2006年12月22日金曜日

dog is god

戌年が終わろうとしています。戌は犬。世間のお犬さまはわが年をそれぞれ謳歌したのでしょうか・・・。
銅版画家の山本容子さんはその著書「犬は神様」で、面白い「発見」を記されています。
銅版画家は版画の性質上、しばしば物事を反転させて考える。あるとき犬(DOG)を反転させると神(GOD)になった。そう、犬は神様なんだーと。
わが意を得たり!。モノグラムの妙か。犬という動物がこの世に存在したときの神がその動物を自らの使いとしてDOGと名づけたのかと思考が飛ぶほどの置き換え。確かに。納得。我が家においても犬は神様なのです。散歩を催促し、ごはんを催促し、わがままいっぱいに暮していますが、彼や彼女からどれだけ"愛"を貰ってきたか・・・。「犬の眼はキリストの眼に似ている」。遠藤周作が書いていましたが、常にどこか憂いを含んだような犬の眼はたしかにそんな表現がぴったりです。犬が人間に与えてくれる愛。それは無償の愛。犬の目によってどれだけ癒されてきたでしょうか。犬の仕草にどれだけこころ穏かにされたでしょうか。

戌年。例えば徳島の「崖っぷち犬」。お騒がせクン。やっと人の手から餌を食べるようになったとか。恐る恐る口にする姿は、どこか、かつては捨て犬状態だった我が家の「澪ちゃん」に似ています。今は「主」のようですが。
年末、もしかしたら「神様」がもう一頭我が家にくるかもしれません。先輩と後輩。神様同士が仲良くできるのか。きっと仲良くするでしょう。

そのうち、どこかに、我が家の犬の話、かかわった犬の話を書いてみようかな。「神様」のことを書くのはおこがましい気もしますが。沢山の"愛"をくれた犬へのエピタフを記すのも、貰ったもののすべき事かもしれない。そんな気持ちになる戌年の暮れです。



2006年11月17日金曜日

100円ライター

とにかく「物忘れ」がひどくなっています。先日、新幹線に乗ることに。切符を買ってちょっと一服。ドトールコーヒーの喫煙席へ。無い!!タバコもライターも。隣の席では若い女性がプカプカ。「ちょっと一本下さい」ってわけにもいかず・・・。出かける荷物は持ってきたのに肝心のタバコとライターを忘れたのです。コーヒーもそこそこに改札を入ってキオスクへ。タバコは買いました。でもラーターのこと忘れてる。週刊誌買った時に気付きました。またレジへ。100円ライターを買うのはすごく悔しいことです。家にも事務所にもいっぱいあるのですから。でも背に腹は変えられぬ。ライターと手に取り100円出すと「130円です」とのお返事。ぎゃ〜〜〜。ライター130円。凄い損をした気分。吸えないのならしょうがない。130円払いましたが・・・。
なんで100円ライターがいつの間に130円になったのですかね。なんの変哲もないやつですよ。困った人からのぼったくり!!。タバコはどこで買っても、週刊誌はどこで買っても同じ値段なのに、ライターは違う。まるで富士山頂での飲み水状態。だけどライターにはなんの労力も使われていない。ゴルフ場の飲み物状態かも。食い物状態かも。ゴルフ場で1,000円以下のラーメンに出会ったことない。そこでしか食べられないから値段はいかようにでも付けられる。そして、まず不味い。

キオスクで買ったライター、ご丁寧にシールまで貼られました。みっともない。
もう絶対忘れないぞ、ライター。
ちょっとした物忘れは大損した気分にさせられる。ばかばかしいお話でした。
タバコ吸う人、こんな経験おありですか(嘲笑)。



