2013年2月18日月曜日

「支持する」をどう見るのか

マスコミの世論調査で、安倍内閣の支持率が高い。各社、多少の差はあっても70%前後。しかも、いわゆる「ご祝儀相場」とは違い、支持率は上向きの傾向。

それは、積極的支持なのか、消極的支持なのか。

選挙の得票数から言えば、積極的に支持とはちと違うと思うし、安倍内閣が打ち出す政策や、その政治そのものが支持されているのかどうか戸惑う。

「70」という数字だけ見れば、国民の70%が彼を支持していると言う“感覚”。

「変わること、変化」を求めた日本国民は、長い自民党政権に別れを告げようと民主党政権を誕生させた。それが・・・。まさに「空白の3年間」であったということ。民主党政権下で起きた、類を見ない「国難」。

あの時ボクは「この国は終わった」と何回か書いた。そこに“政治”が果たすべきことを見いだせず、この国の民が、どんどん“失望”や“絶望”に陥っているさまを見、感じたから。

そして、それが、民主党政権が変わることを国民は、再び選択した。それは民主党不支持という形の選択。

民主党政権誕生で“高揚”したメディアは、再び、自民党政権復活に“高揚”しているかに見える。

そして、読み取りにくいのだ。国民の意志なるものを。

内閣支持率は70%。しかし、個々の政策や考え方について問われると「支持」は大きく減る。少なくとも安倍のやること全てに国民の70%が賛同しているとうわけではないこと。

例えば原発。その時期にはずれがあるものの、「やめる」という選択を示している人は、それこそ70%いる。安倍の原発に対する考えは、その選択肢には「やめる」というのは入っていない。
そして、原発被災者に対する関心は薄れ、風化しつつあると思っている人も70%に近い数字となっている。

経済成長は、憲法改正は・・・。安倍の施策を支持している人はとてもじゃないが70%なんていない。

それなのに内閣支持率となると70%の支持。

そこにあるのは、未だ消えない民主党政権への「不信」と「失望」。元の自民党に戻せば、もっとも、それも選挙の結果論だったのだけど、なにかしてくれるのではないかという「ささやかな期待感」ということになるのだろうか。

もし、あの時、あの「国難」の時、自民党政権だったら、「まとも」な対応が出来ていたのだろうか。おそらく民主党政権と大同小異だったのではないか。

何党の政権であろうとも、国を動かしている、国を壊してしまうかもしれない。統治機構は、官僚が握っているのだから。

政党支持率だの、内閣支持率だのをやってないで、この国の統治の在り方を問う世論調査なんていうものをたまにはやってみてはいかがかと。

そして、一括りの支持率調査ではなく、各論に別れた突っ込んだ調査なるものをしてはいかがかと。

民主党の凋落は甚だしい。壇ノ浦の戦いに敗れ敗走した平家を見るがごとくに。いや、それ以上の惨状。

あの3年間は何だったんだろう。鳩山・菅・野田。その政権への批判を何回書いてきたことか。

参院選。たぶん自民は圧勝するだろう。いわゆる「ねじれ」は解消するだろう。
やりたいことをやれるだろう。

3・11で多くの国民が、程度の差こそあれ思ったこと。「この国はかわらなければならない」。その「変わる」ということの帰結が「自民党の完全復活」ということで、「思い」は遂げられたということになるのか。
ともかく、選挙という「意志」を表明できる権利行使に当たって、選挙制度の改革すらおぼつかない今の政治家達。

民意の反映っていう「幻」は、幻のままに、政治は進んでいくような・・・。

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