一の被ばく県」の中で考える

日本は世界で唯一の被爆国である。しかも二つの都市に原爆を投下され、多くの市民が死亡し、今なお、被爆の影響下で苦しんでいる人たちがいる国である。

核兵器使用反対、核兵器根絶を言える“権利”を持っている唯一の国である。

しかし、その被害者であった国が核兵器禁止に関して、国際社会で「曖昧」な態度をとり続けている。

単純に言えば、アメリカを中心とした、「パワーバランス」の枠の中に組み込まれ、「禁止」への積極的意志が感じられないのがこの国なのだ。

国連の委員会で「核兵器禁止条約について来年から各国が協議する」という決議に日本は反対した。

決議は賛成123カ国、反対38カ国で採択された。この数字の結果だけではまだ国際社会は健全なのだ。

しかし、それが、その“意図”が何であれ、核兵器禁止に向かおうとする動きに日本はなぜ反対するのか。
原爆投下国であるアメリカと歩調を合わせて。

そこには「外交の独自性」は存在しない。
日米同盟の名のもとに、アメリカ追随外交を続けている国としか映らない。

核兵器に関しては、被爆国でありながら、その反対運動をしてきた組織、原水協と原水禁に分裂した過去の「負の反対運動」の歴史がある。

単純に言ってしまえば、共産党と社会党の”路線対立“に組み込まれてしまったということだ。

今は違うはずだ。「被団協」という被爆者とNGOが作った団体があるだけだ。

被団協は「決議」が採択されたことを歓迎するとともに、アメリカ追随外交を臆面もなくやってのける日本政府に怒りの声をあげた。抗議文も政府に送ったという。

核を持つ国に追随するだけで、独自のきちんとした意見はないのか。立場は無いのか。

原発についてもそうだ。影響は国全般に及んでいるはずなのに、唯一の被ばく県「福島」は、原発に関して、明確な態度を示していない。
日本政府に「追随している」ようにしか見えない。

まだ10万の人が避難している。子供の甲状腺がんについてはまだまだ何十年も先まで、その影響が懸念されているというのに。

この国は何をめざし、どこへ向かおうとしているのか。さっぱりわからないのだ。いかに「外交テクニック」が必要な事だとはいえ。

わかりやすい政治、わかりやすい外交、わかりやすい東電との交渉、わかりやすい政府との交渉。

もろもろ“複雑さ”が増す中にあって、「わかりやすさ」が一番求められている時代ではないのか。

論語に「よらしむべし しらしむべからず」と読み下される一章がある。

“為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない”

大方の解釈だ。でも違うと思う。孔子の思想からすれば。

「人民に知ってもらう、わかってもらうことは難しい。だからわかってもらえる努力を為政者はしなければならない」と読み解くべきだと。

得てしてエリート官僚は、事を難しくし、自分たちの「優位性」を確保しようとする。

今年の「ヒロシマ」は何だったのか。オバマも、そしてもちろん安倍も。安倍は広島の空の下で、全国民、全世界に向けて“核廃絶”を読んでいたと記憶しているのだが。

なんかうすら寒い予感さえしてくる。

原発で生じた多くの核物質。それらを再利用してこの国は“核保有国”、核兵器を持とうとしているのではないかと。抑止力と言う名のもとに。
非核三原則すら国会で言うのをためらった人なのだから。

亡くなられた三笠宮のことを、遅まきながらもうちょっと勉強してみようとも思う。
戦争のこと、皇室の在り方の事。宮の発言や書かれたことを知っていた人は多いみたいだ。それがなぜ生前に話題とされずにきたのか。