2006年10月3日火曜日

「ぶら下がり」

最近の新聞記事、政治面に、よく「ぶら下がり」という言葉が登場します。総理大臣と内閣記者会との立ち話のインタビューのこと。それを一日一回にするか二回にするかで揉めているようです。
「ぶら下がり」−−。なんて奇異な言葉でしょう。だれが何にぶら下がるの?カギカッコ付きとはいえ、新聞がこの変な"業界用語"を当然のように使っているのにはあきれます。
昔の記憶をたどれば、「ぶら下がり」とは、テレビ、ラジオが使っていた特殊用語。しかも稚拙な表現。
かつて総理番の記者と総理大臣が交わす会話は歩いているときだけ。もちろん新聞中心。そばにいる記者が質問し、それをあとで「番小屋」で各社の記者に教えたものでした。やがてテレビがジャーナリズムとして認められるようになった昭和40年代後半。総理サイドは時折テレビのインタビューに応じるようになりました。しかし、各社のマイクをごそっとだされることに違和感。そこで代表取材。例えばNHKがインタビュー。マイクは一本。そのマイクで拾った音声を、テレビ・ラジオ各社にその場で分岐配信。一本のマイクに各社がぶらさがったーー。そこから「ぶら下がり」という業界用語が生まれました。ぶら下がり方式とも呼びました。安易な発想から生み出された苦肉の策の"用語"です。その頃考案された取材方法の異称がいまも使われていることの驚き。単にインタビューといえばそれでいいのに。それとも今でも音声だけは「ぶら下がって」いるのでしょうか。テーブルの上には録音機がいっぱい並べてあるように見えるのですが・・・。
「ぶら下がり」−。美しい日本語ではありません。語感も含め。昔の用語が使われているのは懐かしくもあり、しかし、業界用語を押し付けられる読者、視聴者は悲しくもありーーではないでしょうか


2006年9月1日金曜日

黒ネコの疾走

黒ネコと言っても本当の猫ミャーミャー 〜(=^・・^)ヘ >゜)))彡ちゃんではありません。くろねこヤマトの宅配便。
制服を着たお兄さんが道路を疾走しています。それがですね〜面白いっていうか、感動というか。三輪車をこいでいるのです。後ろの荷台に荷物を入れた大きな箱を積んで。思いっきりこぐペタル。まさに競輪選手のような勢いで道路を走っています。駐車禁止問題以降、いろいろな手立てが講じられてきたようですが、三輪車を見たのは始めて。たしか昭和30年代まではあったんです。三輪車。オート三輪も。自転車の荷台のそれこそ三倍以上の荷物を積める。時代が大きく遡ったような感覚。宅配業者の知恵ですね。
それに、その一生懸命走らせている姿が心地よい。本人はとっても辛いんでしょうが。友人と二人。その三輪車を追いかけながら感服していました。近くの駐車場にトラックを置いて荷物を積み替え、目的地に向かうのでしょうね・・・。きょうから9月。初秋の町のヒトコマ。後ろに箱を積んだ郵便局のバイクが猛然と三輪車を追い越して行きました・・・・。


2006年8月1日火曜日

もうひとつのG・N・P

「我々の業界にもGNPって言葉があるんですよ」。最近昵懇になったある生保会社のライフプランナーが言い出しました。「ギリ・ニンジョウ・プレゼントなんですがね。まだまだ日本の生保業界はこうした感覚で成り立っているんです」。彼とはある会合で隣り合わせになり、それから時々話をするようになり、時々事務所を訪問してくれます。保険の勧誘は一切無し。「保険の中味は難しいです。みなさん入るには入っておられるけど、さて、具体的のどんな保険かというと、あまりご存知ないんです。義理・人情で入ったかたは、いいよ、適当にやっておいてーって方が殆ど。保険加入者とはある程度話をするけど、受取人さんとは殆ど話しをしていない。説明もしていない。だから、万一のことがあったときが大変なんです」。そんな雑談・・・。う〜ん。わが事も然りかな。
「面白い横文字だね。それを読み方換えたら?」。すぐいたずら心を起こす亭主。「グッド・ネイションズ・プレジャーなんていうのはどうかな。国民に良い喜びを与える保険」。「いいですね、使います」。
 彼からプレゼントを貰いました。三社札。彼は三社札を作るのが趣味とか。携帯電話のストッラップになる木札。きちんとニスで加工してあります。表は名前。裏には座右の銘。専用のストラップ。面白いアイディア。お礼にアイデアをひとつお返ししました。顔写真付きの郵便切手。郵便局の申し込めば作ってもらえます。筆まめな人にはもってこいのツール。「知らなかったです。早速やってみます」。
彼がどんな切手を作るのか・・・・。
友人の一人にHさんという保険の総合コンサルタントをやって居る人がいます。この人は凄い。博識。会社や事業主が加入している保険の数々を精査し、効率よい保険体系を作ることで、コスト削減につなげようという技量の持ち主。社会構造の大きな変化の中で「保険」の位置づけもかわって来ているのかも。資産運用という観点からしても。
ボクの人生。高校・大学。入学時にあわせて満期になる保険をこまめにかけ続けていてくれた母親の知恵でどうにか学費がまかなえていたことを記憶しています。


