どうやら今の政界では「見切り発車」という言葉が飛び交っているらしい。
見切り発車。なんとも古色蒼然とした表現のようにも思えるが。
高度経済成長期、朝の通勤、通学ラッシュ時は主要な駅では「見切り発車」の連続だった。
なんとか時刻表通りに電車を運行したいとする側は、とにかく乗客を車両に押し込み、押し込み、押し込みしてやっとドアを閉める。
駅には大勢の乗客が残されてはいるものの、駅のアナウンスは「次に電車をお待ちください」と繰り返し、乗った車両のドアに顔をくっつけたまま。身動きすら出来ない車内。
わざとではないだろうが運転手が時々ちょっと強めにブレーキを掛ける。乗客は倒れそうになる。そしていさかか出来る隙間。次の駅でまた乗ってくる・・・。
降りるのも乗るのもまさに体力勝負だった時代があった。
路線バスも定時運行を心がけていたということか。停留所目指して走ってくる人がいるにも関わらず、見えるにも関わらず、ドアが閉まり発車・・・。まさに見切り発車だったっけ。走り去るバスの後姿を呆然と見送る時のあの悲しさ。
今はそんな混雑の光景はほとんど無い。駅のアナウンスが繰り返すのは「駆け込み乗車はお止め下さい」。
見切り発車に駆け込み乗車。庶民の中にあった光景が国会の中で、政治の舞台で幅を効かせている。その言葉を見聞きすると不謹慎だが「笑える」のだ。
丁寧な説明なんて出来ないまま、それはしようと思っても所詮無理なこと。
自民党のネットテレビで泥棒の話しに喩えたり、不良少年に喩えたりと、まさになんの例えにもならない類例を列挙している「ラッシュ」を知らないお坊ちゃまたち。
見切り発車で安保法制の、駆け込み提出の法制を強行採決で成立させようとする。
川内原発の再稼働もいわば見切り発車。
沖縄問題、辺野古移転も、それがアメリカの本音かどうかはわからないまま、まるで媚を売るような「作業の見切り発車」。
原発事故避難者たちの「帰還問題」も言ってみれば見切り。
そして国立競技場の問題も、異論噴出であるにも関わらず「間に合わない」と見切り発車。国立競技場という電車に乗る人の意志とは無関係に。
「見切り発車の安倍内閣」と名付けようか。
見切り発車には取り残される人が出るは必定なるにもそれへの忖度は無し。
安倍の「見切り」は「非情」へと通じる。
語呂合わせだが・・・。
見切り発車はするけれど身切り発車はしない。選挙制度改革。参院の10増10減。総数は変わらないってこと。
身を切る改革なんて言っていたはずの議員さんたちなのに。議員報酬だって元に戻すし。
見切りを身切りに置き換えれば、また「嗤える」。
身を切る、削るような生活をしている人達は大勢いるというのに。議席を失う恐怖感だけで論じられる選挙制度改革。
だからね、選挙制度は参院はすべて全国区、比例区にすればいい。衆院の真似をすることは無い。選挙制度改革だって、言ってみれば「見切り発車」の類だ。
政治家は国民を見切ることはたやすい。国民は政治を見切っていいのか。
ああ、また螺旋の森に迷いこんでしまうぜ。メビウスの輪だぜ。
2015年7月10日金曜日
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