何故、メディアや識者がそのことを、それらの事を「発信」しなかったのか。

そんな今のこの国の「空気」に抗う意味でも。

ハロウィンの仮面、仮装の中に隠されているような”素顔“を確かめる意味でも。

仮面で装う人間社会。山に装いをもたらす秋の紅葉の季節。自然の為せるわざ。

自然と核とはどう考えても「同化」するわけもなく。

2016年10月26日水曜日

この国は“原発後進国”なのかもしれない

あの小国台湾が「原発」から脱却することを決めた。
その他の小国にも、それはリトアニアだったか、原発から撤退することを決めた国もある。

台湾が原発脱却を決めたのは、あの「3・11」での日本の状況を見て、原発の存在を考えて出した結論だ。あの災害に学んだのだ。

台湾は「3・11」時にいち早く我が国に対して支援、援助を行ってくれた国だ。

近代史の中では台湾と日本の間には、さまざま「軋轢」もあった。
田中角栄が成し遂げた日中国交回復。それの“犠牲”になったのは台湾。

しかし、今は台湾と日本は文字通り「一衣帯水」の間柄になっていると思う。

とにかく台湾と言う国は、今の台湾の政権は、日本に学んで原発を止めることにした。
台湾が学んでなぜ当事者の国が学べないのか。摩訶不思議なことなのだ。

新潟県は新潟市民は福島に学んだ。知事選挙の事だが。“民意”は原発ノーだったのだ。

選挙報道の常だが、政治の専門家と言う人は、選挙の結果について、政党間の問題や支持団体の問題を論議する。労組のこと。連合という“組織”のこと。
もっと根源的なことを議論すべきではないのか。

確かに「連合」という組織は理解に苦しむ。

「3・11」後、沈黙を守る東電労組に激しく疑義を唱えてみた。上部団体の電気労連にも。そして連合にも。
NHK労組の日放労にも民放連にも新聞労連にも“文句”を書いた。

しかしマスコミ労組も大方は”沈黙“の側にいた。

「原発反対」を叫んだ“制服向上委員会”というアイドル歌手のグル―プはどうしているのだろう。
キザの塊だった石田純一はテレビで姿を見ることがなくなった。
シールズに希望をみたと言った長淵剛の話しも、今は、テレビでは聞けない。
干されているのだろうか・・・。

かつて、田中角栄事務所は平河町の砂防会館というところの中にあった。元自民党本部があったところだ。

自民党本部は国有地であった国会用地の一部を借りる形で今のところに移った。

総理大臣になってからも角栄は「公務」が終わると砂防会館の事務所に立ち寄っていた。

その頃のある日の記憶がある。

角栄がエレベーターを降りると廊下や人のいない会議室に煌々と電気がついていた。彼はそのスイッチを一つ一つ切って回った。
「無駄はいかん」と。
片や原発推進の旗振り役のような政治もやり、片や電気の無駄遣いを怒った。

「エネルギーの大事さ」を痛感していたからではないか。

今流行の「角栄本」の中にはこんな話は登場しない。

少なくとも「福島原発」の建設に意を用いたのは彼だ。電源三法を作り、立地地域や福島県までも“潤わさせた”。
列島改造論にもつながる電源三法。

しかし、当時と今とでは立地地域の在り方も国が必要とするエネルギー需要も違う。

要するに電気は足りているのだ。

電気。それには角栄のやったような「節約」を旨とする倫理観すら伴う。
電気を生んで来た原発。そこには倫理観は無い。
少なくとも昨今の政治の中では。

小泉純一郎は“不明”だったことをもっと恥じて、原発ゼロ運動に積極的に動くべきだ。賛同する政治家がいないとも限らない。

原発再稼働推進。それは原発というものについて言えば“後進国”なのだ。

原発に関して「福島県民」の”民意“はよくわからない。

民意どころでは無い。知事の言っていることすら理解不能なのだ。

最近アメリカで言ったこと。

“「避難地域は県全体の面積の5%のみで、95%では市民は通常の生活を送っている」”という認識。

5%の地域の避難者とは8万8千人だ。震災関連死も止まらない。深刻なのは自殺だ。
数字では語れない5%の厳しい現実に目を向けていかなければ、福島の復興などありえない。

廃炉の経費はよりかさんでくる。東電は「分社化」という手練手管を弄してくる。
「原発戦争」はまだまだ続く。その中で、少なくとも福島県が“原発後進県”であってほしくはないと念じるのみなのだが。

2016年10月24日月曜日

ノブレス・オブリージュ

フランスに「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。
直訳すれば“高貴さは義務を強制する”となるらしい。
財産や社会的権力、地位を持つ人は責任を伴うということだ。