2006年7月13日木曜日

NHKの"天下り"

最近、民放のワイド情報番組にNHK出身のコメンテーターがよく出演しています。例えば手嶋さん。例えば池上さん。いずれもNHKの記者あがり。なんで、NHKを辞められてのかはわかりませんが、それぞれジャーナリストとして独自の活躍をされているようです。コメントもおおむね的確であり、別に異を唱えるわけではありませんが、ちょっと"異様"な気がするのです。民放も自社の解説委員やコメンテーターを育成しており、それなりに活躍されている人も見受けられるのですが・・・。コメンテーターといえば、新聞記者出身者もかなりいます。その解説には納得させられるところ大。民放が誕生してからもう50年余。テレビジャーナリストがどんどん輩出されて来てもいいと思うのですが。何かが足りないのでしょうか。
かつて民放が朝のワイドショーを始めた時、NHKのアナウンサーをずいぶん"引き抜き"ました。皆、好評でした。今もNHK出身のアナウンサーが民放で活躍しています。男女を問わず。NHKが人材育成にそんなに優れているとも思えないのですが。やはり「看板」は大きな価値をもつのでしょうか。
まさに「官」から「民」。そんな思いに捉われます。
ジャーナリストとしての価値が新聞やNHKと比べ、民放はやはりまだ低く見られているのでしょうか。
NHKの"顔"が民放の"顔"にー。どうも見ていて変なんです。僻みかもしれませんが・・・。


2006年6月1日木曜日

芸は身を助く・・・

今夜は磐梯熱海温泉の「華の湯」での宴会に参加してきました。余興あり。
かつて全国になを轟かせたある人のオンステージ。
いきなり女性の声色で登場。「私はゲイです」。さすが芸人。"つかみ"が上手い。森進一の物真似。美空ひばりの物真似で座を盛り上げてくれました。
途中で入ったシャベリ(MC)。「ボク忙しいんです。何が忙しいのかって、仕事探しに忙しいんです」。上手い!!!
ワタクシめにとっては、実感こもったギャグでした。笑いながらも心の奥底が伝わるギャグ。"芸"の世界はいいですね。笑う門には福来る。楽しくもあり、悲しくもあった宴会でした。考えました。芸人はいつまで経っても芸人。元気ならば金を稼げる。芸は身を助くーーーーああ、芸人に生まれてくれば良かった(自爆)。


