涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴり この頬 濡らしただけさ
ここは地の果てアルジェリア
どうせカスバの夜に咲く
酒場のおんなのうす情け
「カスバの女」という歌の頭のフレーズ。昭和40年代、青江ミナが歌っていた歌であろうか。何故か歌詞だけは覚えている。曲も。
不謹慎かもしれないが、あのアルジェリアの日揮の事件が起きた時、この歌が浮かんでいた・・・・。
地の果て・・・。
元日揮の社員で、長くアルジェリアに滞在していた人が語っていた。
あの砂漠の中の宿舎で、仲間たちとよくこの歌を歌っていたと・・・。
歌に託した「望郷の念」がそうさせたのだろうか。
事件後、報じされたアルジェリアの地名にマグレブというのがあった。アラビア語で“地の果て”を意味するのだと言う。
日揮本社に設けられていた献花台がきのうで終わったという。
満蒙開拓団として、満州に出向いた人達も、兵士も、そこは地の果てではなかったとしても望郷の念から、あの満州の荒野に沈む夕日に涙して歌ったという。
以前にも書いた「戦友」というある種の“反戦歌”。
♪赤い夕陽の満州に友の塚穴掘ろうとは・・・♪。
およそ人間は、地の果てと辺境とを「相対」として生きてきているのかもしれない。
東北。それは紛れも無く「辺境の地」である。都会から離れた場所という意味でも。
辺境の地にあるものは、辺境の地から都会に出て行った者は、望郷の念を込めて、それを演歌に託す。
「北」を題材にした、歌詞に入れた演歌のなんと多いことか。最果ての地ともそこは言われて。
地の果てで使命を果たしていた人達がいる。いた。命を賭して。
辺境の地にもそれらの人がいる。
アルジェリアにおける日揮の社員は、その関係者は、開拓者であり、フロンティアだった。
辺境の地も、開拓の地としなければならない。そこをフロンティアとしない限り、そこで失われた命や魂は行き場を失う。
日揮の社長には「真のリーダー像」を見た。東電の社長にはそのカケラも見られなかった。
時々ボクがなぜ日揮にこだわるのか。その現場がアルジェリアであった事も含めて、あの従業員宿舎が、仮設に酷似していた光景だったということも含めて、人の想いが重なるように見えるからかも。
そして、おそらく消えることのない地に果てと辺境という位置づけ。
辺境の民のさすらいは続いている。辺境とはいったい何なのだ。未開の地なのか、差別として存在する場所なのか。
意識や観念、認識を含めて、それを「埋める」使命が、その地の人には託されているような。