一時話題になったタックス・ヘイブン。租税回避地。パナマ文書で暴露された「金持ちの実態」。
また新たな文書がウキリークスの知るところとなり、解析が進んでおり、公表の運びになるという。
そこには「心ある多くのジャーナリスト」が参加していると聞く。

原発再稼働の問題で、自民党の閣僚は国会でこう壮語した。
「原発を再稼働せずに石油を輸入し続けるのは“国富”の流出だ。

アダムスミスの「国富論」でも読んでごらん。見えざる手を見ようとしてごらん。
それはともかく・・・。

タックスヘイブンを利用している金持ちがちゃんと税金を支払ったら、世界中の問題はどれだけ解決するのか。
飢えに苦しんでいる人たちが何人救われるのか。

素朴な疑問だ。

年間に各国で合わせて数十兆円規模の税収が失われている。
これこそ「国富の流出」じゃないのだろうか。

増えつづける社会保障費、子どもの貧困や、教育の格差なども。
金持ちは貧乏人(これ、差別用語ではありません)よりももっと倫理観や道徳観を持つべきだ。

金持ちとはある意味「知恵のある人」だ。あらゆる手立てを弄して普通の人や貧乏人からカネを巻き上げる。
「学問のすすめ」という本にも書かれている。学問のある人は金持ちになり、学問の無い人は貧乏人になる。と。

その学問って何だろう。

大企業は脱税や、それに類したことに、学問のある人を使って腐心する。

政治家とて同じだ。
チンケな話だが、あの白紙領収書や政務活動費の偽申請。

彼らに論理性や道徳観を要求することはまったく無意味なことなのだろう。

昨日、衆院の補選があった。
全くの低投票率だった。

きのういくつかの地方首長の選挙があった。
その多くの選挙の投票率はなんと30%台だった。

やはり、今の政治は国会も地方でも「見放された存在」としか受け取られていないようだ。

政治家は去っても政治は残る。

ノブレス・オブリージュという言葉も、グッドルーザーという言葉もこの国には存在しない。
勝者だけがもてはやされる国になってしまったのだ。


エリザベスサンダーズホームに資金援助していた人は誰だったのか。
ねむの木学園を支え続けて来たのは誰だったのか。

私財を社会福祉に寄贈した名も無き国民は誰だったのか。

毎年くる「税金」は大方滞納している。
昨日か一昨日、督促状が来ていた。

後期高齢者健康保険料と、国民健康保険の四半期分。4万円から5万円払わねばならない。
生命保険料や固定資産税、自動車の保険料、車検代・・・。

「食う」だけでは生きてはいけないのだ。この国の制度としては。
年金から所得税と介護保険料が天引きされている。

年金だけでは暮らしてはいけない。実態だ。
なんとかして月数万円でもカネを稼がねばならないのが実態。自分の事ですよ。

「年金の使い方がわかりません。年金を使いにメシを食いに行きましょう」と半ば冗談めかして言った企業の経営者だった人。

悠々自適の老後。それを体現出来ている人はどれくらいいるのだろう。

もう数年たってからの我々老夫婦。「サ高住」になんて入れっこない。

なんでこんなぼやき節を書いているのか。

むのたけじの言葉ではないが、「考える」ということを考えたからだ。

お目ざわりでした。

2016年10月22日土曜日

「琉球処分」と「福島処分」

沖縄、高江の米軍ヘリパッド建設をめぐる住民たちと機動隊との対峙。大阪府警の機動隊員の「土人」「支那人」発言問題。

多くの人が語っているように、それはまさしく「沖縄差別」が具現化した一つの現象。

発言した機動隊員は「その言葉の意味を知らなかった」と“無知”ぶりで言い訳し、府知事はそれをかばい、一部の大阪メディア(テレビ)は“発言”を支持し、明らかに沖縄に対する侮蔑発言を“敢えて”流している。

