2016年10月10日月曜日

「首都機能移転」という“幻影”のこと

「3・11」後、それがどうなったか知らないが、東北新幹線の下り線、那須塩原駅近くの田んぼの中に、そう、それはまるで古びた案山子のように看板が立っていた。
進行方向左側の窓から注視していればわかる。

「那須野が原に首都機能移転を」と書かれた看板だ。

まもなく21世紀を迎えようとしていた1990年代の1時期から2000年代にかけて、この国は「首都機能移転」という“列島改造論”に揺れていた。

国会でも「移転推進」が衆参両院で決議され、まさに21世紀を向かる直前、その候補地までが決められていた。

福島の阿武隈高原地域、那須野が原一帯・・・。

その他の候補地も含めて地方自治体は「誘致合戦」を繰り広げていた。

それがある日、突然のように「沙汰止み」になった。

バブル経済による東京の地価高騰が移転論の始まった一つの要素。
沙汰やみになったのは地価高騰が沈静化したこと。

当時の都知事石原慎太郎が「断固移転反対」を言った。
時の総理の小泉純一郎も「論議凍結」を言った。

首都機能移転。まともとはじめからおかしな話しだったのだ。

明治政府が東京一極集中策をすすめ、戦後も、昭和の時代も、一極集中は当然だったのだ。
東京は地方の人を東京に呼び寄せた。地方の人は東京へ行くことを望んだ。

「人口問題」はあまり俎上に上ってはいなかったし。

移転論が盛んな頃、国土庁にも担当部局が置かれていた。
福島県も誘致に懸命だった。知事は佐藤栄佐久と言う人だった。

せめて国会(立法府)機能だけでも阿武隈高地にと。

6万人の「民族大移動」計画。

昔、ブラジルに行ったことがある。
首都はそれこそ「移転」されたブラジリアという都市。

立派な建物がそびえ立っていたが人間が生活しているという空気は全く無かったという印象。

もし、阿武隈高原に立法府だけでも移転させたとして、6万人の“欲望”を満たし、消化出来る“歓楽街”が出来るのかと疑問視した。

6万人の人がそこで仕事をする以上、「人間的な生活環境」は必要なのだ。

そんな「環境」についての論議は交わされたことは無かったと記憶している。

首都機能移転の機運が雲散霧消してしばらくして阿武隈の台地は大地震に揺れた。放射能がふりまかれた。

もし、「移転政策」が成り立っていたら・・・。

人口減が続く中、東京だけは人口増だという。
省庁の一部を地方に移転させると言う話があった。

地方創生などという“わけのわからない”話が時々登場する。

今の東京都の汚点の数々。石原都政の時の残滓だ。

東京には、「人間臭さ」が、あらゆる意味で集結している。歓楽街含めて。
だから成り立っている都市なのだ。

小池百合子の登場によって、都政の「汚点」が明るみに出た。

「地方消滅」を書いた人なら、闇から闇に葬られていたかもしれない大都会ならではの謎の数々。

そして首都機能移転にみられるように、ころころ変わる政策。築地市場の移転話にしても、都政の混乱にしても、おおもとに何かの意図があり、それに振り回される人々がいる。

首都機能移転の旗を振った、その“渦”の中で踊らされた県民も数多くいたはず。
もうほとんどの人が忘れているであろう「数年間の時代」にあったことの事。

そして「都庁」というところのあまりにも自己保身を優先させ、嘘が嘘の上塗りをしているところ。

石原は「伏魔殿」だと言った。その通りだ。昔、都庁に就職した先輩から聞かされたことがある。

営々として君臨する伏魔殿。そこの「大魔王」を演じていた懲りない男。

オリンピックに群がり、利権と“栄誉”を味わいたいとする人たち。

「平成の大改革」が必要なのだ。

“負”の歴史は忘れ去られる。首都機能移転という「から騒ぎ」を覚えているものとしての感想。

急速に忍び寄る秋の気配。
稲刈りが終わったあの田んぼの中の「案山子」はいまどうなっているのだろうかとふと・・・。

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