全国都道府県、どこにでも歌があります。東京都だって東京都歌があります。
福島県には福島県民の歌というのがあります。
大震災後、テレビやラジオはじめ人が集まるところに流れている歌は「猪苗代湖ズ」という福島県出身のミュージシャンが歌う歌です。
♫I love you & I need you ふくしま♫
あまり好きになれません。特に歌詞が。ミュージシャンの表情が。これって個人の好き嫌いの問題。いいなと思った人はもちろん歌うべき。へそまがり亭主は即座に「なんだいプレスリーのパクリじゃないか」と言ってしまった。
福島県には福島県民の歌というのがあります。昭和45年に公募で出来た歌。
♪しゃくなげ匂う山なみに呼びかけよう若い理想をかざして
あしたの夢がはてなく伸びる
明るいふるさと福島をつくろう
みどりひかるこの空いつまでもああ 福島県
けやきの樹にしあわせの虹かけよう若い血汐を燃やして
嵐をこえて雪崩に耐えて
豊かなふるさと福島をつくろう
ちから満ちるあしおと高らかにああ 福島県
きびたき歌う尾根を背に手をつなごう若いあこがれむすんで
町から村へひとつにみのる
楽しいふるさと福島をつくろう
こころあわせつち音絶やさずにああ 福島県
長々と歌詞を書いてごめんなさい。シャクナゲは県花。きびたきは県の鳥。
かつてはこの県民の歌がテレビやラジオから流れ、学校で歌われていました。いつの間にか”消えて”いきました。なぜだかわかりません。
郡山には郡山市民の歌というのがあります。これもあまり歌われていません。
たぶん、今の郡山の人たちに聞いても県民の歌も市民の歌も知らないという人がかなりいます。
亭主は”変人”なんでしょうか。どの歌も歌えます。歌を覚えました。
なぜか。歌の力っていうのを皮膚感覚で信じているからです。
小学校の校歌も中学も高校も。歌えます。歌うとその時代が蘇ってきます。
先日あった大学の郡山支部総会。恒例になっています。校歌と応援歌を歌うことが。一緒に歌ったからと言って、特別の連帯感がうまれるわけではありません。でも、みんなで同じ歌を歌うってことに心根の変化があるのです。
県民の歌。歌詞にはほとんど、どこでも「ふるさと」という言葉が使われています。亭主は福島県を故郷とは思っていません。感じていません。では、東京は。やはりふるさとなのではないかと思っています。それは幼少時の思い出がいっぱい詰まっている場所だからか。
他所者、流れ者の亭主がなんで県民の歌を覚えようとしたか、なんで覚えたのか、歌えるのか。「今、自分がいる場所が、立っている場所がふるさとなんじゃないか」。そんな想いがあるから。
今、福島県民が、こころを一つにする、いささかの縁(よすが)にする歌がと問われれば、やはり県民の歌ではないかと。
「この空いつまでも。嵐をこえて、雪崩に耐えて。つち音絶やさず」。
いろんな音楽家の人たちが激励に訪れてくれます。いい演奏や歌を聞かせてくれます。つかの間、避難所の人たちも含めて癒されます。音楽の力、歌の力は大きい。だから、四重苦に耐えて、せめてその場に居合わせた人たちが心をひとつにするためにも、県民の歌を演奏して欲しい。一緒に歌いたい。
アンコールで県民の歌をやってくださいと所望したひとがいます。にべもなく断られたそうです。知らない。楽譜が無いと言って。だって、あなた福島県出身でしょ。楽譜なんてすぐ手に入る。知らないっていうのはおかしい。
国歌、君が代ではないのだから。起立して歌わなくてもいいです。学校の先生は校歌を歌うときは起立すると思うけど。座ったままでいいんです。一緒に歌える歌を、共通の歌を歌おう。
郡山市内の防災無線からは昼、市民の歌のメロディーが流されます。朝と夕方は違う。お決まりの童謡。それもいいけど、県民の歌も流してみたらいかがでしょう。せめてメロディーだけでも子供たちの耳に届けてあげれば。
大オーケストラの伴奏で会場の県民みんなが県民の歌を歌う。きっとなにかしら”高揚”するものがあるのではないかと思うのです。
政治に力はないけれど、歌には力がある、音楽には力がある。
津波で家も家族も流された、大船渡高校の佐々木瑠璃ちゃん。彼女が海に向かって吹いていたトランペットの音。東京の人たちの心を動かした。その音に心を揺さぶられた。音楽家同士の心の通い合い。東京で、彼女のトランペットが奏でたザードの曲。負けないで。それが被災地に多くの楽器を届けることにつながた。そして、その楽器を手にした子供たちが、新しい「力」をきっと奏でてくれるはず。
もしかしたら、太古の昔から音楽というのがあったかも。言葉よりも昔から。
2011年6月7日火曜日
2011年6月6日月曜日
「村社会」
村。商工業者を主とする「町」、都市に対して、第一次産業である農林水産業を主たる生業とする人々の集落を「村」という。農村、山村、漁村。
小学校の社会で習った定義。
市町村合併によって多くの村が消えていった。合併を”拒否”して存続している、しかも立派に存続している村もある。そこの根付いているのは相互扶助や連帯意識。ふるさととしての心の拠り所。
