2016年10月11日火曜日

「死んだ男の残したものは」


身近で“男”が一人死んだ。
数か月患った後。

あらためて秦恒平の「死なれて・死なせて」を思う。

帯封にある数行。
“かけがえのない愛する人に死なれ、生き残った身に迫る「死」の意味の重さ。
死別の悲哀を生きる“

「死」について考えている今、この時でも、世界では何人もの人が死んでいる。
例えばシリアで。
例えばアフリカのどこかで。

例えば日本のどこかの施設の中で。
例えば交通事故で。

病死もあれば、事故死もある。殺人と言う行為の中での死もある。
天災による突然に襲われた死もある。
さまざまな理由や環境の中での自死もある。

「いじめ」という陰湿な行為の中で、若くして命を絶った者もいる。

かつてベトナム戦争のあった頃、谷川俊太郎の書いた詩がある。

「死んだ男の残したものは」

死んだ男の残したものは
ひとりの妻と ひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と ひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と 乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ 残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ 残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私 生きてるあなた
他には誰も 残っていない
他には誰も 残っていない

そして、最後の章。
死んだ歴史の残したものは
輝く今日と また来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない


最後の章をどう読み解いたらいいのだろうか。
今日は輝いているのか。輝いてはいない。
また来る明日は今日の続き。
人は死んでも歴史は死なない。
もし、死んだ歴史というものがあるとすれば、“民主主義”という歴史かも
しれない。

少なくとも、国家が国民を死に追いやる行為だけは許してはならないと思う。

「3・11」で、多くの死者に遭遇した。

もちろん直接では無いが。
直接の当事者である、残された家族や仲間は、未だに「喪失感」から抜け出せ
ない人もいる。

津波による突然の死もあった。
原発事故による災害関連死もあった。

天災は、熊本でもあったように、必ず「死を伴う」。それに抗する術を我々は持
ったわけでは無い。

しかし、人災は、まさに原発事故がそうであったが、それが訓えているように、
その気になれば防ぐ手立てはあるのに。

つまらない話だろうが、いつまで生きるのか、生きられるか。
死への準備をしなくてはならないのか。

時々考える時がある。いや、考えるべきことなのだろう。

今年も、何人かの人の葬送の儀の場につらなった。

その場で想う「死」ということ。

一人が死ねば何十人もの人が悲しむ。悲嘆にくれる。

「忘れられた死」もある。「忘れられない死」もある。

生きている以上、必ず向き合わなければならない死。その死の前で僕は立ちす
くむ。

秋から冬へ。立ち枯れの季節。もろもろ命が果てる季節。死を考え出すと終着
点が無い。

“犬失せて我が身木枯らし吹きすさぶ”

“チェルノブイリ”異聞

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