2013年2月25日月曜日

「身土不二」と「コミュニティー」と

身土不二という言葉がある。いろんな解釈がされている。今はやりのマクロビとか地産地消につながるものとか、医食同源と同義語だとか。

字をそのまま読めば、身体と土は二つならず。一体だということになる。

「自分が生まれ育った土地の、自分の家から一里四方の土地、田畑から採れた食物を食べて暮らすのが最良だということだ。それは自分が住んでいる土地の気候風土、毎日吸っている空気、それと同じ環境のところで出来あがった農作物を食べて暮らすのが理にかなっているということだ」。
そんな話をしたことがある。塾で。

大都会ではありえないこと。それでも、子供の頃はまだ東京でも、家の近所に畑があり、田んぼがあり、西瓜畑があり、トウモロコシ畑もあった。よく盗んだ・・・。

ちょっと「郊外」に出ると、それこそ八王子あたりまではいかなくとも、三多摩と言われるところには田園風景、農村風景があったものだが。

原発事故は、その身土不二という考えを一変させた。幸い、ここ郡山では、一里四方ではないものの、地元で採れる野菜や米が、手に入る。入る時には。
身土不二とは季節感をも伴っている。
郡山の農家では、よほどの大規模農家ではない限り、季節外れの物は作らないが。

原発被災地。相馬から双葉郡8町村。農家が多い。多かった。そこでは、たぶんお茶受けの漬物からはじまって、知らず知らずというか、当然のこととして身土不二が実践されていた。

なによりも美味しいから。

その身土不二の“感覚”が、地域コミュニティーという“集落”を形作っていたのではないかとも思う。「同じ」ものを食べているから。

それが見事に崩壊した。
もう、自分の畑や田んぼで作られるものを食べることが出来ない。
ふるさとに戻りたい、元の生活に戻りたい。そんな想いを強く抱いている人達には、おそらく、その、理屈では無く、身体に染みついた“感覚”があるのではないかとも思う。

一つの側面から見ただけのことかもしれないが。

昨夜、町内会の集まりがあった。「うちのばあちゃんが漬けたんだ」。差し入れの白菜の漬物。美味しかった。
そして飲みながらの話題は、近くにある仮設の話にも及ぶ。町内会にも借り上げ住宅に住む何世帯かの避難してきた人達がいる。帰るあての無い町の人達。

「あの仮設は何年あるんでしょうかね」と聞かれる。「今は3年です」と答える。そして今朝見た新聞。4年に“延長”と書かれていた。復興住宅の建設が進まない。
我が家の近くの、ビッグパレット脇の仮設に暮らす人達は、まだあろ2年、そこで暮らすことになる。

車を持っていて若い人たちは、ちょっと遠距離のスーパーに買い物に行く。車を持たない、運転出来ない高齢者は、キャリーバッグをひっぱりながら、この寒い時期でも、風の強い日でも、20分ほど歩いて、そこにあるスーパーに行く。そこにある野菜は、ほとんどが県外産。

どんな思いで食料品を買っているのだろうな・・・ふと思う。

話は飛ぶ。「もしね、あの時、ここも避難区域になっていたら、どうする?町内会が一緒になって、どこかの体育館に行くかい?
コミュニティーってことで?」そう聞く。「あり得ない」と返答がある。「だってさ、180世帯の町内会だって、向こう三軒両隣、はっきり言って住んでいる人達のこと、よくわからないもん」と。

前にも書いた。個人情報保護法は地域のつながりをコミュニティーを“破壊”していると。それを言うと町内会の役員さんたちは、同感してくれるが。

そしてーー、今でもあるだろう被災地の地域コミュニティーというもの。それも健在しているのかどうか。例えば補償金の話しなどでは必ず意見が分かれる。
地域コミュニティー。なんだかわからない横文字。識者が好んで使う。
部落や集落に置き換えた方がわかりやすいのになんでも横文字。

それは今でも存在し、機能しているのか。多くの地域で。崩壊しかかっているようにも見える。

自主避難した人達は、そこで新たな「コミュニティー」なるものを作ったとも聞く。それが出来れば、そこからは逃れ難くなる。

あの震災、原発事故が壊したものは余りにも大きい。

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