書物に書いてあることを知識としては理解しているものの、それを生かすことが出来ない、実行することが出来ない。いや、もっと言えば、それは読めても意味がわかっていないっていうことを指すのでしょうか。論語読みの論語知らず。
江戸時代の庶民の“諧謔”ってことでしょうか。
「医者の不養生」ってのも同義語かも。
それは「学者」という人達にも当てはまるかも。マスコミの人も然りかと。
そして、なんと言っても政治家。
政治をやっている人達が、実は政治ってことの意味も在りようもわかっていないのだということ。そしてそれは、なにも今に始まった事ではなくて。
官僚も含めて、おおよそ全てのことをその慣例や前例で語る。今の時代に通用するのかっていうととんでもない。
被災地の多くが、その政治の運用を、それを生かすことを考えてもいないために、全てを既存の法体系や慣例で処理しようとする。
いくら「復興予算」を増額しても、それを執行するための地方自治体に、その能力が無い。人員含めて。
仏作って魂入れず。虻蜂取らず。
被災地の人達や避難している人達が感じるのは、多くがそういうことなんです。
何にも変わっていないって言うことも。
依らしむべし、知らしむべからず。それは、知らせる、わからせるってことがいかに難しいことか。わからせる努力をしなさいって事なんです。
成長、成長、経済成長。それで国が栄えたとしても、その陰で苦しむ民が出てくる。経済が経世済民ってことだっていうことも理解していない。
円安。株は上がりました。しかし、その影響でガソリン代は値上がりです。
田舎は、地方都市は車が無ければ暮らしていけないのです。
黒塗りの公用車に乗っている人にはわからない事だろうけど。
硬直化した行政もその類。消防法の改正で、ガソリンスタンドの地下にあるタンクの改修が義務付けられ、そろそろその期限。改修費はその経営者持ち。とてもそんな“投資”は出来ない。
ガソリンスタンドの廃業が相次いでいるという。相当な数。もちろん、危険を放置しろとは言いません。
しかし、規制をすることで、その役所は“責任”を免れられる。そこの経営者や利用者はたまったもんじゃない。
冬は灯油が必需品です。車のガソリンだけでなく。灯油の買いにくい状況になって行く。
それを救うのが「政治」ってものじゃないのですかね。
マスコミは「ジャーナリズム」って言葉をしばしば使う。知る権利と言い募る。
でもね、ジャーナリズムってことの真義をどれだけ理解しているのか。
「新聞記者、見て来たような嘘を書き」。こんなこともよく言われてきましたよ。
聞いた話を、さもその場に自分がいたようなドキュメント。
嘘とまでは言わないまでも、「以下の記事は、取材に基づいて記者がその場にいたように“再現”したものです」。そんな断り書きがあってもいいんじゃないかな。
岡目八目の言でした。そして、政治家は岡目八目の言には耳を貸さない。
おや、きょうで早や月替わり。歳月人を待たずってね。テレビが出来てから60年、何がどう変わったんだろう。当時の「熱さ」は消えたかも・・・。