去年の9月に発刊されたらしい。5,000部刷ったとか。その新聞紙は手にしたことはないが、例えば河北新報などでは紹介されていたらしい。一部の民放でも、一回だけかと思うけど取り上げられていた。
ボクが見たウエブの、ネットで見られる新聞。それは毎日発刊されてはいないようだが、「今だから語れるあの日の記憶」が語られ、取材した記者の感想が載せられている。
大槌みらい新聞のトップページにはこう記されている。
~未来のために今日を記録する~
復興への歩み、地域の出来事、人々の思いを記録し、発信することで復興を支えていきます。
みらい新聞の“新聞綱領”だ。
そして引用されていたあの歌詞。
「苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、だけど僕らはくじけない」。そう、あのひょっこりひょうたん島の歌。「泣くのは嫌だ、笑っちゃおう、進め~~」と続く歌。その島は大槌町にある、沖合にある蓬莱島だという。
〝 綱領“は続く。
人々から生まれる希望を照らす灯火として、未来のために大槌の今日を記録します。と。
創刊号を飾ったのは町出身でプロ歌手としてデビューした臼澤みさきちゃん13歳。すでにNHKの歌謡コンサートでも歌っていた。
ジャズトランペッターを目指す吹奏楽部の中学生の話もあった。
そして何人の人かが語る津波の体験。生きていられて人達の体験。津波に流されながら飼い犬を手放さなかった人の話し・・・。
それぞれの人が語る“記憶”が、よびさまされて記憶の記録が、どういう形で未来に結びついていくのかはわからない。
しかし、今語られる「当事者」達の記憶は、生死の境をさまよって人たちの思いは我々も共有すべきものだと思う。
この小さな新聞が、時々書く、NHKの被災地からの声という番組と重なる。
およそ全国の人達には届いていないということ。そしてそれらはすべて画像や映像を伴った「本人」の言であるということ。
被災地閖上ではボランティアが参加しての行方不明者捜しが昨日も行われていた。ネットを介してそれを知った人達が参加しているという。
何年も続けるとその一人は言う。
未来のために、今、記録しておくべきこと。それの何と多いことか。
記憶を呼び覚まし、それが辛い作業であっても、「当事者」が語るべきことは多くあると思う。
復興。そう復興させねばならない。しかし、その「復興」とはいったい何を指すのか。
被災地の人たちの「思い」がどれだけ届けられているのか。
そして知りたい。あの日、あの日からの原発。東京電力福島第一発電所、第二発電所の中で何があったのかを。当事者の生の声で。
「死の淵を見た男」と言う本が刊行されている。新聞も一部も例えば自衛隊に焦点をあてて、その時の模様を書いている。それらは、その一部を伝えてくれている。でも、まだ「ウソ」がまかり通っている。
そして、大方は「ジャーナリズム」という観点で物をみている。論じなくてもいい。その地にあって、そんな言葉は無いだろうが「ローカリズム」の視点に立って書き続ける人が必要なのだと。
「みらい新聞」の執筆者は、たぶん、ある種のボランティアとして参加しているライターのように見える。10人程度の。
その10人の人達の筆が、この国をいささかでも変えることに繋がっていってくれればいいなと思う。
読める“環境”にある人は読んでみてください。なにか届く物があると思うから。小さな、弱い人々の声や経験が、何よりも大きいことに気づくこともあろうと思うから。