2006年5月29日月曜日

「情けは人の・・・」

いきなり演歌。春日八郎で恐縮。歌っていうのは、突然浮かんで来て、つい口ずさんでしまうものなんですね。別に粋な黒塀を見たわけじゃないんですが^。多分、don爺の部屋で太地喜和子の話をしたからかもしれませんーーー。
昔、「お富さん」という歌が大流行しました。歌舞伎の"源氏店"から作られた歌。その二番の歌詞。
♪かけちゃいけない他人の花に 情け掛けたが身の定め 愚痴はよそうぜ お富さん♪というくだりがありました。「情け」といえば、この情けとはちょっと意味合いを異にしますが、「情けは人のためならず」という言葉があります。この言葉の意味が誤解されています。「情けをかけることが相手のためにならない、相手のことを思うなら情けをかけるな」。こんな意味にとられています。でもこれは間違った使い方。本来の意味は「苦しい、困った状況にある人に情けの手を差し伸べておけば、やがて自分がそういう状況になった時に相手から救いの手が差し伸べられてくる」という意味です。変なたとえですが、「情け」という保険、先行投資みたいな意味でしょうか。
いろんな人から「情け」を貰いました。にもかかわらずーー。まだ、何ほども恩返しが出来てない。そんな忸怩たる思いにとらわれています。♪せめて今夜は さしつさされつ 語り明かそよお富さん エッサオー茶碗酒♪。一人酒になったりして・・・。


2006年4月1日土曜日

年度初めのお仕事

 きょうは全国どこでも4月1日。当たり前か〜〜。入社式などもそこここで行われたとか。当店の年度初めのお仕事は講演。こいつは春から縁起がいい〜〜なんて思いながら一応無事に勤めてまいりました。
ある会社の月初会議のあとの社員全員参加の講演。お題は「企業の在り方、コンプライアンス・モラルハザード」。どういう話の展開にしようかと思い、冒頭に聞いてみました。「会社って誰のものだと思いますか?」。社長初めほとんどの人が「社会のもの」と言う項に手を上げてくれました。株主のもの、社員のものという項には回答ゼロ。なんだ、この会社、意識の上ではもう完璧コンプライアンス出来上がっているじゃないか。自分たちの会社が社会のものという意識を持っている限り、企業倫理の背くことは無いはずなです。企業倫理をモラルハザードなんて英語に変えて格好つける会社より立派な会社。だって、モラルハザードなんて言葉はもともと保険会社がリスク回避のために言い出した言葉でしかありません。コンプライアンスなんて横文字言わなくて法令順守といえばいいのにわざわざカタカナ使う会社こそうさんくさい。
企業倫理とは要は道徳、社会規範。倫理観。日本には脈々として受け継がれてきたそれらのものがあります。近年、バブル崩壊以降、「拝金主義者」が増え、なりふりかまわず金儲けを言い出した故に、こりゃ「やばい〜」と思って使い出した横文字。日本人は皆持っているはずです。正しい「武士道精神」。会津の「ならぬことはならぬ」の精神。
 国家の品格という本がベストセラーになっていますが、これも、日本人固有の道徳心を失ったことへの悔悟ゆえに覚醒のために読まれているのではないかと思うところ。企業の品格、社員個人個人の品格を高め、維持すれば、なにも横文字に頼る必要は無いはずです。
 こんなことを話しながら「先人の知恵に学ぶところ大」だと言いました。「古教井照心」。その"知恵"の一つに陽明学をあげて「知行合一」「苦楽合一」「良知」、この三つをどう解釈すればいいのかということを話してきました。道徳ということをわきまえていれば倫理違反もおこらないはずだし、危機管理も出来るはずなのだと。
 巷間、「会社は株主のものだ」と言って憚らないバカ経営者がいます。それも近代的企業、社会貢献企業だと言ってる会社に。「資本の論理が優先するんだ」と声高にいう社長さんなる人物がいます。最低です。その企業の社員はたまったもんではありません。社員は会社に愛情を持てません。そんな会社に一人の人間の一生を託しているのかと思うと悲しくなるはずです。
真剣私メの話をきいてくれている人たちの顔をみながら、ふと「悲しい会社」のことを思っていました。




2006年3月1日水曜日

女子アナウンサーの"卒業"

