2013年2月7日木曜日

テレビの「仕事」いや「役割」

きょうは木曜日。いつものようにNHKの被災地からの声を見る。そして自分を覚醒させる。
あらためて言う。この番組はテレビがやる「仕事」であり、「役割」なんだと。
今日は都路と大熊の人の声。

「涙が枯れるほど泣いた」「仮設で死ぬのは嫌だ」。姥捨て山という言葉も飛び出してくる。
「だらだらしてねえで、早くやってくれよ」。そうフリップに書いた人。

スピード感をもった政治、ワンストップの政治。誰だっけ、これを声高に言った人は・・・。

テレビ業界にとって怖い数字。視聴率と売上げ。民放のことですが。
そしてこの二つは完全にリンクしているということ。だから、なんでもかんでも「視聴率稼ぎ」と括られて揶揄される民放。今やNHKも視聴率戦争に参入してきているが。

もう一つ怖いのがお役所。テレビは免許制。5年に一度の免許更新をうけなければならない。免許を与えるのは総務省(郵政省)。各地域の電監、電波監理局が管轄。更新時の書類作りは大ごと。局の担当の人の労苦は見るに余りあり。

何回も書類を出したり突き返されたり。鬼の電監。仙台にある東北電監に何回か行ったかな。

民放も最初はVHF局。その後、平成にかけてぞくぞくUHF局誕生。三流官庁と言われた郵政省はテレビ局の免許を持っているということで目立とうとした。

余談、その官庁出身で放送行政局長やっていた人が郡山市長選に。こりゃ怖いぜ(笑)。

で、本題。
視聴率を稼ぐためにはどうすればいいか。視聴者受けする番組をつくればいい。
よく言われたセリフ。「旅・グルメ・温泉」。

今やまた、その手の番組が復活してきた。

そしてお笑い。どの局をみても同じ顔触れで、そのうるさいこと、うるさい事。嬌声を聞かされるためにテレビ持ってるんじゃない。って言いたいような。

テレビの劣化ということがよく言われる。テレビが視聴者にすり寄っているという前提に立てば、テレビの劣化とはすなわち視聴者の劣化ということ。

それはドラマに於いても然りだし、ニュースのネタにしても言えること。

送り手と受け手の意志を合致させるのは難しいことだが、そして広告代理店、スポンサーという「大事な」ところの意向に背かないで出来るかどうかは難しいとおもうものの、民放とて、そろそろその主体性を発揮すべき時にきているのかとも。

数十時間にわたってノーCMで報道に精を出したテレビ。それは死活問題につながったかもしれないが、あの「3・11」はテレビの在り方を変える好機だったのではないかと。
「変わらなくては」とテレビは訴えていた。「変わるべきだこの国は」とも訴えていた。それが今は・・・。

視聴者とは「浮気者」である。それの意向を忖度し、それに“迎合”しているとある日突然裏切られることだってある。

映像を伴った媒体として、伝えなければならないものを伝えるようなテレビに生まれ変わってはいかがかと。
広告代理店が提供してくる「数字」に脅かされるのではなく。それを信じるのでは無く。

重ねて言う。テレビと視聴者。それは「劣化」を共通項とした合わせ鏡だと。

例えば一つの提言。今、デジタル化によって空いているチャンネルが、まだあるはず。売れてしまったかどうかは定かでないが。
NHKを主体にして、「原発チャンネル」を作ってみてはどうか。

東電の「ウソ」がまた一つ発覚した。国会事故調もいわば東電の手玉に捉えた。面目まるつぶれだ。
情報開示をめぐる東電幹部の動き、言動。なぜそこまでやらないといけないのか。国権の最高機関さえ馬鹿にされたのだ。事故調を復活させ、国会議員全体の問題として現場に乗り込んでみてはどうかと。

日々、東電では会見が行われているはず。その内容は、特に変わったことが無い限り報道されない。しかし、我々は気になっている。
少なくともボクは毎日「ふくいちライブカメラ」の映像を見ている。
原発に関する様々な動きがある、会議もある。それらをそのまま放送し、まともな解説者をつけて放送するチャンネルがあってもいいのではないかと。
東電の「うそ」も、もっと詳細に伝えられるはず。

