2016年10月19日水曜日

“新潟”に見た民主主義

若い人たちとある集まりを持っている。今年1年間のテーマは「民主主義を考える」ということ。
ギリシャ語のデモスとクラトスに由来するのがデモクラシー。
それが「民主主義の原点だ」というようなことも含めて、議会制民主主義とは民主主義の一つの形式に過ぎない。多数決の原理もその制度の一つだということも含めて。

「街場の民主主義」ということを強調し、民主主義とは何かということを身近の事から考えてもらいたい、一緒に考えようという集まり。

今、この時代、民主主義とは何か、ということを大人も若者もあらためて考えなくてはならないと思うから。


新潟の知事選。下馬評を覆したというか、絶対有利と言われていた自公の候補を破って「反原発」「脱原発」「原発への疑義」を掲げた候補が当選した。
なぜ立候補をとりやめたのか、その理由がまったく“不透明”なままの泉田知事に代わって。

この選挙、政党間の選挙と言うより、新潟県民が、市民が出した結果だということ。支持政党とは関係なく。

「原発は嫌だ」という市民感覚が出した“街場の民主主義”の結果だと捉えている。

知事選の争点はまったくもって“原発一色”だったと聞き及ぶし。

民進党議員であった米山隆一と言う人が、“予想”を覆して当選した。自公対野党という選挙の構図は当てはまらなかったようだ。

福島の原発事故に、事故後も、一番関心を寄せていたのは新潟県民だ。
その中にはあの中越地震の時、柏崎刈羽原発が「あわや」という事態があったことを知っているからか。

奥羽越列藩同盟以来の、「こころね」のようなものがあるのか。ま、この例は正鵠を得ていないだろうが。

自公と言う巨大与党は慢心していたし、泉田不出馬でことは決まりと思っていたのだろう。
ところが”民意“は違っていた。

政党の枠で物を考えず、自分たちの事として”原発“を捉えていたのだ。

野党共闘。参院選でクローズアップされた政治問題。巨大与党に対抗するには野党共闘しかない。にもかかわらずだ。

民進党という政党はどこを向き、何を考えているのか、未だに理解できない政党だ。
自主投票という道を選択した。“党議拘束”を外した。もっともそんな永田町ルールが該当するわけではないのだが。

巨大与党は民進党をなめきっている。なめられても仕方ない。確固たる「姿勢」が見えないのだから。

福島の原発。誘致に励んだのは当時の木村知事だった。仕掛けたのは読売新聞社長の正力松太郎。木川田一隆らも絡んでいた。
政治が推進力となったのは田中角栄による「電源立地3法」。
多額の交付金が福島にもたらされた。

新潟原発に田中角栄がどう関わったかはつまびらかにしない。

角栄が内閣総理大臣になった時、こう言ったことをはっきり覚えている。
「俺が(わしが)総理大臣を辞めた後は新潟県知事になる」と。

彼を支えてきた「越山会」はいまや雲散霧消した。歴史の必然だ。
しかし、角栄を支持してきた県民性はいまだどこかに残っているはずだ。

反原発を唱える、原発再稼働に慎重姿勢をとる知事がまたも登場した。
その知事を選んだ新潟県民。
そこになぜか角栄の「ルサンチマン」を見ると言うのはあまりにも身贔屓すぎるのだろうか。

福島県知事に関しては何も語りたくない。語れるべき“対象”と見てはいない。
自由民権運動の発祥の地のひとつである福島県。

その県民の”民意“についても同様に思えて。

新潟県知事選での「敗北」について、自民党の幹部は「あらゆる手を打ち、負ける理由がないのに負けた」と分析しているという。

負けた理由はある。「民意」だ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...