今日は8月6日。日本人が忘れてはならない日の一つだ。広島に原爆が投下された日。そして9日の長崎、敗戦の詔書が読み上げられた8月15日。
8月15日を境に、日本は戦後の時代に入った。そして、民主主義という考えに基づく新たな体制、社会システムを手に入れた。
日本人に、どれほど民主主義という思想が定着しているのだろうか。その恩恵を誰が、どれほど受けているのだろうか。その価値をどれほどの人が認識しているのだろうか。
そして、戦後70年の今、それが軽々しく”否定される“のだろうか。
戦後日本の民主主義は、我々が、時には血を流してでもかちとった民主主義だったのだろうか。与えられた民主主義ではなかったのか。
かつて自由民権運動で、かちとった民主主義と、戦後の民主主義と言う感覚。
政治の側が、権力の側が、歴然と民主主義を否定し、崩壊させようとしている。
それになびく人もいる。
「民主主義とは何か」。もう一回、新たなテーマとして、我々は考えなおさねばならない時じゃないのかと。
少なくとも原爆投下は最初は伏せられた。隠されようとしていた。多くの犠牲者が出ていたにも関わらず。国策は・・・。
隠ぺい。それは民主主義の理念にあってはならないこと。しかし、原発事故後、国はさまざまな形で、事故そのものは否定できないまでも、それにまつわることを、国民に知らせるべきことをさまざま隠ぺいした。
隠す、隠ぺい。今も当然のことのように行われている。それがこの国の姿。
無意味な言葉の羅列が、その意味をなさない言葉の中に、真実を隠している。。目くらましをくらわしてくれている。
8月6日のヒロシマ。核廃絶を訴える日。過ちは繰り返さないと誓う日。
70年前の暑い8月の夏のこと。様相を様変わりさせた70年後の夏の今。日本人は変わったのか、変わってないのか・・・。変わっていないような。変わることを“拒否する”人たちがいるような。
原爆忌。去年の方が遺族代表の言葉含め、政権への抵抗があった。なぜか70年の節目の割には隔靴掻痒の感ある今年。
市長の挨拶も、どこか“遠い日の花火”のような。
安倍の挨拶。無意味じゃないの。核廃絶を言うなら、国会の安保法制論議で、核兵器も弾薬として輸送できるって見解はありゃなんじゃい。
非核三原則なんて言う人も少なくなった。核武装を真剣に言う人もありなので。
そうなんだな。広島も長崎も、彼らにとっては遠い日の花火なのかもしれない・・・。
あらためて、民主主義を考えることになった今年の夏。暑さとは別の「冷めた感情」ありなので。
2015年8月6日木曜日
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2 件のコメント:
出所おめでとうございます。
くれぐれも無理をなさらぬようお願いします。
のんびり、ゆっくりも時には大切だと思います。
mocchさん。
ありがとう。ぼちぼち行きます。
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