からから亭、毎度ご登場いただく飯舘村。村の一つのモデルケースかも。村長(むらおさ)のもとに作られた、良い意味での父系社会。
大震災。破壊された村の数々。行政区画としての名は残すだろうが事実上消えてしまう村もあるという。もはや人が住めないということで。
この国の原点は「村」にあるように思えてならない。
「こんな素晴らしい村をなくしてはならない」。飯舘村に寄せられたメッセージ。
物理的な苦難を乗り越えて、飯舘村は消えない。蘇ると思う。
村ーー。日本人はこの言葉にいろんな意味を込めてこだわる。
度し難い村。それは原子力村。いわば東電の中の派閥。武藤という副社長を村長にして、独自の風土を作り、その村の信条は「排他」。他所者の介入を許さない。身勝手な論理を構築し、勢力の誇示を図る。上下の、ボスと子分との秩序を最高のものとする。
この国の超一流企業の中にあったムラ社会。原子力や電気という文明を扱う企業の中に、第一次産業をなりわいとする村の感覚が持ち込まれている。本来の「村」とは全く違うカテゴリーで。この東電の中にあった原子力村が今日の悲劇を招いた。抹殺すべき村。
永田町という都会のど真ん中にある町に「村」が存在する。自民党の長期政権時代。政党を構成し支えていたのは派閥である。その派閥を、彼ら政治家は「ムラ」と呼んだ。なんら恥じることもなく。「村にもどって決めてきます」。相言葉だった。
たしかに派閥という言葉はあまり使われなくなった。呼び名を変えただけ。今は、気取って「グループ」。民主党も然り。なんとかグループの集合体。グループとはつまり派閥。はっきり言えばいいのにメディアもグループなんて呼び名を倣い、派閥の弊害なるものを隠そうとする。大の大人がグループになって時局に対処する。そのグループでの意思決定に従う。なんら派閥と変わらない。原子力村と同じような。
原子力村は東電の中だけではない。学者の中にも存在していた。多分、その「ムラオサ」は斑目という名前だったのだろう。この村も”悲劇”の主犯。
テレビでご託を並べていた斑目。「3.11以降のことは全て消したい」。意味不明。今からでは遅いが「あんたが消えろ」。
寄らば大樹のかげ。ムラ社会を象徴した言葉の使用法。
派閥とはその領袖を宰相にすることによって恩恵を得ようとする”我欲”の集団。さらに、例えば落選した時には面倒を見てもらえる相互扶助体制もできあがっていた。
その永田町ムラがまたぞろ動き始めた。この村にはろくな生物は生息していない。
原子力村が飯舘村を苦しめ、壊した。永田町村は三陸の村を救えない。
村と村は常に諍い事を起こしている。
小学校の社会で習った定義。
市町村合併によって多くの村が消えていった。合併を”拒否”して存続している、しかも立派に存続している村もある。そこの根付いているのは相互扶助や連帯意識。ふるさととしての心の拠り所。
からから亭、毎度ご登場いただく飯舘村。村の一つのモデルケースかも。村長(むらおさ)のもとに作られた、良い意味での父系社会。
大震災。破壊された村の数々。行政区画としての名は残すだろうが事実上消えてしまう村もあるという。もはや人が住めないということで。
この国の原点は「村」にあるように思えてならない。
「こんな素晴らしい村をなくしてはならない」。飯舘村に寄せられたメッセージ。
物理的な苦難を乗り越えて、飯舘村は消えない。蘇ると思う。
村ーー。日本人はこの言葉にいろんな意味を込めてこだわる。
度し難い村。それは原子力村。いわば東電の中の派閥。武藤という副社長を村長にして、独自の風土を作り、その村の信条は「排他」。他所者の介入を許さない。身勝手な論理を構築し、勢力の誇示を図る。上下の、ボスと子分との秩序を最高のものとする。
この国の超一流企業の中にあったムラ社会。原子力や電気という文明を扱う企業の中に、第一次産業をなりわいとする村の感覚が持ち込まれている。本来の「村」とは全く違うカテゴリーで。この東電の中にあった原子力村が今日の悲劇を招いた。抹殺すべき村。
永田町という都会のど真ん中にある町に「村」が存在する。自民党の長期政権時代。政党を構成し支えていたのは派閥である。その派閥を、彼ら政治家は「ムラ」と呼んだ。なんら恥じることもなく。「村にもどって決めてきます」。相言葉だった。
たしかに派閥という言葉はあまり使われなくなった。呼び名を変えただけ。今は、気取って「グループ」。民主党も然り。なんとかグループの集合体。グループとはつまり派閥。はっきり言えばいいのにメディアもグループなんて呼び名を倣い、派閥の弊害なるものを隠そうとする。大の大人がグループになって時局に対処する。そのグループでの意思決定に従う。なんら派閥と変わらない。原子力村と同じような。
原子力村は東電の中だけではない。学者の中にも存在していた。多分、その「ムラオサ」は斑目という名前だったのだろう。この村も”悲劇”の主犯。