およそ原発に関わるあらゆる情報を提供するチャンネルが必要なのかもしれない。

それをテレビがやらないから、テレビは隠している、本当の事を報道しないなんて“汚名”を着せられ非難される。ネットの流れるデマやウソを放逐するためにも、そんな「テレビ」が必要なんだと。その試みは、多分、諸外国からも“評価”されると思うのだが。
事実を伝えているということに対して、監督官庁含めて、“統制”のような動きがあり、放送免許取り消しなんてことがあったら、それは、もうこの国が、大いなる後進国との国際的汚名を着せられるだけなのだから。

規制や圧力をかけてくるかもしれない「権力」ほど、実はテレビに出たがっているという図式だってあるのだから。

何も反権力になれだのなんだの物騒な事を言っているのではない。もっともっと「知らせる努力」をしないのかなって言うこと。
テレビによって知り得ることはもっともっと有る筈だということ。

2013年2月6日水曜日

テレビが伝えた“限界集落”の住人の声

長野県栄村。新潟県に隣接する豪雪地帯である。
2011年3月12日早朝、そこは震度6強の地震に見舞われ、田畑には亀裂が走り、わずかな集落の家も大方全壊、半壊の被害を受けた。道路も寸断され、陸の孤島となっていた。まさに「見捨てられて人達」がそこに居た。

多くのメディアは、東日本大震災、原発事故の大惨事に目が行っており、栄村の“存在”に気がつかなかった。

栄村の“存在”が“被害”がメディアの目にとまったのは、10カ月も後。
ボクが承知している限りでは。

昨夜の報道ステーション。女性キャスターがあれからの栄村を伝えるために村に入っていた。
大方の田畑は復元されたが、牛を飼育していた人は再開できないという。個人には国が資金援助は出来ないという方針だからと。

その人は除雪作業に従事していた。除雪されて道路に立ってそのキャスターは伝えていた。おおよその記憶。
「今、私が立っている後ろの家々は何もなかったように見えます。しかし、中に入ってみたら、家は傾いており、壁ははがれたままです。そこに村に残った人達が住んでいます。
なぜ修復や改修、復旧を求めないのかと聞きました。こういう答えが返ってきました。まだ東北の人達が苦しんでいる。住むところもなく、住むところも失って。東北の人達のことを思うと我儘は言えないとおっしゃっていました・・。」

不覚にも・・・。

ツィターを覗いた。このことを書いている人がいた。リツイートされてものだったが。それを引用してボクは書いた。福島県人で多少余裕のある人は、栄村を応援したらどうだろうと。
それがまた、在りえないくらいの数RTされていた・・・。

そしてフォローも来た。

スタジオで古館がなんとコメントしたかはどうでもいい。この豪雪の時期に、全国ネットで栄村の現状や、そこに住む人達の気持ちを伝えたこと。
それに意義がある。

長野県にはNHKの支局もあれば民放の系列ローカル局もある。彼らが「栄村」をどう伝えているのかはわからない。伝えているはずだが域外には届かない。

全国ニュースで伝える義務があるはずだと。長野の片田舎にそんな人達が住んでいるということを。そこには国の力はほとんど及んでいないということを。
ローカルをローカルで終わらせていてはいけない。それはマスコミのやらねばならない、報道しなければならないことだとも。

全国紙の県版や地元紙が書いていても、それはそこだけのニュースとして消費され、完結されてしまう。中央が取り上げるべきニュースの数々。

まだテレビの役割は終わっていないと思う。テレビ報道に携わる人たちが、常にどこに目線を置いているかによる。

福島県の状況についてでもそうだ。南三陸についてでもそうだ。どこかでその伝えなければならないことが、その場で“完結”“帰結”されてしまっている。
何も進んでないし、変わってもいないのに。

中国の軍艦が照射レーダーを撃った。柔道界では“暴力”が問題とされている。
もちろん伝えなくてはいけないニュースだ。
しかし・・・・。と思う。

きょうのテレビは朝から雪、雪、雪の話題だ。お天道さまは、そこがどこであろうと、斟酌することなく、降るものは降らす。
雪の話題の焦点は「東京」のこと。たしかに東京に大雪が降り、交通機関がマヒし、都市が機能しなくなったら大変だ。

しかし、雪は降るのだ。人が作り上げたものには無関係に。

半壊した家の屋根から雪を下さねばその家は雪の重さに耐えかね倒壊する。
長野県栄村。そこもきょうは大雪だろう。そこに住む高齢者は“命をかけて”雪と対峙している。それを決して「敵」とは思わずに。

