広島についで長崎での原爆の日。犠牲者を弔い、核兵器の廃絶を全世界に訴える日。
長崎の田上市長は、今年もそれを訴え、政府がすすめている安全保障法制に限りない疑念を表明した。
広島も長崎も市長による平和宣言。長崎市長は福島にも言及した。
「東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます」と。
福島はどうする。
少なくとも脱原発宣言があってもいいのじゃないかと。
近日中には川内原発が再稼働されるという。原発事故を体験していながら、なぜか隔靴掻痒の福島県と思えてしまうような。世界に向けての発信ってあっていいのじゃないかと。
なんか、70年目の8月に背くような動きの数々。
核兵器。法理論上はそれの運搬もあり得ると言う政府。しかし、総理大臣はそれをさせないと何の根拠も無く言ってのける権力者。
広島・長崎と官邸には大いなる隔たりがあると思えるのだ。
広島・長崎で語られる戦争。それは個々の人間の悲惨な物語だ。残酷な歴史だ。
出発点は「個」なのだ。
政治が語る戦争。そこには“死”もなければ、国民の犠牲もない。単に武力の行使と言う文字面だけの話だ。
戦争と言うものの「認識」が根本的に違っている。
田上市長は、また当然のことを訴えた。
現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます」。
穏当な意向表明だ。
それを聞く安倍の瞼は、自分に対して不都合なことを言われた時のいつもの姿。視線が定まらず、瞬きを繰り返し、挙句目を閉じてしまう。
眼をつぶるという行為は拒否の意思表示なのだ。広島でもそうだったように。
国会での「安倍語」を連発しての意味がよくわからない答弁のかずかず。そもそも、いわゆる、まさに・・・。
決まり文句の「だって総理大臣なんだもん」的言辞。
ここ数日、またも見ているような「真夏の世の夢」かとも。正確には夜の夢なんですがね。
2015年8月9日日曜日
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