2015年7月1日水曜日

「窮屈」な世の中

あれはいつの頃からだったのだろう。“テロ”や“爆発物”の世間が敏感だったのは。

新幹線の駅ではゴミ箱がことごとく撤去されていた。
新幹線に乗ると車内アナウンスがあった。
「不審物を見かけたら車掌にお知らせ下さい」と。

車掌が何処に乗っているのかわからないけど、たぶんグリーン車の近くに車掌室というのがあった気もするけど。

座席に車掌の呼び出しボタンが設置してあるわけでもなかったけど。

「鉄道警察隊が車内を巡回します。ご迷惑をおかけしますがご了承ください」。そんなアナウンスもあった。
確かに屈強な二人一組の警察隊が車内を見回っていた。
仮にデッキに“不審物”があれば、誰の物かと誰何されていた。

今のように全自動改札で無いころは、車掌が必ず「検札」に車内を回っていた。
そんな光景が懐かしい。今も検札ではないが、座席の「確認」に車掌が回っている光景はあるが・・・。

とにかく、世の中不審物に敏感だった。
公共施設からもゴミ箱は撤去されたり、使用禁止の蓋がしてあったような。

“不審物”に敏感だったある時期・・・。
なんとなく「窮屈な感じ」のする世の中だった。

瀬川賢一と言う“不審物”は大手を振って歩いていたけれど。

マスコミが権力の側から、その報道を巡って「懲らしめ」の対象にされている。
気にくわないということで非難の対象とされる。
広告主にまで、圧力に加担しろと呼びかける。

なんとも「窮屈」な時代だ。それはかってもあったことだが。

自民党の二階総務会長は言う。「言いたい放題を言って歩いたらいいというもんじゃない」と。
百田や大西ら。これらは「言葉の不審者」だ。そしてその不審な言動は「確信犯」であるということ。
“不審”を見つけてもお咎め無しだ。厳重注意ってお咎めの中には入らない。

確信犯であるが故、注意しようと何しようと、中には「とりあえず釈明、お詫び」ってとってつけた言葉で逃げを打つが、それらの暴言はその人たちの思想、信条を反映して言葉として発せられたもの。
本質は変わるわけもなく・・・。
十分気を付けなさいって党幹部が言ったって、裏から“指令”が出ている。歓迎されている。

マスコミにとっても窮屈な時代なのか。まして、彼らの言動を支持する国民だっているんだし。選挙区の人たちだっているんだし。
東京16区の有権者が目覚めたって、「落ちた猿」はきっとわめきつづけるのだろうし。

「梅雨空に九条守れの女性デモ」って俳句を投稿したら公民館側はそれを忌避した。
「基地の空鳥は自由に沖縄忌」という句を詠んだら、イデオロギーの強いものはいかがなものかと世話役から批判された人もいるという。

普通の人が詠む俳句だって、自己表現だって「窮屈な思い」をさせられている。

窮屈な世の中。70数年前に十分に堪能させてもらっている。自由にモノが言えない。自由に好きな本も読めない。
「灯火管制」の一言で、家の中の電燈を消さねばならなかった時代。服装にまで気を遣っていたあの「窮屈」な時代、世の中。
隣組は告げ口の窓口だったという「唇寒し」の時代。

どこか似てきているような。

もはや「不審な老人」と化した瀬川クンが徘徊していますよ。時々「窮屈な思い」もさせられながらも。“バカ”を相手にするのもバカバカしいけど。

はい、1F構内での不審者チェックはまことに厳しくありますよ。

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