そして、もしかしたら雪の重さに耐えかねて倒壊する家屋が、福島県の奥会津、南会津で起きているかもしれない。

「国土改造」。それのあるべき姿は“辺境の地”にあると思うのだが。

2013年2月5日火曜日

「テレビの力」~一枚の写真を読み解くこと~

1960年10月12日、その日ボクは確かに家にいた。まだ入って間もないテレビを見ていた。
そして、テレビが映し出す映像。日比谷公会堂で社会党の浅沼稲次郎委員長が右翼の少年、山口二矢に襲撃され、刺殺される場面を見た。その映像は何回も繰り返し放送されていた。
そして、その瞬間をアップで捉え、浅沼委員長が崩れ落ちる瞬間、眼鏡がずり落ちる瞬間をとらえた、多分、毎日新聞であった一枚の写真が、後にピューリツアー賞を受賞した。

それからしばらくして、ノンフィクションライターと言われる沢木耕太郎が、この事件をテーマに本を書いた。「テロルの決算」。17歳の少年と61歳の政治家。何の接点もない二人が偶然にして遭遇する一瞬。浅沼を追悼し、山口二矢という右翼青年が出来あがる時代を、まさに肉迫するように、そして、それは客観描写ではなく、内面にも立ち入ったノンフィクションとして、感銘を受けたのを覚えている。そしてテレビ屋のボクはなぜか大の沢木フアンになって行く。多くの彼の著作を読んだ。一瞬の夏、敗れざる者達・・・。

沢木は「戦場カメラマン」のロバート・キャパを書いた本を翻訳している。キャパの“研究者”ともいえる。

NHKスペシャル、「運命の一枚」。キャパの名を有名にした「崩れ落ちる兵士」というスペイン戦争下の写真をめぐって、その写真が撮られたスペインのエスペホの丘に立ち、最近公開されたという43枚のネガを素材として、コンピューターグラフィック技術を駆使して、そのキャパが撮ったとされていた写真は、実は同行していた恋人ゲルダ・タローの手によるものであることを解き明かし、、キャパが語らなかった、語れなかった“真実”に迫るという番組。

一枚の写真を「読み解き」、その「謎」の迫るという作業、それを「映像」として伝える作業。テレビにしか出来ないものではないだろうか。
テレビにはまだまだ「力」があるのだ。出来ることがあるのだ。テレビが伝えなければならないことがあるのだ。そんな想いが交錯した番組。

テレビにはまだまだ「遡求力」がある。

そして思い出す。幾たびか話題とされた津波に流されて写真を一枚一枚拾い、洗い、乾かし、持ち主や関係者のもとへもどす作業をしていた人達がいた一昨年の光景。

動く映像よりも、いや、その映像が記録、保存されていたとしても、切り取られた一枚の写真の方が訴える力や語りかけてくることを多く含んでいることを。

テレビドキュメンタリーの“面白さ”をあらためて感じた。

テレビでしか伝えられない過去や歴史があるのかもしれない。文字では伝えられないものが。

テレビでしか知りえないこともあるはず。

今、ボクは毎日の視聴率を知る立場にない。この番組がどれだけの数字を取ったのかを知らない。

だけど、この番組を見た人は、たぶん、テレビを見捨てはしないだろうなと思う。

そして何よりも沢木耕太郎が見捨てていなかったこと。彼は文筆家である。ノンフィクション作家である。
「書く」という作業で表現を出来る、いやすでに表現をしてきた、それらの価値も認められて人である。

その彼がなぜ、敢えて自分が長年温めてきたテーマの“解決先”をテレビに求めたのか。彼が思っている「テレビの力」が、そこにあったからではないかと。

やはりテレビは面白いかも。これは賛辞ではない。まだ、その気になれば可能性があるということ。60年後のテレビのために今、テレビマン達は何をすべきかということ。


2013年2月4日月曜日

「今のテレビについて」懐古談含め・・・。

袖ひじてむすびし水のこほれるを
春立つけふの風やとくらむ

古今集の紀貫之の歌。まだテレビが我が家に無かった頃、こんな短歌や詩を生意気にも「楽しんで」いた。そして、その頃覚えた歌や詩をなぜかはっきり覚えている・・・。

「テレビが出来ることをやろう」「テレビにしか出来ない事をやろう」。
福島に来て、若い子達に日ごと口癖のように言っていた“思想”。

テレビの仕事のおもしろさを知ってもらうためにも。

ある番組を立ちあげた。それは土曜日の早朝。最初は30分、やがて1時間の生番組。「あおうえお天気目玉焼き」。目玉焼はLサイズにもなり。やがて高視聴率番組、ローカルとしては在り得ないような視聴率をとるようになった。一時は30%近くも取ったような記憶。

