2013年2月3日日曜日

「今のテレビについて」あらためて。

テレビが、NHKがテレビ放送を始めてから60年が経った。
一昨日、その「特番」をやっていた。

テレビ、テレビジョン。テレは遠く、ヴィジョンは見る。遠くを見るもの。
そんな語源があるのだが。

ボクがたまたまその世界に身を投じたには、テレビが出来てから10年以上も経った頃。

テレビのニュースは朝、昼、夕方、夜。それぞれ10分から15分。フィルムとテロップ。単にあったことを伝えるだけ。

新聞からは「電気紙芝居」と揶揄され、報道機関としては認められず、記者クラブにも加盟出来たり、出来なかったり。
ことニュース取材に関しては「悔しい日々」の連続だった。

その頃か。NHKノディレクターだった小中陽太郎が「機械仕立ての玉手箱」と書き、その玉手箱は茶の間の上座に据えられていた。その名残だろうか。
今でもNHKは「御茶の間の皆さんに」という。

そして、テレビの世界に入った人達は、そのテレビというものを、その本質を把握出来ないまま、「テレビとは何か」を毎夜論じあっていた。語りあっていた。

「お前はただの現在にすぎない」。テレビに何が可能か。先駆者たちが出した一つの“結論”。

今もそれが問い続けられていると思う。
NHKの制作者を中心に、テレビについての論評が相次いでいた。
「映像とは何だろうか」。ドッキュメンタリー番組を主に手掛けて来た吉田直哉の問いかけ。

「テレビの嘘を見破る」。TBSでやはりドキュメンタリーを手掛けて来た今野勉の問いかけ。

テレビの草創期の人達の問いかけは今も答えを見いだせないまま続いていると思う。

ボクはテレビが好きである。それは、今の番組がそうだという事では無く、そのものが。テレビは文化であり、そこに包含されるCMもまた文化であり、購買意欲をそそるCMでありながら、そこには、いや、CMの役割がそうであるから、世相を反映した15秒の“文化”があると思っている。

「3・11」前から、それ以降も、折に触れてテレビを批判し続けて来た。それは批判のための批判では無く、テレビを思うが故の、そこで人生の大半を送って来た者として、その「立ち直り」や「覚惺」を求めるための言辞。

「3・11」はテレビの在り様を大きく変えた。あの「テレビ伝言板」のようなやり方含めて、テレビが持つ機能を最大限に発揮しようとした。

そして、いつの間にやらテレビはまた元に戻ってしまったような気がする。

おいおい書いていくことになるかもしれない。この「ネット社会」と言われる中でのテレビの在り方について。

とりあえず一言。テレビはネットに迎合し始めたということ。共存という名のもとに、それにすり寄っているということ。

テレビのデジタル化。あれは一体何だったのか。通信との融合、双方向性・・・高画質。

ある種外圧によって進められて施策。テレビ局は過度の設備投資を強いられ、経営に大きな負担を負い、それが製作費の圧縮に繋がり、番組の質を下げた。

家電産業は大きな負債を抱えた。

そして、今、急浮上している「4K」なる新しい受像機。家電業界はそれで起死回生をもくろむ。4Kに対応すべくテレビ局側に新たな、例えばカメラも含めた高精細な画質を求めた新たな投資が求められるのではないかという危惧。

ハードかソフトかと言う二項対立論では解決できないような問題。

テレビ離れが加速しているという。その数字は果たして本物かという疑問。

わずか60年にしかならない“歴史“の中で多くの問題を抱えてしまったテレビ。

テレビが与える“影響”は大きい。3・11、原発事故で、それは“証明”された。ある意味“負”の問題として。

今日は思い立っての「入口論」。折にふれて、いや続けてか。書かねばならない。書かねばすべてが、いや、半生を否定することにもなってくるから。


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