2008年12月9日火曜日

野辺の送り

フォーン・・・・・。独特のクラクションの音を響かせたあと、遺体を乗せたリムジンは、よく晴れた冬空の中を葬祭場から火葬場へ出て行きました。きょうは友人佐藤裕志クンの告別式。日和田特定郵便局長の。野辺の送りの車列に手を合わせ・・・。


昨夜の通夜からきょうの出棺まで、心おきなく亡きがらと対面し、悲しい別れを終えてきました。


いい葬儀、告別式でした。祭壇のしつらえも定型版ではなく。どこか仰々しい祭壇ではなく。主役は故人。遺影がメイン。その周りを菊の花が囲み。〒のマークや郵便番号の7桁をあしらった花飾り・・・。型どおりの供物ななども供えられていない。見事な式でありました。


天台宗の僧侶3人の読経。いい読経でありました。別れを噛みしめる場としては見事だったと。


30数年の特定郵便局長生活。根っからの郵便局。弔辞も仕事柄郵便局関係者が多く。そこで漂ってくる政治臭。郵政民営化への批判。たしかにそれは故人を忍ぶよすがではあるのですが。そして故人も喜んでいるかもしれないのですが・・・。


相変わらずの弔電、弔電。一番先に読まれたのが国民新党からのもの。そしてまたまた選挙を意識してのか。参列者。議員さんの顔が・・・。隣の席の人がつぶやいていました。「いやだね、こいつら」。


式が終わってのお別れの場。あらためて棺が開けられ、最後の対面。祭壇の遺影と、棺に横たわる人の差。ガンんお怖さ。抗ガン剤の為せる業。身につけたスーツもネクタイも遺影と同じものだけに・・・。


泣き崩れる奥さんや年老いた母親。誰もがどんな形ででも遭遇しなければならない死。死、死、死・・・。決して割り切れない運命の法則。彼の死を自らに置き換えた時に襲ってくる暗澹たる気持ち・・・。身が震えます。


今頃遺骨は自宅に帰ったのでしょうか。暮れなずむ夕暮れ時は、余計に悲しさと寂寞の思いを募らせ・・・。今夜は彼への手向けの一献と・・・・。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...