その番組は徹底的にナマにこだわった。スタジオも生、毎回生中継。出演者、スタッフにも恵まれていた。ボクの“思想”を理解してくれていた。
自慢話をするわけではない。

「お前はただの現在にすぎない」。そこで繰り広げられていた草創期のテレビマン達が交わしていた議論がテレビは「生」であるかどうかという事。

ドラマも生だった。中継車が完備されていない中でも、彼らは「生」を求めていた。局内には安易に再生できる録画設備はなかった。
もちろん家庭用録画機なんて普及していなかった。
街頭テレビのプロレスもプロ野球も生だった頃。

ローカル番組に話を戻す。当時、A-SATという衛星中継車が各ローカル局に配備された。しかし、それはローカル局用のものではなく、なにか事件や事故があって「上り」というテレビ朝日に上げるための衛星中継車だった。
ローカル局がローカルのために使用することは許可されていなかった。

「いいから使え」。毎週、文句を言われながら、時には脅されながらも、テレビ朝日に連絡して、他曲との競合がないかを確かめながらSAT車を使った。
県内のどこにでも行った。

テレビに出来ること、テレビにしか出来ない事。その一つが「生」だと思っていたから。

数年間続いたその番組にある日「休止」命令が下る。当時、朝日新聞から来た社長の意向。自分が赴任する前の、前社長の“功績”とされてものは番組含めて消したかったから。
「もういいじゃないか。初期の目的は達したじゃないか」。政治部時代、仲の良かったはずのその人から下されてご託宣。

営業的にも折り合いはついていたはずなのに。

「社長さまは神さまです」。スタッフと飲んだ酒は苦かった。その味を覚えている奴もまだいるはずかと。
東京から来た人間がSATの使用も含めてローカルの立場に立つ。かくも中央集権的なテレビの習慣をぶち破る。ローカルにはローカルとしての生き方がある。見事に“変身”していたセガワケンイチくん。

仙台の局をキーにして、各局持ち回り形式で、日曜の昼に番組を作った。
「東北独立テレビ」という番組名。その後「テレビ・イーハトーブ」と名を変えたが。

東京にいて感じるテレビ観とローカルが感じるテレビ観には大きな差がある。ことごとくローカルを抑えようとする東京。それになんとか反抗しようとするローカル。キー局からの風当たりは凄かった。もちろん受け止めたけど。

この一つの懐古談、「3・11後」の、今も潜在化し、時には顕在化する「東京」と「東北」という対立の図式、構造に通じるものがあると思ったから、敢えて書いてしまった。

「向こう側」と「こっち側」。敵対すべきことでは全くないのだが、埋められない溝。

テレビ論に戻れば、テレビ局と視聴者と。テレビを通しての「向こう側」と「こっち側」。そこにある溝、乖離、意識のずれ・・・。

それを埋める作業がこれからのテレビに求められる。何回も書いている「被災地からの声」というNHKの良心的番組が、全国ネットには決してならないということも一つの例。

昨夜見たNHKのキャパをめぐるドキュメンタリー。表現方法としてのテレビのチカラを垣間見た。

テレビについて書いていかなければならない。勝手に“自縄自縛”。

2013年2月3日日曜日

「今のテレビについて」あらためて。

テレビが、NHKがテレビ放送を始めてから60年が経った。
一昨日、その「特番」をやっていた。

テレビ、テレビジョン。テレは遠く、ヴィジョンは見る。遠くを見るもの。
そんな語源があるのだが。

ボクがたまたまその世界に身を投じたには、テレビが出来てから10年以上も経った頃。

テレビのニュースは朝、昼、夕方、夜。それぞれ10分から15分。フィルムとテロップ。単にあったことを伝えるだけ。

新聞からは「電気紙芝居」と揶揄され、報道機関としては認められず、記者クラブにも加盟出来たり、出来なかったり。
ことニュース取材に関しては「悔しい日々」の連続だった。

その頃か。NHKノディレクターだった小中陽太郎が「機械仕立ての玉手箱」と書き、その玉手箱は茶の間の上座に据えられていた。その名残だろうか。
今でもNHKは「御茶の間の皆さんに」という。