テレビでご託を並べていた斑目。「3.11以降のことは全て消したい」。意味不明。今からでは遅いが「あんたが消えろ」。
寄らば大樹のかげ。ムラ社会を象徴した言葉の使用法。
派閥とはその領袖を宰相にすることによって恩恵を得ようとする”我欲”の集団。さらに、例えば落選した時には面倒を見てもらえる相互扶助体制もできあがっていた。
その永田町ムラがまたぞろ動き始めた。この村にはろくな生物は生息していない。
原子力村が飯舘村を苦しめ、壊した。永田町村は三陸の村を救えない。
村と村は常に諍い事を起こしている。
2011年6月5日日曜日
すべてのことには時がある
以前にも書いたかもしれませんが。あらためて想起される言葉。
旧約聖書、伝道の書。第三章。略記します。
天の下のすべての事には季節があり、すべての業には時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、
植えたものを抜くに時があり・・・・・。殺すに、いやすに、壊すに、
建てるに、泣くに、笑うに、悲しむに、捜すに、失うに、保つに、
捨てるに、黙るに、語るに・・・。時があると。
別に聖書の読み解きをするのではなく、人間、引き際も「時」だと思うから。
「武士(もののふ)の進退は、ある日ある時、瞬時にして決すべし」。宰相としての評価はともかく、竹下 登はよくこの言葉を口にしていた。彼が佐藤栄作や田中角栄の引き際を見てきていただろうからか。もちろんこの言葉も誰かの受け売りだろ思うけれども。
宰相学の一つである。誰かも言っていた。過去の首相。「総理になったとたん考えることは、いつ、どのように辞めるかということだ」と。
辞任、辞職が取りざたされたら、もうその政権はおしまい。死に体と言われている。誰もついていかない。これを成し遂げてからという思いはあってもそれを達成することは不可能。
真逆の発想を持って、それが菅の政治家としての使命感であると理解しても。責任感だとしてもだ。
メディアはすでにして「後継」が話題に。
被災地の惨状改善の兆しなし。原発ますます泥沼の感。
救国内閣以外に方途は無しと。菅、小沢、鳩山。すべて引きなさい。谷垣も引きなさい。民主・自民が新しい盟主を立てて事に当たらねば、この国は終わりにひとしくなる。未だ政治に一縷の望みを託するとしたらこれ以外には方途は無いものと。
一期一会という茶の精神を説いた言葉がある。「その時にその人が為すべきことはただ一つである」と解釈します。
延命寺からお遍路を再開するのでなく、仁為寺(そういう寺があるかどうか知りませんが)からのお遍路を。そして世捨て人になられんことを。身を殺して仁を為す。その機会を得られたことだけでの菅は幸せ者だったと。
鳥のまさに死なんとするやその鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言や善し。論語を引き合いに出すまでもないでしょう。いかなる死に際を選ぶか。それによってのみ「事定まる」のではと。
この政権と出会ったことも「すべての事には時がある」という聖書の一節の中の言葉で、納得しなければならないのか・・・。
旧約聖書、伝道の書。第三章。略記します。
天の下のすべての事には季節があり、すべての業には時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、
植えたものを抜くに時があり・・・・・。殺すに、いやすに、壊すに、
建てるに、泣くに、笑うに、悲しむに、捜すに、失うに、保つに、
捨てるに、黙るに、語るに・・・。時があると。
別に聖書の読み解きをするのではなく、人間、引き際も「時」だと思うから。
「武士(もののふ)の進退は、ある日ある時、瞬時にして決すべし」。宰相としての評価はともかく、竹下 登はよくこの言葉を口にしていた。彼が佐藤栄作や田中角栄の引き際を見てきていただろうからか。もちろんこの言葉も誰かの受け売りだろ思うけれども。
宰相学の一つである。誰かも言っていた。過去の首相。「総理になったとたん考えることは、いつ、どのように辞めるかということだ」と。
辞任、辞職が取りざたされたら、もうその政権はおしまい。死に体と言われている。誰もついていかない。これを成し遂げてからという思いはあってもそれを達成することは不可能。
真逆の発想を持って、それが菅の政治家としての使命感であると理解しても。責任感だとしてもだ。
メディアはすでにして「後継」が話題に。
被災地の惨状改善の兆しなし。原発ますます泥沼の感。
救国内閣以外に方途は無しと。菅、小沢、鳩山。すべて引きなさい。谷垣も引きなさい。民主・自民が新しい盟主を立てて事に当たらねば、この国は終わりにひとしくなる。未だ政治に一縷の望みを託するとしたらこれ以外には方途は無いものと。
一期一会という茶の精神を説いた言葉がある。「その時にその人が為すべきことはただ一つである」と解釈します。
