おとといまでの気温とはうって変って、きのう、きょうと“春”を予感させる気温。わずか二日で10度も変わると言う温度差。
寒さのせいだったのか。行きつけの魚屋さんの息子さんが、クモ膜下出血で過日亡くなったとのこと。一家の大黒柱。お子さん3人、両親、奥さん・・・。
寒い仕事場で倒れていたという。
何処とは言わない、何処とも言えない。あの大震災、津波で、一家の主を亡くされた家庭は数多くある。その“光景”が重なってしまう。
遅ればせながら弔問にと。今日、その仕事をやっていれば・・・。他人の勝手な思い。
東京で雑誌社を経営している、主に政治のことを取り上げている月刊誌だが、旧知のその社長から電話がかかって来た。
ある人の“伝記”のような特集をやりたいのだと言う。事情をよく知っているあなたに協力してほしいという。やぶさかでは無い。
ライターや編集者を連れてこっちに来ると言う。それが要件。
途中の会話。地震の被害状況を聞かれ、それに答える。今はなんともないのかと聞かれる。そうだと答える。
そっちに行ったついでにゴルフをしようと言う。昔はよく一緒に遊んだから。
グルフはやらないと答える。
何故?。そんな心境にならないと答える。だって健康なんだろ、普通に暮らしているのだろうと問われる。
「あのね、ここはね、被災地なんだよ。俺は普通の生活をしているけど、ここは被災地なんだよ。不自由な生活をしている人が大勢いるんだよ。そんな気分になれないな」。
「そうか、被災地か・・」。会話が途切れたりもした。
友情とは別問題。やはり感じる東京と郡山の温度差。気持ちの温度差。いかんともし難いことなのだが。
もしかしたら、ボク自身の中で、日常生活というものの「回路」が狂ってしまっているのかもしれない。進めないのかもしれない。
ゴルフと聞くと、よく通っていた富岡のゴルフ場を思い出してしまうからかもしれない。“無人”のゴルフ場を。
スピードという言葉の温度差。
高度経済成長の副産物だった原発。車、新幹線、生活様式・・・。さまざまな分野で人々はスピードを求めた。一日24時間を48時間あるように勘違いしたような生活を送った。
国の形としての成長、急成長。それに、はたして人の頭脳や心がついていっていたのか。
たぶん、こころと形がバランスを欠いたまま、この国は進んで来たのではないかとも思う。
「便利さ」の中に、沢山の“忘れ物”をしてきたにもかかわらず、忘れ物があること自体に気付いていないような。
今朝の天声人語にあった一節。名古屋を走ったSLの機関士さんの言葉だという。
「SLは人間が作った乗り物での中で、一番人間に近い。しんどそうに、坂を上ったり、楽に走ったり。人間らしくやりたいナ」と。
そして政治家は言う。権力を持った人は言う。「スピード感をもった復興」と。
あちこちに“更地”が出来た。瓦礫なるものも福島県を除いては処分が進められている。それが「復興」なのか。
仮設住宅に住む人達は言う。「もう復興という言葉に期待しない」と。自分がやれることを細々とやって、勝手に自分のこころの復興を図っているとも。
昨日書いた双葉の話し。井戸川前町長は立候補を辞退したという。健康の問題だと言っているそうだが、その“実態”“真相”はわからない。
「わからないこと」だらけ。何が何処で起きているのか、何が何処でどうなっているのか。自分の心の中の“温度差”を埋めて、縮めていかなければならないと思うのだが・・・。