福島放送の夕方のワイド情報番組に出演していた看板女子アナウンサーが昨日で"卒業"しました。卒業というのは一つの業を終えることであり、彼女は今後ともアナウンサーという仕事は続けていくのであって、卒業という言葉は必ずしも正確な表現ではありませんが、契約期間満了ということで会社を辞め、新天地を目指して旅立っていきました。
青森県むつ市生まれ。長らく仙台でいわゆるフリーアナウンサーをしていました。縁あって3年前に福島へ。3年間、福島放送の"顔"でした。決して派手ではなく、落ち着いた雰囲気が視聴者の方々に好感をもって迎えられていたようです。昨夜は彼女の送別会。顔を見に行ってきました。泣きながらの別れの言葉ー。涙の中には悲しさとともに一つの達成感もあったかもしれません。いわゆる局アナ(社員アナ)とは違い、フリーというのは努力と実力がなければ、なかなか仕事がありません。だから仕事に対してはハングリーであり、手を抜きません。たった一人の女の子によっていろんなことを学んだ"社員"もいることでしょう。極言すれば、たった一人のフリーアナウンサーによって、その会社のイメージも変わり、その人が出ているということで、その番組を見てくれた視聴者も多いはずです。一人の女の子によって会社が支えられていたー。それが地方のテレビ局の一面です。福島生活3年の思い出を財産に、彼女は仙台に戻り、再び、フリーアナウンサーの仕事を探すことになります。一生アナウンサーをやりたい。それが彼女の「夢」なのだそうです。夢が叶うことを祈っています。
好きな言葉の一つを彼女に送ります。
  過去が咲いている今  未来の蕾でいっぱいの今


2006年2月4日土曜日

恵方巻き

きょうは節分。友人が「恵方(えほう)巻き」を届けてくれました。節分七福太巻きと記されています。節分の夜に、その歳の恵方(歳徳神のある方)に向かって目を閉じて願い事を思い浮かべ、丸かじりすると、商売繁盛、無病息災、願事成就。厄落としにもなるという習わしです。今年の恵方は南南東だとか。七福神にちなんで七つの具が入っている太巻き寿司、江戸時代末期に大阪・船場の商人によって始められた習わしということです。一時はすたれた習慣だそうですが、最近、コンビニが売り出して以来、全国的に流行っているみたいです。うがった見方をすれば、バレンタインデーのチョコレートと同じように海苔業者の起死回生の秘策という話も。あながち否定は出来ませんが、この際縁起をかついでみます。
別の友人は「一陽来復御守」というのを持ってきてくれました。金銀融通の御守りとか。今夜12時に、これは恵方の反対側、北北西の壁の高いところに貼るそうです。
ご利益があると嬉しいのですが・・・。
今夜は夜中まで寝るわけにはいきません。寝る前にお腹がいっぱいになります。帰りに豆撒き用の豆も買っていこうかな。
節分三点セット。♪今年はいいことありそうな♪。明日の朝はお茶漬けかな(謎)。


2006年2月3日金曜日

東雲

最近、東雲さんという人と出会いました。東の雲と書いてなんて読むか・・・。傍にいた若い人に聞いたら、知りませんでした。「しののめ」です。その人の出自は知りませんが、なんとなく良い苗字ですよね。芸名とかペンネームになりそうな。
東雲とは、東の空がわずかに明るくなる頃。明け方を言います。明け方に東の空にたなびく雲です。「篠の目」が転じたものといわれます。篠の目とは、古代の住居では明り取りのために篠竹を使っていたそうで、それが転じたともいわれます。
昔、こんな歌が流行りました。「東雲節」という歌です。歌手はさだかではありませんが、花柳界ではよく歌われていたようです。明治時代のヒットソングとか。
   ♪なにをくよくよ川端柳 焦がるるなんとしょ 水の流れを見て暮らす
    東雲のストライキ さりとはつらいね てなことおっしゃいましたかね
熊本にあった遊郭、東雲楼のお女郎さんたちが、待遇改善を求めてストライキをやったそうです。そのことを歌ったものだそうです。

東京の江東区には東雲という地名があります。これも昔、「東雲ゴルフ倶楽部」という東京都がやっているゴルフ場がありました。豊洲の埋立地に作られたゴルフ場。まわりはほとんど工場。煙突から煤が吐き出される中の芝生でした。実は、ここが、最初に行ったゴルフ場だったのです。白い球が、煤で黒くなっていくようなところでした。なにしろ初心者、いくら打ってもチョロばかりだったもんですから。
そこは今はたしか有明のテニスコートになったいるはずです。工場も煙を出していないし、高層マンションも立ち並んでいます。
たまたま出合った東雲さんの名刺から、昔を思い出してしまいました