延命寺からお遍路を再開するのでなく、仁為寺(そういう寺があるかどうか知りませんが)からのお遍路を。そして世捨て人になられんことを。身を殺して仁を為す。その機会を得られたことだけでの菅は幸せ者だったと。
鳥のまさに死なんとするやその鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言や善し。論語を引き合いに出すまでもないでしょう。いかなる死に際を選ぶか。それによってのみ「事定まる」のではと。
この政権と出会ったことも「すべての事には時がある」という聖書の一節の中の言葉で、納得しなければならないのか・・・。
2011年6月4日土曜日
これも一つの”悲劇”なのだ
原発事故の後の人災。とどまるところを知りません。毎日のように新たな悲劇が生まれています。
原発に近い双葉町。町そのものが大半埼玉県の加須市に避難しています。その避難民の一人に変な奴がいて、児童買春・児童ポルノ禁止法違反で逮捕されました。先月下旬のこと。犯行は3月下旬。
井戸川町長がある決断をしました。町に直接寄せられた義捐金を辞退すると。
避難先の高校で町民に説明。町民からは辞退に反対の声があがったという。
当然です。金がないと大変なんです。避難民は。
事件発覚後の町には苦情のメールが多数寄せられたという。「役場ごと埼玉から出ていけ」と。それを受けての町長の「けじめ」だとか。
「乱暴だったとは思うが、町は行くところが無く、埼玉にお世話になっている立場。お金のことより、埼玉県との結びつきや、埼玉県民の心情面を大事にしたいと思った。町民全体で規律を守らねばならない」と話しているという。
町長、まさに苦渋の決断だったのでしょう。流浪の民はその寄留地にここまで気を使い、小さくなって生きていかなくてはならないのか。不条理です。遠慮することはない。大手をふって堂々とお世話になりなさい。なんたって電気を供給してきてあげたのだから。
苦情のメールを寄せたのが本当に埼玉県民だったのか。確証はもちろん無いけど2チャンネラーのような、匿名で何でも汚い、えげつない言葉を発することを喜びとしている人種の為せることかも。
正直もんの町長は真に受けた。もし埼玉県民が書いたメールなら、その県民は日本から出ていけ。
人のあるところ何処にでも不心得もの、犯罪者はいる。一人の犯罪者のために全町民が“犠牲”を強いられる。「けじめ」を背負わされる。不合理です。町長を責めららません。今の地で町民とともに生き抜いていかなくてはならない、町民を束ねていかねばならない使命感が嵩じたものと。
悲劇の連鎖です。この類の話はこれからもっと出てくるでしょう。
一人の犯罪者と複数の罵倒メールを送った人達と。数人の行為が、犠牲者の町民を苦しめる。町の結束にひびを入れる。やるせない思いでいっぱい。
からから亭村の村長として亭主は言いたい。
「人心を騒乱させ、虚言、妄言で世を惑わした罪は大きい。罪人とも言うべき宰相を生み出した国会議員全員、歳費を返上しろ」と。
町長の言ったことはいわば教育現場でもよくある「全体責任」の論理。ならば国会議員にそれを問うてもいささかも誤りなしと。
原発に近い双葉町。町そのものが大半埼玉県の加須市に避難しています。その避難民の一人に変な奴がいて、児童買春・児童ポルノ禁止法違反で逮捕されました。先月下旬のこと。犯行は3月下旬。
井戸川町長がある決断をしました。町に直接寄せられた義捐金を辞退すると。
避難先の高校で町民に説明。町民からは辞退に反対の声があがったという。
当然です。金がないと大変なんです。避難民は。
事件発覚後の町には苦情のメールが多数寄せられたという。「役場ごと埼玉から出ていけ」と。それを受けての町長の「けじめ」だとか。
「乱暴だったとは思うが、町は行くところが無く、埼玉にお世話になっている立場。お金のことより、埼玉県との結びつきや、埼玉県民の心情面を大事にしたいと思った。町民全体で規律を守らねばならない」と話しているという。
町長、まさに苦渋の決断だったのでしょう。流浪の民はその寄留地にここまで気を使い、小さくなって生きていかなくてはならないのか。不条理です。遠慮することはない。大手をふって堂々とお世話になりなさい。なんたって電気を供給してきてあげたのだから。
苦情のメールを寄せたのが本当に埼玉県民だったのか。確証はもちろん無いけど2チャンネラーのような、匿名で何でも汚い、えげつない言葉を発することを喜びとしている人種の為せることかも。
正直もんの町長は真に受けた。もし埼玉県民が書いたメールなら、その県民は日本から出ていけ。
人のあるところ何処にでも不心得もの、犯罪者はいる。一人の犯罪者のために全町民が“犠牲”を強いられる。「けじめ」を背負わされる。不合理です。町長を責めららません。今の地で町民とともに生き抜いていかなくてはならない、町民を束ねていかねばならない使命感が嵩じたものと。
悲劇の連鎖です。この類の話はこれからもっと出てくるでしょう。