大阪と言うところは、自分の出自ともいささか関わっているが“被差別部落”の問題を抱えているからか。
差別意識の強いところだ。
他人を見下げる傾向が強いところだ。
あの機動隊員二人の”出自“は知らないが、あきらかに関西弁を使っているところみるとそこが地元なのだろう。

高江。フェンスの向こう側にいたのは26歳と29歳のガキ二人の親や祖父母の年齢の人だ。
「警察」という権力の中では、一般市民に対するとき、常に自分たちが優位な立場のいるという意識を持っている。
身近にある交通事故。ちょっとした事故でも警察を呼ぶと、孫のような若造がたいした口をきく。偉そうな。
交通違反でも然りだ。

警察の一部にある「染みついた特権意識」だ。文句をいうと「公務執行妨害」だとダンビラを振りかざす。

同じ国の中での(同じは琉球処分に由来することでもあるのだが)暴言の投げつけ。

それは戦後、我々が日常の中で植え付けられていた「差別」に通底するの感ありだ。

人は差別や侮蔑の言葉を用いることで自らを優位に立つものと錯覚する。
人間の哀しい性(さが)だ。

3・11時の総理大臣。菅直人。
彼は国会で沖縄問題を問われた時、「いま琉球処分という本を読んで勉強中です」と答えていた。
沖縄のことについては全くの無知だったのだ。

明治政府による琉球処分。日本編入。やがての戦争。敗戦。沖縄は日本であって日本では無かった時代。そして政治の思惑による米軍基地問題。
多くの土地接収から始まって、常に“犠牲”を強いられてきた沖縄。

3・11後の福島もそうだ。
国策による原発立地。多くの土地収用。原発事故後の国の対応。
安倍政権になってからも「アンダーコントロール」発言が象徴するような、見て見ないふりの、偽りの姿がふりまかれる福島。

一時期、それを「福島処分」と名付けて書いた。沖縄問題との相似性を痛切に感じながら。

塾生の一人が新婚旅行も兼ねて沖縄に行った。行く前に彼に言った。決して観光旅行にしてはならないぞ。と。
彼はそれを守ってくれた。ひめゆりの塔から始まって「戦跡」を歩き、「記念館」を訪ねた。

「実際に見てみると、考える材料はあまりにも多いんですね。その地で、その地の歴史を、悲劇を資料を見るだけでも与えてくれる物が、伝わることが多かったです」。
なによりもの土産だった。彼ら夫婦が「経験」したと言うことが。

死んだ人間の魂は何処へ行くのか。
柳田国男は「山」だと唱えた。折口信夫は海だと言った。

「ニライカナイ」。折口が思索の上でたどり着いた思想だ。

ニライカナイ、その地は沖縄の、沖縄の彼方の海にある。
日本人は何処から来たのか。そのルーツをめぐる3つの説。
アイヌ説・大陸「支那」からのヤマト説、卑弥呼伝説に見られるところの。・そして琉球説。沖縄のもっと南からの説。

「日本人とは何だ、日本人とは誰だ」。
もしかしたら”先祖“は琉球かもしれないのだ。
そう、あの無知なる機動隊員、それを擁護する政治家やメディアはそんなこと考えたことあるのだろうか。

2016年10月19日水曜日

“新潟”に見た民主主義

若い人たちとある集まりを持っている。今年1年間のテーマは「民主主義を考える」ということ。
ギリシャ語のデモスとクラトスに由来するのがデモクラシー。
それが「民主主義の原点だ」というようなことも含めて、議会制民主主義とは民主主義の一つの形式に過ぎない。多数決の原理もその制度の一つだということも含めて。

「街場の民主主義」ということを強調し、民主主義とは何かということを身近の事から考えてもらいたい、一緒に考えようという集まり。

今、この時代、民主主義とは何か、ということを大人も若者もあらためて考えなくてはならないと思うから。


新潟の知事選。下馬評を覆したというか、絶対有利と言われていた自公の候補を破って「反原発」「脱原発」「原発への疑義」を掲げた候補が当選した。
なぜ立候補をとりやめたのか、その理由がまったく“不透明”なままの泉田知事に代わって。

