2008年12月5日金曜日

郵便局長が死んだ・・・


郡山、日和田の郵便局長、佐藤裕志君が・・・・。驚愕、悲しく、ただ合掌。享年62歳。病名は肺がん・・・。


きょうは東京の病院へ向かっていました。電車の中で彼の訃報が。「局長が急に逝ったよ。今朝。見舞いに行ったら、奥さんが泣いていて・・・」。友人、Iからの知らせでした。余にも急な死。そうなんです。12月1日に裕志君からメールもらったばかりなんです。信じようにも信じられない。まさに茫然自失であり。


メール貰った日。朝、彼からの空メール。本文無し。「なんで空メールなの?体調はどうだい?」。そんな返事を書いたら、しばらく時間がたってからちゃんとしたメールが来たのです。そこにはこう書かれていました。


「黙っていて申し訳けありません。病名を聞いて、目の前が真っ暗でした。今、少しずつ元気になりつつあります。年賀状よろしくお願いします。Iサマにも話しておきました。メールもかなり疲れます。じゃ、また。頑張ります」。絵文字も交えたメール。


彼が肺がんで入院しているのは秘せられていました。彼が誰にも教えたくなかった。たまたま病院でI君とぱったり会って入院が判明。I君は時々見舞いに行っていました。I君を通して様子は聞いていました。


7月の咳が出てひどくなり、検査に行ったら肺がん。すでに進行していたらしく手術は無理。放射線と抗がん剤。髪の毛は瞬く間に抜け・・。人に会いたくない気持はよくわかります。I君を通して見舞いに行きたい旨を伝えましたが、そのうち、そのうちという伝言でした。入退院の繰り返し。そして・・・。


あのカラメールは何だったのか。いまだ不思議です。ちゃんとメールを打てた人がその4日後に逝くなんて。彼が病室で隠れて打った最後のメールだそうです。


彼やI君たちとは「不良仲間」と自称していました。不良の忘年会。不良の花見。不良の新年会。不良の納涼会・・・。6人ほどの仲間。ほんとの不良も居ましたが。仕事には人一倍熱心。郵政民営化では地方組織を挙げての反対運動の急先鋒。代々続いた特定郵便局長。


よく飲み、よく歌い、よく喋り・・・。年賀葉書はいつも彼に発注していました。かなりの枚数。お礼に赤い昔風の郵便ポストの貯金箱を貰いました。種銭に100円入れてもらいました。彼がしていたネクタイを数本取り上げました。ノーネクタイで帰しました。「あの、その、ほら」。そんな単語で会話が成立していました。


電車の中で聞いた訃報。乗換えを忘れてしまい・・・。信濃町について見上げた空はあまりにも青く・・・。眩暈が襲ってきました。空を見ていたら涙が出て、あわててサングラスをかけました。不良オジンって格好になっていました。


亭主が肺がんと告知されてすぐ手術して14年。先週、一応ーーて医者の話でCT検査。きょうはその結果を聞きに行った。聞きに行く途中で入った肺がん患者の訃報。医者にそのことを伝えました。言わないではいわれなかった。あっちはわずか判明から半年で逝った。こっちは何事もなく生きて空を見上げている。


メールの事といい、今日の日といい、なんっていうタイミングなのか。なんという悲しい偶然なのか。


亭主の検査結果は癌に関しては異常なし。老齢化による肺の老化現象はあるものの。あとは前立腺。多少の甲状腺、腎機能の低下・・。それも許容範囲での。


郡山に着いたあとの足取りはあまりにも重くあり。冥福祈ることしか出来ず・・・。人と喋りたくもなく。


癌を患っても大丈夫な人もいれば、まさかと思えるくらい早く逝ってしまう人も。彼も喫煙者でした。亭主も変わらぬ喫煙者。彼のことを想い、吸う本数が今夜は多いようです。彼の分まで吸ってやろうか・・・。


「今年は不良の忘年会出来ないかな」。そうI君に尋ねようと思っていたばかり。そんなに進行していて、そんなに急に逝くなんて。頑健そのものだったんです。6月に会った時は・・・。


あす、彼の局に発注した年賀葉書が届けられる筈です・・・。




 



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