2013年2月23日土曜日

すべてのことには”時”がある

地震は時々あるし、雪は例を見ないような量が降ったところもあるし、隕石が落下しているし、あげく、太陽の黒点がどうだとか。

地球がおかしいよ、宇宙は・・・。無知な素人はすぐそう考える。

隕石がロシアに落下した時、あるテレビの女性アナウンサーが決まり文句を言っていた。
「まさかの時に備えて、皆さま、十分に備えをなさっておいてください」みたいなことを。どう備えりゃいいんだい・・。

世の中、決まり文句で成り立っている。臨機応変の言葉遣いって無いのか。

その番組でか。学者が言っていた。宇宙の動き、それは、結局よくわかりません。もはや“宗教”の分野かもしれないですね。と。

なかなか正直な奴だ。一昨年のあの日以降、時々引用させて貰っていたのが旧約聖書の一部。あらためて取り出してみる。なんとも時宜にかなったものだなと。

旧約聖書、伝道の書(コヘルトの言葉)にある一節。

何事においても最もふさわしい時期があり
この世の中のすべてのことには時がある。

生まれる時があれば、死ぬ時がある。
植える時があれば、植えたものを引き抜く時がある。

殺す時があれば、癒す時がある。
壊す時があれば、建てる時がある。

泣く時があれば、笑う時がある。
嘆く時があれば、踊る時がある。

石を投げる時があれば、石を集める時がある。
抱擁する時があれば、抱擁をやめる時がある。

探す時があれば、探すのをあきらめる時がある。
取り置く時があれば、捨て去る時がある。

被災地、福島県。時が止まってしまったままの所が多い。あの日のまま。
「すべてのことに時がある」。その「時」とは叶った、時宜に叶った時と解釈する。

あらゆることが、ほとんどの事が、その時を失し、その場を失し、神の意志とは、いや、神に意志があるかどうかも不明だが、“悪魔”に追われたごとき民や生き物が生まれ、捨て去られたような日々にあるということ。

それは、たぶん、人間が、火を求め、文明の名のもとに、豊かな暮らしを求めるために手を染めたことに対する火の神の怒りにふれたことなのかもしれないが。

被災地とは無関係に世の中の多くは動いている。それは致し方無きことであり、「その時」はもう過去のものとされてしまっているのかもしれないから。

前を向くって、そういうことだったのかなとも。

日米首脳会談があった。TPP問題含め、同盟強化を含め、「一致」したことの多くが伝えられる。3年数カ月の空白があったと言う。これも「時」か。

森元首相が、「時」を同じくしてロシアに行った。引き分け論議をしてきた。気配は“二島返還”に向かう気配。

きょうも雪は降っている。ロシアでもアメリカでも。政治・外交でお互いの雪解けムードが“演出”される。

それは日中・日韓の間の“わだかまり”への影響もあるだろう。

すべてのことに時がある。それは時の流れに身を任せ・・ということではない。

そして思う。帰れない故郷を、いまだ“取り置く時”なのか、“捨て去る時”なのか。

時計は止まったままなのか。ちょっとは針が進み始めたのか。「時」をどう受け取り、どう解釈するか。

私事では、時間に追われる一日が始まっている・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...