この選挙、政党間の選挙と言うより、新潟県民が、市民が出した結果だということ。支持政党とは関係なく。

「原発は嫌だ」という市民感覚が出した“街場の民主主義”の結果だと捉えている。

知事選の争点はまったくもって“原発一色”だったと聞き及ぶし。

民進党議員であった米山隆一と言う人が、“予想”を覆して当選した。自公対野党という選挙の構図は当てはまらなかったようだ。

福島の原発事故に、事故後も、一番関心を寄せていたのは新潟県民だ。
その中にはあの中越地震の時、柏崎刈羽原発が「あわや」という事態があったことを知っているからか。

奥羽越列藩同盟以来の、「こころね」のようなものがあるのか。ま、この例は正鵠を得ていないだろうが。

自公と言う巨大与党は慢心していたし、泉田不出馬でことは決まりと思っていたのだろう。
ところが”民意“は違っていた。

政党の枠で物を考えず、自分たちの事として”原発“を捉えていたのだ。

野党共闘。参院選でクローズアップされた政治問題。巨大与党に対抗するには野党共闘しかない。にもかかわらずだ。

民進党という政党はどこを向き、何を考えているのか、未だに理解できない政党だ。
自主投票という道を選択した。“党議拘束”を外した。もっともそんな永田町ルールが該当するわけではないのだが。

巨大与党は民進党をなめきっている。なめられても仕方ない。確固たる「姿勢」が見えないのだから。

福島の原発。誘致に励んだのは当時の木村知事だった。仕掛けたのは読売新聞社長の正力松太郎。木川田一隆らも絡んでいた。
政治が推進力となったのは田中角栄による「電源立地3法」。
多額の交付金が福島にもたらされた。

新潟原発に田中角栄がどう関わったかはつまびらかにしない。

角栄が内閣総理大臣になった時、こう言ったことをはっきり覚えている。
「俺が(わしが)総理大臣を辞めた後は新潟県知事になる」と。

彼を支えてきた「越山会」はいまや雲散霧消した。歴史の必然だ。
しかし、角栄を支持してきた県民性はいまだどこかに残っているはずだ。

反原発を唱える、原発再稼働に慎重姿勢をとる知事がまたも登場した。
その知事を選んだ新潟県民。
そこになぜか角栄の「ルサンチマン」を見ると言うのはあまりにも身贔屓すぎるのだろうか。

福島県知事に関しては何も語りたくない。語れるべき“対象”と見てはいない。
自由民権運動の発祥の地のひとつである福島県。

その県民の”民意“についても同様に思えて。

新潟県知事選での「敗北」について、自民党の幹部は「あらゆる手を打ち、負ける理由がないのに負けた」と分析しているという。

負けた理由はある。「民意」だ。

2016年10月16日日曜日

「ディラン」と「春樹」と「風」

ノーベル文学賞を歌手のシンガーソングライターのボブ・ディランが受賞した。
「偉大なアメリカの歌の伝統に、新たな詩的表現をつくりだしたこと」が受賞理由だと選考委員会は述べた。

詩と文学と。

文学賞に詩が該当するのかどうか、議論は別れているようだ。
でも、詩は文学であっても構わないのではないか。
ホメロスの大叙事詩は文学そのものではなかったのか。

文学というといささか難解なものを珍重する傾向があるようだが、詩だって”難解“なものはある。

それにしてもボブ・ディラン。懐かしい名前だ。
彼の代表作「風に吹かれて」。

これまで何回聴いただろう。聴かされただろう。
歌詞の和訳の一つ。
「どれだけ道を歩けばいいのか。一人前の男と呼ばれるまでに。
幾つの海を白い鳩は渡らなければならないのか。砂浜で安らぐまでに。
何回砲弾が飛ばなければならないのか。武器が永久に禁じられるまでに。
その答えは友よ、風に舞っている。答えは風に舞っている」。

風とは何か。

風に舞っている答えを見つけるのは歌を受け止めた人のそれぞれの思考に委ねられている。と思う。

風とは「空気」だ。

ノーベル文学賞候補に今年も村上春樹が挙げられていた。いや、正確にいうなら、そう我々は期待していた。

村上文学のフアンである。あの春樹ワールドにずっと惹かれて来た。
村上春樹の小説家としての第一作は「風の歌を聴け」だった。
トルーマン・カポーティーの「shut a final door」の最後の一行。
「think of nothings think of wind」という言葉から引用された小説の題名。