2006年1月2日月曜日

戌年、犬談義

干支の中では何と言っても「戌」が人気のようです。年賀状には「愛犬」が登場しています。今までは登場してなかったのが・・・。可愛いイラストや写真。写真を見ては「あらら、この家にも犬が居たんだ」とびっくり。やはり世の中、ペットブーム、犬人気なんでしょうね。必ず名前が添えられています。アンジュ、チロ、ロン、ラン・・・。

犬と人間との付き合いは1万5000年前に遡るとか。犬はやはり最高の伴侶です。災害救助犬なんて、もう感動。犬は人間を助けてくれるのですから。
犬の思い出はたくさんあります。寝息の可愛かった子。いびきのうるさかった子。お土産をねだった子・・・。
我が家に今居るのは「澪」と「りょう」。この子(結構年寄りですが)たちは、人間をこき使います。散歩からはじまってメシや水。椅子の取り合いまで・・・。

自分の年だと言わんばかりに、鼻を得意げに突き出してきます。犬の鼻はなぜ濡れているのかー。伝説はノアの方舟。洪水から逃れる時、舟に開いた穴を鼻でふさいで沈没を免れたからというもの。ま、どうもイマイチですかな。

犬は鼻で空気を吸って口から出すそうです。犬は体温が高いので冷たい空気を鼻から吸って熱い体を冷やすとか。だから鼻が濡れているとのこと。体調が悪いと鼻が乾くのは、熱を冷やす機能が衰えているからだとか。

そんなこんなの「犬談義」。東京・渋谷駅前に座っている「忠犬ハチ公」の銅像前には例年に増して人が多いという話もありますが・・・。



2006年1月1日日曜日

年の初めに・・・

新しい年があけました。新しい年が始まりました。今年はどんな年になるのかー。少なくとも、ボクのまわりは平和で、穏やかな新年の幕開けでした。
 昨夜は"恒例"、紅白歌合戦を見ました。その一年、どんな歌が流行ったのか、いま歌はどんな世界になっているのか。集大成で理解するための"行事"にしています。さだまさしの♪広島の空♪に感動しました。込み上げて来るものがありました。2004年の紅白、「遥かなるメリークリスマス」に続いて。森山良子・直太郎母子の♪さとうきび畑♪、松任谷由美の♪smaile again♪。平和を希求するアーティストの心根に打たれました。歌だからこそ、音楽だからこそ伝えられるものがあるのです。吉永小百合が詩を朗読していました。
峠三吉の「序」。栗原貞子の「生ましめんと」。原爆を詠んだ詩を噛み締めました。
戦後60年の節目の年。番組のコンセプトが「平和への祈り」であると見て取れました。様々な歌手が登場した中、記憶に残る歌や演出があったのが救いでした。司会にものもんたの"舞台回し"には、それらの余韻をつなぎとめてくれるものはありませんでしたが。
 今朝、最初に見たテレビはベルリンフィルの「バッハのヨハネ受難曲」。サイモン・ラトルの指が導き出す荘厳な調べと合唱に、心を清められました。
音楽の力を再認識した去年今年―。
これらの映像と音を、デジタルハイビジョンで堪能しました。平和なのです。私たちの周りは。地球のどこかでは、いまその瞬間に"戦火"があるはずなのに。戦争を知っている人も知らない人も、それぞれ「平和」ということの意味はわかっているはずです。いまの平和を壊されたくない。平和が続いて欲しい。
そういう思いが、歌によって紡がれていくのでしょう。

戌年―。我が家の犬を連れて散歩しました。「お前の年だぞ」と言いながら走らせましたが、100メートルも走れませんでした。からだの老いを実感しながら、犬と歩いていられる"平和"を享受していました。