一人の犯罪者と複数の罵倒メールを送った人達と。数人の行為が、犠牲者の町民を苦しめる。町の結束にひびを入れる。やるせない思いでいっぱい。
からから亭村の村長として亭主は言いたい。
「人心を騒乱させ、虚言、妄言で世を惑わした罪は大きい。罪人とも言うべき宰相を生み出した国会議員全員、歳費を返上しろ」と。
町長の言ったことはいわば教育現場でもよくある「全体責任」の論理。ならば国会議員にそれを問うてもいささかも誤りなしと。
2011年6月3日金曜日
何も変わっていない・・・
あの国土を揺るがした大震災。爆発する原発。その有様を見た国民はすべてが思ったであろう。この国は変わらなくてはならない。変わるべきだと。
結局、何も変わっていない。被災者の、いまや日常となった悲惨な生活も。原発の恐怖も。
本来の国家であるならば、一番最初に変わるべきだったのは国の指導者であり、政権であり、政府であり、政治家だったはず。それが、まったく変わっていない。
辞める辞めない。ペテン師詐欺師。もうそんなことはどうでもいい。政治を論じることに意味を見いだせなくなった。
テロリズムの予感さえしてくる。
リーダー無き国家。もしかしたら政治家と称する人たちが居なくても、いや、居ない方が、この国は立行くのかもしれない。
飯舘村の菅野村長は穏やかに言った。「政治とは心です」と。
だから村民は黙って村長について行く。彼は信念を曲げないという。
岩手県大船渡の銘菓「かもめの玉子」。その銘菓会社の斎藤社長は言う。「社員は財産です」と。全社員はどんなに辛くてもその社長について行くという。そんなリーダーに巡り合えた事を誇りと思う、幸せだと思うと言う。
数日間の政局騒ぎ、無意味な政争。与野党を問わない。国民は今議席を持っているすべての政治家に「ノー」を突きつけているはず。これだけ政治不信に陥らせた責任はあまりにも大きい。この国の議会制民主主義は崩壊した。立て直すのにどれくらいの年月を要するのか。
すべての議員さんたちよ。もう一回己の胸に手をあててよく考え直せよ。人間としてそれでいいのかと。
メディアも結局変わっていなかった。悲しい。菅を鳩山を小沢を自民を非難する声は発せられているけれど「おざなり」である。通り一辺である。
「辞める」ということを一旦口にした以上は辞めねばならない。口にしたことを守らない以上それを政治家とは呼ばない。
メディアなこの国家存亡の危機をどう捉えているのか。飢え、苦しみ、恐怖にさいなまれている人たちをどう見ているのか。メディアに出来ることはあるはず。
メディアが見放されないための正念場を迎えている。
新聞は菅退陣に向けた大論陣をはりなさい。書いて書いて書きまくりなさい。東京の記者クラブや高層ビルの本社で書くのでなく、被災地へ行ってこの国を書きなさい。
テレビは各局で振り分けて、国会議員をすべてスタジオに呼びなさい。嘘偽りのない政治家としての考えを問いただしなさい。もし政局にいまなお言及する人がいたら、その人の名を記憶しなさい。次に選挙では落としなさい。
今の政治家が半分以上国会議員でなくなっても国民は困らない。原発作業員が一人欠けるほうが困る。
議員さんよ。群れている場合じゃない。個々人がどう思うか、どうするか。天下に明らかにし、衆目に自分の考え、行動を晒す時。
永田町生息者に「国民」と呼ばれたくない。だけど信じる。あまたの議員さんの中で「政治は心だ」と思っている人が数人でもいることを。
結局、何も変わっていない。被災者の、いまや日常となった悲惨な生活も。原発の恐怖も。
本来の国家であるならば、一番最初に変わるべきだったのは国の指導者であり、政権であり、政府であり、政治家だったはず。それが、まったく変わっていない。
辞める辞めない。ペテン師詐欺師。もうそんなことはどうでもいい。政治を論じることに意味を見いだせなくなった。
テロリズムの予感さえしてくる。
リーダー無き国家。もしかしたら政治家と称する人たちが居なくても、いや、居ない方が、この国は立行くのかもしれない。
飯舘村の菅野村長は穏やかに言った。「政治とは心です」と。
だから村民は黙って村長について行く。彼は信念を曲げないという。
岩手県大船渡の銘菓「かもめの玉子」。その銘菓会社の斎藤社長は言う。「社員は財産です」と。全社員はどんなに辛くてもその社長について行くという。そんなリーダーに巡り合えた事を誇りと思う、幸せだと思うと言う。
数日間の政局騒ぎ、無意味な政争。与野党を問わない。国民は今議席を持っているすべての政治家に「ノー」を突きつけているはず。これだけ政治不信に陥らせた責任はあまりにも大きい。この国の議会制民主主義は崩壊した。立て直すのにどれくらいの年月を要するのか。
すべての議員さんたちよ。もう一回己の胸に手をあててよく考え直せよ。人間としてそれでいいのかと。
メディアも結局変わっていなかった。悲しい。菅を鳩山を小沢を自民を非難する声は発せられているけれど「おざなり」である。通り一辺である。