村上文学にも最初から「風」が登場している。考える材料の一つとしての「風」。

そして、村上春樹も多分ボブ・ディランのフアンだったのではないか。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中にもボブ・ディランの名前が登場している。

村上文学の特徴は、常に「音楽」を伴っていること。それが魅力の一つだと思っているのだが。

4巻にわたる「1Q84」が出された少しあと、4巻目の終わりが何やら続きを思わせるようだったので5巻目を期待していた。

その頃だ。ちょうど「3・11」が起きたのは。

春樹が「3・11」をどう捉え、どう書くか。期待した。結果、書いてはいなかったような気がする。ちょこっと触れられた著作もあったようだが。

「多崎つくる」にはそれが巡礼の旅とされていることから多少の“予感”は持ったが、期待には応えてくれていなかった。
「女のいない男たち」も、「職業としての小説家」にしても、いささか食い足りないものが去来した。

それはそれとして、ボブ・ディランにしても村上春樹にしても「風」という言葉で繋がっている。

ガロの♪学生街の喫茶店♪という歌が流行った時代がある。喫茶店で黙って聴いていたボブ・ディラン。

この頃のいわゆるフォークソングに敢えて名前だけを書いたということ。
ボブ・ディランという名前を書くことによってあの頃の、1960年代後半から70年代にかけての“沈黙し始めた”若者にメッセージを与えたと言うこと。

風とは空気だと書いた。

今、我々の周りに吹いている風は・・・。
我々を取り巻いている空気は・・・。
そして世界を覆っている状況と空気は・・・。

砲弾は飛び交っている。白い鳩の象徴である平和は極論すれば言葉遊びのように使われている。

ノーベル賞選考委員会が「風に吹かれて」という曲だけを対象にして選んだのではないことは勿論だが、“不易流行”という言葉がある如く、あの歌が今歌われていても何の違和感もないということ。
いや、あのベトナム戦争の頃よりも、現在に通じる曲であり、詩であるということ。

古色蒼然としたようなノーベル賞選考委員会もなかなか「粋な計らい」をしたもんだと。

2016年10月11日火曜日

「死んだ男の残したものは」


身近で“男”が一人死んだ。
数か月患った後。

あらためて秦恒平の「死なれて・死なせて」を思う。

帯封にある数行。
“かけがえのない愛する人に死なれ、生き残った身に迫る「死」の意味の重さ。
死別の悲哀を生きる“

「死」について考えている今、この時でも、世界では何人もの人が死んでいる。
例えばシリアで。
例えばアフリカのどこかで。

例えば日本のどこかの施設の中で。
例えば交通事故で。

病死もあれば、事故死もある。殺人と言う行為の中での死もある。
天災による突然に襲われた死もある。
さまざまな理由や環境の中での自死もある。

「いじめ」という陰湿な行為の中で、若くして命を絶った者もいる。

かつてベトナム戦争のあった頃、谷川俊太郎の書いた詩がある。

「死んだ男の残したものは」

死んだ男の残したものは
ひとりの妻と ひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と ひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と 乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ 残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ 残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私 生きてるあなた
他には誰も 残っていない
他には誰も 残っていない

そして、最後の章。
死んだ歴史の残したものは
輝く今日と また来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない


最後の章をどう読み解いたらいいのだろうか。
今日は輝いているのか。輝いてはいない。
また来る明日は今日の続き。
人は死んでも歴史は死なない。
もし、死んだ歴史というものがあるとすれば、“民主主義”という歴史かも
しれない。