そして、テレビの世界に入った人達は、そのテレビというものを、その本質を把握出来ないまま、「テレビとは何か」を毎夜論じあっていた。語りあっていた。

「お前はただの現在にすぎない」。テレビに何が可能か。先駆者たちが出した一つの“結論”。

今もそれが問い続けられていると思う。
NHKの制作者を中心に、テレビについての論評が相次いでいた。
「映像とは何だろうか」。ドッキュメンタリー番組を主に手掛けて来た吉田直哉の問いかけ。

「テレビの嘘を見破る」。TBSでやはりドキュメンタリーを手掛けて来た今野勉の問いかけ。

テレビの草創期の人達の問いかけは今も答えを見いだせないまま続いていると思う。

ボクはテレビが好きである。それは、今の番組がそうだという事では無く、そのものが。テレビは文化であり、そこに包含されるCMもまた文化であり、購買意欲をそそるCMでありながら、そこには、いや、CMの役割がそうであるから、世相を反映した15秒の“文化”があると思っている。

「3・11」前から、それ以降も、折に触れてテレビを批判し続けて来た。それは批判のための批判では無く、テレビを思うが故の、そこで人生の大半を送って来た者として、その「立ち直り」や「覚惺」を求めるための言辞。

「3・11」はテレビの在り様を大きく変えた。あの「テレビ伝言板」のようなやり方含めて、テレビが持つ機能を最大限に発揮しようとした。

そして、いつの間にやらテレビはまた元に戻ってしまったような気がする。

おいおい書いていくことになるかもしれない。この「ネット社会」と言われる中でのテレビの在り方について。

とりあえず一言。テレビはネットに迎合し始めたということ。共存という名のもとに、それにすり寄っているということ。

テレビのデジタル化。あれは一体何だったのか。通信との融合、双方向性・・・高画質。

ある種外圧によって進められて施策。テレビ局は過度の設備投資を強いられ、経営に大きな負担を負い、それが製作費の圧縮に繋がり、番組の質を下げた。

家電産業は大きな負債を抱えた。

そして、今、急浮上している「4K」なる新しい受像機。家電業界はそれで起死回生をもくろむ。4Kに対応すべくテレビ局側に新たな、例えばカメラも含めた高精細な画質を求めた新たな投資が求められるのではないかという危惧。

ハードかソフトかと言う二項対立論では解決できないような問題。

テレビ離れが加速しているという。その数字は果たして本物かという疑問。

わずか60年にしかならない“歴史“の中で多くの問題を抱えてしまったテレビ。

テレビが与える“影響”は大きい。3・11、原発事故で、それは“証明”された。ある意味“負”の問題として。

今日は思い立っての「入口論」。折にふれて、いや続けてか。書かねばならない。書かねばすべてが、いや、半生を否定することにもなってくるから。


2013年2月2日土曜日

「地の果て」と「辺境」と

涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴり この頬 濡らしただけさ
ここは地の果てアルジェリア
どうせカスバの夜に咲く
酒場のおんなのうす情け

「カスバの女」という歌の頭のフレーズ。昭和40年代、青江ミナが歌っていた歌であろうか。何故か歌詞だけは覚えている。曲も。

不謹慎かもしれないが、あのアルジェリアの日揮の事件が起きた時、この歌が浮かんでいた・・・・。

地の果て・・・。

元日揮の社員で、長くアルジェリアに滞在していた人が語っていた。
あの砂漠の中の宿舎で、仲間たちとよくこの歌を歌っていたと・・・。
歌に託した「望郷の念」がそうさせたのだろうか。

事件後、報じされたアルジェリアの地名にマグレブというのがあった。アラビア語で“地の果て”を意味するのだと言う。

日揮本社に設けられていた献花台がきのうで終わったという。

満蒙開拓団として、満州に出向いた人達も、兵士も、そこは地の果てではなかったとしても望郷の念から、あの満州の荒野に沈む夕日に涙して歌ったという。

以前にも書いた「戦友」というある種の“反戦歌”。

♪赤い夕陽の満州に友の塚穴掘ろうとは・・・♪。

およそ人間は、地の果てと辺境とを「相対」として生きてきているのかもしれない。

東北。それは紛れも無く「辺境の地」である。都会から離れた場所という意味でも。

辺境の地にあるものは、辺境の地から都会に出て行った者は、望郷の念を込めて、それを演歌に託す。

「北」を題材にした、歌詞に入れた演歌のなんと多いことか。最果ての地ともそこは言われて。

地の果てで使命を果たしていた人達がいる。いた。命を賭して。
辺境の地にもそれらの人がいる。

アルジェリアにおける日揮の社員は、その関係者は、開拓者であり、フロンティアだった。
辺境の地も、開拓の地としなければならない。そこをフロンティアとしない限り、そこで失われた命や魂は行き場を失う。

