2013年2月16日土曜日

変わっていくのは町の「光景」だけ

所用も兼ねて郡山の町の中を少し周って来た。
いつも通る道すがらもそうだが、ちょっと入ってみると驚く。
光景が変わっている。つまり、あったはずの建物が無い。
そして、新しい建物になっていたり、改修されている。

空き地が目に付く。ぽつん、ぽつんと。そこにあった建物が解体されたからだ。

なぜかいたるところで重機が目に着く。重機が動いている。解体中なのだ。
折からの強風。
作業中に飛ばされた、たとえば屋根だったトタン板が飛び散っている・・・。
ちゃんと回収されるのかどうか。

解体は“復興”の一里塚なのだろうか。

いわゆる旧市街。古い家やビルが多い。あの3・11後、「キケン」な建物として赤い札を張られたところは、大体が解体が終わっていた。

ノガイ薬局ビルという大きな建物があった。一つの目印だった。そこはすでにコンビニに変わっている。
大山旅館と言うのがあった。そこは駐車場に。辰柳という唯一だったかもしれない料亭は空き地のまま。

人の記憶とは不思議なもの。そこが無くなると、あれ、あそこに何があったんだろうとなる。建て替わると、あそこは以前何だったんだろうってことになる。

町中に出来たポツンポツンとした空き地。まさに異空間に迷い込んだような不思議な光景。

駅前の旧丸井ビルも解体されるという。旧トポスの別館もそうなるという。昔、マルミツデパートと言ったビルもシャッターがおりていた。解体だという。
市の予算がついたから。そう、市の予算はきのう可決されている。たしか前年比12%強だとか。

月に一度、仲間が集まっての飲み会をやっていたビルも解体が決まった。そのビルは震災以前から“倒産”しており、一階と地下の店を除いては、上のいわゆるマンション部分には人は住んではいなかったが。半壊扱いされたビル。住んでいなくてよかったのかもしれない。

解体後、そこに何が建つのか、どんな施設が出来るのか。決まってないという。いや、決められないのだ。

この町にあるビルの多くは、いわゆる地権者が入り組んでいるし、相続に相続が重ねられている。まとめるのは生半可ではないと。

古い町並みは懐かしい。でも、どこかでは、生まれ変わらなくてはならない。
酷なようだが、大震災は、この町にとっては、その不幸を生まれ変わらせるチャンスと捉えるしかないのかもしれない。

郡山はまだ良い方だ。そりゃそうだろう。手が付けられない町や村が50数キロ東にはあるのだし。

何のプロセスも経ずに一挙に壊滅した町や村や市だってあるのだから。

だけどね。いや、だからか。3・11後に“期待”した「生まれ変わる」っていう思いは。町の光景を思ってじゃなかったはず。この国の在り様を指していたはず。

「経済成長が人を幸せにすることではなく、我々が求めるのは、つつましやかでも豊かな、幸福に思える社会」だったはず。
でも、この国は、“成長のための成長”を目指している。「意識」を本当に変えた人達って、どれくらいいるんだろうかと。

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