少なくとも、国家が国民を死に追いやる行為だけは許してはならないと思う。

「3・11」で、多くの死者に遭遇した。

もちろん直接では無いが。
直接の当事者である、残された家族や仲間は、未だに「喪失感」から抜け出せ
ない人もいる。

津波による突然の死もあった。
原発事故による災害関連死もあった。

天災は、熊本でもあったように、必ず「死を伴う」。それに抗する術を我々は持
ったわけでは無い。

しかし、人災は、まさに原発事故がそうであったが、それが訓えているように、
その気になれば防ぐ手立てはあるのに。

つまらない話だろうが、いつまで生きるのか、生きられるか。
死への準備をしなくてはならないのか。

時々考える時がある。いや、考えるべきことなのだろう。

今年も、何人かの人の葬送の儀の場につらなった。

その場で想う「死」ということ。

一人が死ねば何十人もの人が悲しむ。悲嘆にくれる。

「忘れられた死」もある。「忘れられない死」もある。

生きている以上、必ず向き合わなければならない死。その死の前で僕は立ちす
くむ。

秋から冬へ。立ち枯れの季節。もろもろ命が果てる季節。死を考え出すと終着
点が無い。

“犬失せて我が身木枯らし吹きすさぶ”

2016年10月10日月曜日

「首都機能移転」という“幻影”のこと

「3・11」後、それがどうなったか知らないが、東北新幹線の下り線、那須塩原駅近くの田んぼの中に、そう、それはまるで古びた案山子のように看板が立っていた。
進行方向左側の窓から注視していればわかる。