日揮の社長には「真のリーダー像」を見た。東電の社長にはそのカケラも見られなかった。

時々ボクがなぜ日揮にこだわるのか。その現場がアルジェリアであった事も含めて、あの従業員宿舎が、仮設に酷似していた光景だったということも含めて、人の想いが重なるように見えるからかも。

そして、おそらく消えることのない地に果てと辺境という位置づけ。

辺境の民のさすらいは続いている。辺境とはいったい何なのだ。未開の地なのか、差別として存在する場所なのか。

意識や観念、認識を含めて、それを「埋める」使命が、その地の人には託されているような。

カスバという町にはたぶん酒場は無いと思うけど。辺境の地に於いては酒を片手に語り合える事や場がある。語ろうよ。

2013年2月1日金曜日

「論語読みの論語知らず」

書物に書いてあることを知識としては理解しているものの、それを生かすことが出来ない、実行することが出来ない。いや、もっと言えば、それは読めても意味がわかっていないっていうことを指すのでしょうか。論語読みの論語知らず。

江戸時代の庶民の“諧謔”ってことでしょうか。
「医者の不養生」ってのも同義語かも。

それは「学者」という人達にも当てはまるかも。マスコミの人も然りかと。
そして、なんと言っても政治家。

政治をやっている人達が、実は政治ってことの意味も在りようもわかっていないのだということ。そしてそれは、なにも今に始まった事ではなくて。

官僚も含めて、おおよそ全てのことをその慣例や前例で語る。今の時代に通用するのかっていうととんでもない。

被災地の多くが、その政治の運用を、それを生かすことを考えてもいないために、全てを既存の法体系や慣例で処理しようとする。

いくら「復興予算」を増額しても、それを執行するための地方自治体に、その能力が無い。人員含めて。

仏作って魂入れず。虻蜂取らず。

被災地の人達や避難している人達が感じるのは、多くがそういうことなんです。
何にも変わっていないって言うことも。

依らしむべし、知らしむべからず。それは、知らせる、わからせるってことがいかに難しいことか。わからせる努力をしなさいって事なんです。

成長、成長、経済成長。それで国が栄えたとしても、その陰で苦しむ民が出てくる。経済が経世済民ってことだっていうことも理解していない。
円安。株は上がりました。しかし、その影響でガソリン代は値上がりです。
田舎は、地方都市は車が無ければ暮らしていけないのです。

黒塗りの公用車に乗っている人にはわからない事だろうけど。

硬直化した行政もその類。消防法の改正で、ガソリンスタンドの地下にあるタンクの改修が義務付けられ、そろそろその期限。改修費はその経営者持ち。とてもそんな“投資”は出来ない。
ガソリンスタンドの廃業が相次いでいるという。相当な数。もちろん、危険を放置しろとは言いません。
しかし、規制をすることで、その役所は“責任”を免れられる。そこの経営者や利用者はたまったもんじゃない。

冬は灯油が必需品です。車のガソリンだけでなく。灯油の買いにくい状況になって行く。
それを救うのが「政治」ってものじゃないのですかね。

マスコミは「ジャーナリズム」って言葉をしばしば使う。知る権利と言い募る。
でもね、ジャーナリズムってことの真義をどれだけ理解しているのか。

「新聞記者、見て来たような嘘を書き」。こんなこともよく言われてきましたよ。
聞いた話を、さもその場に自分がいたようなドキュメント。

嘘とまでは言わないまでも、「以下の記事は、取材に基づいて記者がその場にいたように“再現”したものです」。そんな断り書きがあってもいいんじゃないかな。

岡目八目の言でした。そして、政治家は岡目八目の言には耳を貸さない。

おや、きょうで早や月替わり。歳月人を待たずってね。テレビが出来てから60年、何がどう変わったんだろう。当時の「熱さ」は消えたかも・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...