2013年2月6日水曜日

テレビが伝えた“限界集落”の住人の声

長野県栄村。新潟県に隣接する豪雪地帯である。
2011年3月12日早朝、そこは震度6強の地震に見舞われ、田畑には亀裂が走り、わずかな集落の家も大方全壊、半壊の被害を受けた。道路も寸断され、陸の孤島となっていた。まさに「見捨てられて人達」がそこに居た。

多くのメディアは、東日本大震災、原発事故の大惨事に目が行っており、栄村の“存在”に気がつかなかった。

栄村の“存在”が“被害”がメディアの目にとまったのは、10カ月も後。
ボクが承知している限りでは。

昨夜の報道ステーション。女性キャスターがあれからの栄村を伝えるために村に入っていた。
大方の田畑は復元されたが、牛を飼育していた人は再開できないという。個人には国が資金援助は出来ないという方針だからと。

その人は除雪作業に従事していた。除雪されて道路に立ってそのキャスターは伝えていた。おおよその記憶。
「今、私が立っている後ろの家々は何もなかったように見えます。しかし、中に入ってみたら、家は傾いており、壁ははがれたままです。そこに村に残った人達が住んでいます。
なぜ修復や改修、復旧を求めないのかと聞きました。こういう答えが返ってきました。まだ東北の人達が苦しんでいる。住むところもなく、住むところも失って。東北の人達のことを思うと我儘は言えないとおっしゃっていました・・。」

不覚にも・・・。

ツィターを覗いた。このことを書いている人がいた。リツイートされてものだったが。それを引用してボクは書いた。福島県人で多少余裕のある人は、栄村を応援したらどうだろうと。
それがまた、在りえないくらいの数RTされていた・・・。

そしてフォローも来た。

スタジオで古館がなんとコメントしたかはどうでもいい。この豪雪の時期に、全国ネットで栄村の現状や、そこに住む人達の気持ちを伝えたこと。
それに意義がある。

長野県にはNHKの支局もあれば民放の系列ローカル局もある。彼らが「栄村」をどう伝えているのかはわからない。伝えているはずだが域外には届かない。

全国ニュースで伝える義務があるはずだと。長野の片田舎にそんな人達が住んでいるということを。そこには国の力はほとんど及んでいないということを。
ローカルをローカルで終わらせていてはいけない。それはマスコミのやらねばならない、報道しなければならないことだとも。

全国紙の県版や地元紙が書いていても、それはそこだけのニュースとして消費され、完結されてしまう。中央が取り上げるべきニュースの数々。

まだテレビの役割は終わっていないと思う。テレビ報道に携わる人たちが、常にどこに目線を置いているかによる。

福島県の状況についてでもそうだ。南三陸についてでもそうだ。どこかでその伝えなければならないことが、その場で“完結”“帰結”されてしまっている。
何も進んでないし、変わってもいないのに。

中国の軍艦が照射レーダーを撃った。柔道界では“暴力”が問題とされている。
もちろん伝えなくてはいけないニュースだ。
しかし・・・・。と思う。

きょうのテレビは朝から雪、雪、雪の話題だ。お天道さまは、そこがどこであろうと、斟酌することなく、降るものは降らす。
雪の話題の焦点は「東京」のこと。たしかに東京に大雪が降り、交通機関がマヒし、都市が機能しなくなったら大変だ。

しかし、雪は降るのだ。人が作り上げたものには無関係に。

半壊した家の屋根から雪を下さねばその家は雪の重さに耐えかね倒壊する。
長野県栄村。そこもきょうは大雪だろう。そこに住む高齢者は“命をかけて”雪と対峙している。それを決して「敵」とは思わずに。

そして、もしかしたら雪の重さに耐えかねて倒壊する家屋が、福島県の奥会津、南会津で起きているかもしれない。

「国土改造」。それのあるべき姿は“辺境の地”にあると思うのだが。

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