「那須野が原に首都機能移転を」と書かれた看板だ。

まもなく21世紀を迎えようとしていた1990年代の1時期から2000年代にかけて、この国は「首都機能移転」という“列島改造論”に揺れていた。

国会でも「移転推進」が衆参両院で決議され、まさに21世紀を向かる直前、その候補地までが決められていた。

福島の阿武隈高原地域、那須野が原一帯・・・。

その他の候補地も含めて地方自治体は「誘致合戦」を繰り広げていた。

それがある日、突然のように「沙汰止み」になった。

バブル経済による東京の地価高騰が移転論の始まった一つの要素。
沙汰やみになったのは地価高騰が沈静化したこと。

当時の都知事石原慎太郎が「断固移転反対」を言った。
時の総理の小泉純一郎も「論議凍結」を言った。

首都機能移転。まともとはじめからおかしな話しだったのだ。

明治政府が東京一極集中策をすすめ、戦後も、昭和の時代も、一極集中は当然だったのだ。
東京は地方の人を東京に呼び寄せた。地方の人は東京へ行くことを望んだ。

「人口問題」はあまり俎上に上ってはいなかったし。

移転論が盛んな頃、国土庁にも担当部局が置かれていた。
福島県も誘致に懸命だった。知事は佐藤栄佐久と言う人だった。

せめて国会(立法府)機能だけでも阿武隈高地にと。

6万人の「民族大移動」計画。

昔、ブラジルに行ったことがある。
首都はそれこそ「移転」されたブラジリアという都市。

立派な建物がそびえ立っていたが人間が生活しているという空気は全く無かったという印象。

もし、阿武隈高原に立法府だけでも移転させたとして、6万人の“欲望”を満たし、消化出来る“歓楽街”が出来るのかと疑問視した。

6万人の人がそこで仕事をする以上、「人間的な生活環境」は必要なのだ。

そんな「環境」についての論議は交わされたことは無かったと記憶している。

首都機能移転の機運が雲散霧消してしばらくして阿武隈の台地は大地震に揺れた。放射能がふりまかれた。

もし、「移転政策」が成り立っていたら・・・。

人口減が続く中、東京だけは人口増だという。
省庁の一部を地方に移転させると言う話があった。

地方創生などという“わけのわからない”話が時々登場する。

今の東京都の汚点の数々。石原都政の時の残滓だ。

東京には、「人間臭さ」が、あらゆる意味で集結している。歓楽街含めて。
だから成り立っている都市なのだ。

小池百合子の登場によって、都政の「汚点」が明るみに出た。

「地方消滅」を書いた人なら、闇から闇に葬られていたかもしれない大都会ならではの謎の数々。

そして首都機能移転にみられるように、ころころ変わる政策。築地市場の移転話にしても、都政の混乱にしても、おおもとに何かの意図があり、それに振り回される人々がいる。

首都機能移転の旗を振った、その“渦”の中で踊らされた県民も数多くいたはず。
もうほとんどの人が忘れているであろう「数年間の時代」にあったことの事。

そして「都庁」というところのあまりにも自己保身を優先させ、嘘が嘘の上塗りをしているところ。

石原は「伏魔殿」だと言った。その通りだ。昔、都庁に就職した先輩から聞かされたことがある。

営々として君臨する伏魔殿。そこの「大魔王」を演じていた懲りない男。

オリンピックに群がり、利権と“栄誉”を味わいたいとする人たち。

「平成の大改革」が必要なのだ。

“負”の歴史は忘れ去られる。首都機能移転という「から騒ぎ」を覚えているものとしての感想。

急速に忍び寄る秋の気配。
稲刈りが終わったあの田んぼの中の「案山子」はいまどうなっているのだろうかとふと・・・。

2016年10月4日火曜日

「秋刀魚」のこと

秋刀魚の美味な時期である。このシーズン、何回食しただろうか。
ただ、福島のいわき沖でのサンマには、まだ、おめにかかれないが。

福島に来て、はじめて知った。「さんま刺し」、さんまの刺身と言う食べ方を。
そしてそれがとびきり美味だということを。

そのいわき沖のさんま。数年間の「休漁」を余儀なくされ、漁獲量が激減したという。
一つは温暖化による海流の変化。秋刀魚の生息地の変化。それと中国や台湾のはるか沖合での公海での大量捕獲。
近海物は「小さめ」になっているとも聞く。

秋刀魚に限らず「常磐もの」は築地市場でも好評だったと聞くのだが・・・。

戦後間もなく、どこの家庭でも秋刀魚は食卓を賑わしていた。1年間ほど暮らした「戦災長屋」。夕食時、どこの“家”からも炭火の七輪で焼く秋刀魚の煙が上がり、生活しているということの「光景」だったのだ。

ラジオからはしきりに「♪安くて美味いよさんま、安くて美味いよさんま、さんま~~さんま」という歌が流れていた。

その歌の歌詞が佐藤春夫の”原作“であるらしいと勝手に思ったのはずっと後のこと。

“あはれ秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて、今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて 思ひにふける と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

秋刀魚は「高嶺の花」どころか「高値の花」になった。最近は、しばしば、値段が比較的安い時に秋刀魚を食す。
男一人ではないけれど。

油の乗った秋刀魚は、子供の頃に慣れ親しんだ味覚のせいか、郷愁をも伴って美味い。
七輪ではなく、つまり炭火ではなく、レンジで焼くのはいささか風情に欠けるという、ある種の“贅沢感”を覚えながら、だ。

秋刀魚の歌のいささか後の時期になろうか。流行っていた、ラジオからいつも流れていたのは「コロッケの唄」。

 ワイフもらってうれしかったが いつも出てくるおかずがコロッケ
 きょうもコロッケ 明日もコロッケ これじゃ年がら年じゅう
コロッケ、コロッケ

熱々のコロッケを頬張るのはなんとも嬉しい。

よく買い物に行く肉屋さんの名物コロッケ。90年間同じ味だとご亭主は言う。
たしか一個90円だったか。

食品ロスの話を聞き、フードバンクの話題を聞き、テレビで年がら年中やっているわけのわからない「グルメ番組」を見て、なぜか思う「サンマ」と「コロッケ」のこと。

豊かな国と言われる中での庶民の食卓のこと。

秋・・・。

きょう我が家の周りでは稲刈りが終わった。黄金色が土色に変わった。


昔,小津安二郎監督の「秋刀魚の味」という映画があった。あの笠智衆の渋い演技。
どこの家庭にもあった光景。

妻が死に、娘が嫁に行き、戦争が、古い時代が、彼の青春が「終わった」。
この映画の主題は「時代」ということかもしれない。
「秋刀魚」という魚になぞらえて、あの時代の映画はさまざまなものを問いかけている・・・。もちろん「戦争」をもだ。

余りにも「人間臭」漂う映画に、未だに惹かれるのは老いたせいかな。とも。