「辞める」ということを一旦口にした以上は辞めねばならない。口にしたことを守らない以上それを政治家とは呼ばない。
メディアなこの国家存亡の危機をどう捉えているのか。飢え、苦しみ、恐怖にさいなまれている人たちをどう見ているのか。メディアに出来ることはあるはず。
メディアが見放されないための正念場を迎えている。
新聞は菅退陣に向けた大論陣をはりなさい。書いて書いて書きまくりなさい。東京の記者クラブや高層ビルの本社で書くのでなく、被災地へ行ってこの国を書きなさい。
テレビは各局で振り分けて、国会議員をすべてスタジオに呼びなさい。嘘偽りのない政治家としての考えを問いただしなさい。もし政局にいまなお言及する人がいたら、その人の名を記憶しなさい。次に選挙では落としなさい。
今の政治家が半分以上国会議員でなくなっても国民は困らない。原発作業員が一人欠けるほうが困る。
議員さんよ。群れている場合じゃない。個々人がどう思うか、どうするか。天下に明らかにし、衆目に自分の考え、行動を晒す時。
永田町生息者に「国民」と呼ばれたくない。だけど信じる。あまたの議員さんの中で「政治は心だ」と思っている人が数人でもいることを。
2011年6月2日木曜日
伝えない”勇気”
まもなく衆院本会議が開かれ、不信任案が採決される。可決の可能性も大。いまのところ菅は解散に打って出るという。
政局の細々な動き、論評をする気はさらさらない。ほとんどの国民は呆れ返っているはず。被災地の人のみならず。
一昨日書いたが「落差」は怒りを超えて悲しみになっている。身が震える。手段はともかく国民が国会議員に、政治に「不信任」を突きつけるしかない。
その声を聞く耳は持ってはいまいだろうが。
政局どころではない。重ねて言う。菅の無能さにも傲岸さにも辟易している。
不信任案が可決されようと否決されようと政治は機能しなくなる。それが被災者にどういう影響を与えるか。
原発では汚染水の処理をめぐってギリギリの作業がすすめられている。水道の復旧しない三陸では川で洗濯をしている。
岩手、宮城、福島の三県選出の国会議員は何を考えているのか。何をしているのか。
ここ数日の政局騒ぎ。メディアは緊迫だとかぬきさしならないだとかいろんな表現で伝えようとしている。
可決の票読みをマンガを使って解説しているテレビ。国民不在だと必ず言うけれど政局を伝えているメディアに国民不在って言えるのか。同罪だと。
伝えなければ国会議員の動きも変わる。
伝えるから政治家は余計に張り切って行動する。
被災地の「国民」はダシにされている。政局の。政争の。
ダシにしているのはメディアも同じかもしれない。
この政局の動きを「否」とするならば、新聞一面を全部使ってバカな政治家を糾弾する論陣を全紙がはればいい。テレビもワイドショー的報道はやめれればいい。「否」を鳴らしつづけなくてはいけない。
そこにそういう動きがあるから伝えるのが使命。それの是非は後で論じるとでも言うのだろうか。政治家のあとを追い、小沢に群がり、マイクを突き出しているテレビ。情けなくはないのかい。自分たちのやってることが。
「伝える」ということはメディアの使命である。知る権利に答えるのもメディアである。しかし、今、伝えなければならないのは、被災地のことである。
政局。予測をクダクダやるのが使命か。伝えない勇気というものがあってもいい。このバカバカしい政局ごとを逐一追いかけ伝え、永田町の論理にどっぷりつかってしまっているメディア。
メディア本来の力を発揮して欲しい。バカバカしい動きを伝えない勇気を持って欲しい。
バカバカしさを伝えることで国民に政治家の実情を伝えることにもなる。だから意味がある。そういう見方も出来るかもしれない。しかし、
ここまで書いたらニュース速報。菅は震災対応にメドがついたら退陣と。
結局ぶれまくりの民主党。猿芝居を演じきった民主党。この「結末」を読めなかったメディアのお粗末さ。
またもばかばかしくなってきた。政治のゲームに付き合うことが。政局を面白がっている奴らは誰だ。
戦後60年あまり。こんな無能な政治家達を見たのがはじめてだ。
メディアの無責任さを知らしめられたのもはじめてだ。
「がんばろう東北」。そう書いたステッカーを貼った車が事務所の前を走り去っていった・・・。
政局の細々な動き、論評をする気はさらさらない。ほとんどの国民は呆れ返っているはず。被災地の人のみならず。
一昨日書いたが「落差」は怒りを超えて悲しみになっている。身が震える。手段はともかく国民が国会議員に、政治に「不信任」を突きつけるしかない。
その声を聞く耳は持ってはいまいだろうが。
政局どころではない。重ねて言う。菅の無能さにも傲岸さにも辟易している。
不信任案が可決されようと否決されようと政治は機能しなくなる。それが被災者にどういう影響を与えるか。
原発では汚染水の処理をめぐってギリギリの作業がすすめられている。水道の復旧しない三陸では川で洗濯をしている。
