今日は4年4か月の「11日」。その“国難”は隅に追いやられてように、この国の中枢ではわけのわからないことが進んでいる。
原発の各種事故調査委員会が設けられた時もそうだった。事故調や第三者委員会なるものが次々と生まれた。
そして、そこから出された“結論”は、大方、政権には「利用価値」が無いとして無視されているような感ありだ。
いつの頃からか。第三者委員会とか、有識者会議とかが言われるようになったのは。
学校の「いじめ問題」でもそうだ。学校も教育委員会も何かが起きると機能しない。第三者委員会なるものの手に“結論”や“審判”を委ねる。
下世話な物の言い方をすれば「他人に下駄を預ける」ってこと。つまり当事者が当事者能力を失い、解決の手段や原因を部外の人の手に委ねるという事。
都合が悪い憲法審査会での学者の意見は無視する。
最近目に余るのが2020年の東京オリンピックをめぐる混乱。
競技場建設をめぐる有識者会議って何なんだということ。
だいたい、有識者という言葉すらなにやら「うろん」ですらある。
少なくとも、政府が設ける、それが民主的な方法であるとする会議。そのメンバーは大方が政府の息のかかった人達だ。
隠れ蓑であり、統治能力を欠いたが故の他人任せの言い訳手段だ。
とりあえずは2520億円、その後の費用はまさに“青天井”のような。何を意味しているのかさっぱりわからない「キール型アーチ」からは青い空は望めるのだろうが。
こんなばかばかしい話って無いんだと思う。オリンピックというスポーツの祭典、スポーツ界の最大イベント。それを”利用“した政治的意図。
昨日の国会の安倍の答弁。「ザハド案は民主党政権時に出来たもの」。自分には罪は無いと言わんばかり。口裏合わせに麻生や菅が利用され。いた、かれらこそそう思っている輩なんだろう。
何でも悪いことは民主党政権時とする安倍の幼児性。すぐに自分の政権が出来たのだ。いくらでも直せたはずだ。それを是認して持っていった招致委員会。
あの時、演説する安倍の後ろのスクリーンにはあの奇怪なスタジアムの容姿があったはず。
あげく有識者員会なるもの。真相は不明なれどあの時の責任者の安藤忠雄は雲隠れ。森喜朗が取り仕切る。
よって、2019年のラグビーワールドカップに間に合わせるのが国際公約だと。
いやいや、元清話会がかばい合うおかしな論理の競技場建設。
責任逃れのよううな事ばかり言うのが当たりまえのような精神性。
オリンピック終了後は各種のスポーツ大会やコンサートなどのイベントに使用されるという。その収益で、屋根をつくり、“完成品”にするのだという。
福島にJビレッジというサッカー施設があった。もちろんカネの出元は東電だったが。
そこのコートの芝は立派なものだった。毎日、“グリーンキーパー”が手入れをして丹念に養生していた。
そこに革靴で立ち入ることは厳禁だった。運動靴に履き替えても歩き方に細心の注意を求められた。
その芝生は一夜にして、トラックやバスの駐車場に様変わりした。丹念に育てられた芝生は“車輪の下”となった。
Jビレッジ復活の動きがあるが、芝をサッカーコート、練習場に復元するには多額の費用や労力、年月が必要とされるだろう。
新国立競技場だって、サッカーに使用されるという。その芝の上に観客を入れてコンサートをやるってことなのだろうか。音楽に合わせて身を躍らせる観客。芝は踏み荒らされるのだろうに。門外漢の想像かもしれないが。
一旦出来た流れは変えない。将来の事は考えない。みんなで流れに乗りましょうや。
間に合わないというは土建屋の主張。それを鵜呑みにしての断言。
無謀な話を通していく有識者会議ってなんだい。有識者って言う人はどういう範疇の人なんだい。
アスリートと言われる人たちもどこか居心地悪いのでは・・・。
立ち止まって考える。それをやめてしまった人々の群れ。
2015年7月11日土曜日
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