亭主の事務所は郡山のメインストリート、さくら通りから二本北側に入った一歩通行の道にあります。その道は通称さくら北通り。赤木という町と清水台という町に挟まれた、かつては賑やかな商店街でした。有名な赤木の遊郭もあったところ。昭和20年代、30年代は女郎さんも数多く行き交い、賑わいをみせたところだったとか。
いつの間にか、この商店街から人がいなくなりました。少なくなりました。店も人も。さくら通りを避けた一方通行のいわば車の抜け道のようになり。ちょっと横に入れば閑静な住宅街なのですが。人もいっっぱい住んでいるんですが。
商店が建ち並んでいた頃は、通りを挟んで「さくら北通り商店会」というのがあったそうです。町内会とは別に。商店会でいろんな催し物をやったり、それこそ歳末には福引きとか・・・。
今残っているお店はお肉屋さん、喫茶店、蕎麦屋さん、魚屋さん、八百屋さん。ちょっと離れて酒屋さん、床屋さん、最近出来た小料理屋さんくらいか。花屋もあった、雑貨屋もあった、美容院もあった、寿司屋もあった、スナックもあった、ラーマン屋もあった・・・。
何時の頃からか「商店会」という呼び名を止めたそうです。替わりに付けた名前が「街路灯組合」。商店の灯が消え、夜ともなると真っ暗な通り。防犯上も良くないということで商店の人達がお金を出し合い、市役所に補助して貰って街路灯をつけた。今でも月千円が商売をやっている人達の負担だとか。
新参者だし、特に商売をやっているわけではないので亭主はもちろんその組合には加入していませんが、街路灯はつぃているものの夜はやはり暗い。人も通っていないし。
今夜、その街路灯組合の総会があるんだそうです。年に一回の総会。粛々と会計報告などの議事が進み、あとはこの町を守っている商店の人達の懇親会だとか。話題は往時を偲ぶんでしょうか。この先を嘆くんでしょうか。
「商店会」っていう呼び名には勢いや営みが感じられるけど「街路灯組合」っていうとなんか無機質・・・。呼称もさることながら、こうやって商店街が消えて行く。それが地方の、いや、都会でもそう。今の世の小さな町の有り様・・。
亭主の自宅近辺は街路灯すらありません。夜は真っ暗。家並みから漏れる灯りは遠く、車のヘッドライトだけがやたらまぶしい・・・。町内の合い言葉。「夜は怖い」。近くで一杯飲んで誰も通っていない夜道を歩くのも悪い気分ではないのですが。遠くには灯りを消さない町が遠望出来る・・・。蛙くんだけは住み心地良さそう。「岡田」って家は近所にはありませんが(笑)。