岩手、宮城、福島の三県選出の国会議員は何を考えているのか。何をしているのか。
ここ数日の政局騒ぎ。メディアは緊迫だとかぬきさしならないだとかいろんな表現で伝えようとしている。
可決の票読みをマンガを使って解説しているテレビ。国民不在だと必ず言うけれど政局を伝えているメディアに国民不在って言えるのか。同罪だと。
伝えなければ国会議員の動きも変わる。
伝えるから政治家は余計に張り切って行動する。
被災地の「国民」はダシにされている。政局の。政争の。
ダシにしているのはメディアも同じかもしれない。
この政局の動きを「否」とするならば、新聞一面を全部使ってバカな政治家を糾弾する論陣を全紙がはればいい。テレビもワイドショー的報道はやめれればいい。「否」を鳴らしつづけなくてはいけない。
そこにそういう動きがあるから伝えるのが使命。それの是非は後で論じるとでも言うのだろうか。政治家のあとを追い、小沢に群がり、マイクを突き出しているテレビ。情けなくはないのかい。自分たちのやってることが。
「伝える」ということはメディアの使命である。知る権利に答えるのもメディアである。しかし、今、伝えなければならないのは、被災地のことである。
政局。予測をクダクダやるのが使命か。伝えない勇気というものがあってもいい。このバカバカしい政局ごとを逐一追いかけ伝え、永田町の論理にどっぷりつかってしまっているメディア。
メディア本来の力を発揮して欲しい。バカバカしい動きを伝えない勇気を持って欲しい。
バカバカしさを伝えることで国民に政治家の実情を伝えることにもなる。だから意味がある。そういう見方も出来るかもしれない。しかし、
ここまで書いたらニュース速報。菅は震災対応にメドがついたら退陣と。
結局ぶれまくりの民主党。猿芝居を演じきった民主党。この「結末」を読めなかったメディアのお粗末さ。
またもばかばかしくなってきた。政治のゲームに付き合うことが。政局を面白がっている奴らは誰だ。
戦後60年あまり。こんな無能な政治家達を見たのがはじめてだ。
メディアの無責任さを知らしめられたのもはじめてだ。
「がんばろう東北」。そう書いたステッカーを貼った車が事務所の前を走り去っていった・・・。
2011年6月1日水曜日
「義捐金」のこと
「おいしいコーヒーは心が和みます。その一杯分を被災地に!」「おいしいケーキを食べるとシアワセ~になります。その一個分を被災地に!」「食後の一服はまさにこの世の天国です。その一箱分を被災地に!」
過日新聞の投稿欄にあった一文。等身大の援助を長く続けて行きたいという呼び掛け。そうなんです。一過性では無く、息の長い援助が必要なんです。
支え合おう、つながろう、「足長おじさん」が必要だし、日本人は皆その思いを持っているものと。
震災直後から多くの義捐金が寄せられました。日赤や共同募金会、各マスコミになど。個人で億の単位の人もいた。
全額はわかりませんが数千億円は間違いなし。例えば日赤。きのう現在で2389億円。しかし、そのうち被災者に渡ったのは287億円。多くの義捐金が日赤の金庫の中に眠っているってことになります。
なぜか。国が出てきて「配分委員会」なるものを作り、基準を決めて自治体が配布という方法。配布する自治体は職員もいない、足りない、住民の動向が「捕捉」出来ない。配れない。
ここに日本人が大好きな「公平・公正」の原理原則が登場してきます。もちろんそうあるべきなんですが。
避難所とってみても義援金や見舞金が配布されたところもある。全くないところもある。公平じゃない。
津波の被災地。避難所で100人位の人が暮らしている。最近、その近くにスーパーが復旧した。そこそこの品揃え。だけど避難所の人は買い物に行かない。いや、行けないのです。お金が無いから。
「適当とはいわないけれど、おおまかの実態でいい。とにかく大雑把でいいから現金を配ってあげたら」。無一文ってのは辛すぎますよ。それが亭主の考え。あとで公平だったかどうか、誰かが非難するかもしれない。しかし、それを覚悟でやるってことが、人の命を救うこと。誰かのお役に立てたということで募金した人は納得できるはず。眠っていることには納得出来ない。善意が届いたとは言えない・・・。
原発避難民のいる郡山。東電や県から見舞金が支給されました。そのお金を持って街に飲みに出る人も。街で飲んで歌ってまたダンボールハウスに帰る。
中にはいます。「避難してきてお金貰ったからと言って飲んでるのはおかしい」と。いいじゃないですか、というより当然じゃないですか。あのダンボールハウスでもう三ヶ月近く。飲める人は酒でも飲んでないとやってられない。
むしろ「避難者割引」ってのがあってもいいくらいかと。たまに無理無態を言う人がいたとしても。
多くの支援物資が被災地に届けられています。衣類からはじまって日常の生活用品まで。その物資が入ったダンボールは倉庫に山積みされたまま。ダンボールには励ましや慰めのメッセージが手書きで書かれている。倉庫の中の物資。衣類はほとんどが冬物。だってあの時はまだ寒かった。毛布が必需品だった。
その支援物資が被災者の手にわたらない。なぜか。配る人がいないから。相当な労力を必要とするでしょう。仕分けや配布には。リサイクルショップのボランティアに頼んでいるという話もありますが。無料の青空市が開催されているという話もありますが。
もう季節は夏になります。夏物の衣料だって必要。
義援金は各県や市町村に送られているものもあります。義捐金以外に「支援金」というのもあります。支援金はある程度自治体の裁量で使われるもの。
例えばその支援金使って、避難所にいる人に、若い元気な人に「日当」払って物資の配布をやってもらったら。役場は手がまわらないことはわかっているのだから。民の力を活用しようと思えば、いろんな知恵も出てくるだろうし、多くの善意に報いる手段もあるはず。
コーヒー一杯、ケーキ一個の善意も億の善意も。善意にかわりなし。善意は被災者の手元に渡ってこそ生きた物になる。
援助を末永くつづけるために。知恵を出せ、原理原則、役所感覚をなくせ。滞貨一掃。それが次の善意を生むと。
政局で生き生きとしている永田町の金持様よ。全員で仕分け配布ボランティアへどうぞ。
過日新聞の投稿欄にあった一文。等身大の援助を長く続けて行きたいという呼び掛け。そうなんです。一過性では無く、息の長い援助が必要なんです。
支え合おう、つながろう、「足長おじさん」が必要だし、日本人は皆その思いを持っているものと。
震災直後から多くの義捐金が寄せられました。日赤や共同募金会、各マスコミになど。個人で億の単位の人もいた。
全額はわかりませんが数千億円は間違いなし。例えば日赤。きのう現在で2389億円。しかし、そのうち被災者に渡ったのは287億円。多くの義捐金が日赤の金庫の中に眠っているってことになります。
なぜか。国が出てきて「配分委員会」なるものを作り、基準を決めて自治体が配布という方法。配布する自治体は職員もいない、足りない、住民の動向が「捕捉」出来ない。配れない。
ここに日本人が大好きな「公平・公正」の原理原則が登場してきます。もちろんそうあるべきなんですが。
避難所とってみても義援金や見舞金が配布されたところもある。全くないところもある。公平じゃない。
津波の被災地。避難所で100人位の人が暮らしている。最近、その近くにスーパーが復旧した。そこそこの品揃え。だけど避難所の人は買い物に行かない。いや、行けないのです。お金が無いから。
「適当とはいわないけれど、おおまかの実態でいい。とにかく大雑把でいいから現金を配ってあげたら」。無一文ってのは辛すぎますよ。それが亭主の考え。あとで公平だったかどうか、誰かが非難するかもしれない。しかし、それを覚悟でやるってことが、人の命を救うこと。誰かのお役に立てたということで募金した人は納得できるはず。眠っていることには納得出来ない。善意が届いたとは言えない・・・。
原発避難民のいる郡山。東電や県から見舞金が支給されました。そのお金を持って街に飲みに出る人も。街で飲んで歌ってまたダンボールハウスに帰る。
中にはいます。「避難してきてお金貰ったからと言って飲んでるのはおかしい」と。いいじゃないですか、というより当然じゃないですか。あのダンボールハウスでもう三ヶ月近く。飲める人は酒でも飲んでないとやってられない。
むしろ「避難者割引」ってのがあってもいいくらいかと。たまに無理無態を言う人がいたとしても。
多くの支援物資が被災地に届けられています。衣類からはじまって日常の生活用品まで。その物資が入ったダンボールは倉庫に山積みされたまま。ダンボールには励ましや慰めのメッセージが手書きで書かれている。倉庫の中の物資。衣類はほとんどが冬物。だってあの時はまだ寒かった。毛布が必需品だった。
その支援物資が被災者の手にわたらない。なぜか。配る人がいないから。相当な労力を必要とするでしょう。仕分けや配布には。リサイクルショップのボランティアに頼んでいるという話もありますが。無料の青空市が開催されているという話もありますが。
もう季節は夏になります。夏物の衣料だって必要。
義援金は各県や市町村に送られているものもあります。義捐金以外に「支援金」というのもあります。支援金はある程度自治体の裁量で使われるもの。
例えばその支援金使って、避難所にいる人に、若い元気な人に「日当」払って物資の配布をやってもらったら。役場は手がまわらないことはわかっているのだから。民の力を活用しようと思えば、いろんな知恵も出てくるだろうし、多くの善意に報いる手段もあるはず。
コーヒー一杯、ケーキ一個の善意も億の善意も。善意にかわりなし。善意は被災者の手元に渡ってこそ生きた物になる。
援助を末永くつづけるために。知恵を出せ、原理原則、役所感覚をなくせ。滞貨一掃。それが次の善意を生むと。
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