2009年10月8日木曜日

お医者さんの勉強会に紛れ込み

大宮のホテルで開かれた関東呼吸器研究会、チェストカンファレンスというお医者さんの「勉強会」に紛れ込んでしまいました。乱入ではありません。誘われて。医者以外に会場にいたのは多分製薬会社の人と亭主だけ。


チェストっていうとジムのチェストプレスっていうマシーンしか思い出さなかったんですが、そう、チェストとは胸。亭主もかつてチェストクランケだった。肺癌患者だった。その時の術後のケアを真剣にやってくれた先生のお誘い。痛みでわかった肺の腫瘍、術後もとれなかった痛み。希有な例だったそうな。勉強会聞いていてわかった。横隔膜神経に腫瘍が作用していたのではないかと。


症例検討会というのが第一部。いろんな症例の治療を3人のお医者さんが説明。それに対して質疑応答。驚きました。みなさん真面目に真剣に議論している。初めて見たお医者さんの内部。半分以上が専門用語でわからないとこありましたがとにかく勉強になった。先生達は皆真剣だ。


第二部が前述の先生の講演。埼玉医大総合医療センター呼吸器外科の菊池功次先生。「外科的医療の挑戦、セカンドオピニオンで手術を選択した症例」。例えば呼吸内科でリンパ節転移が認められた場合、大方は抗ガン剤治療。手術は不可能ってことになる。それをセカンドオピニオンとして、内科医が外科に相談して手術して成功した例の話。「あきらめない内科医、信頼出来る外科医」。その関係が、そうした医者の考えが肺癌患者を救う場合もあるという要旨。例え肺内転移であっても、手術は可能。手術をしてはいけないっていう明確な理由が無ければ敢えて手術に挑戦してみよう、積極的医療をというのが菊池先生の言いたかったことと。そしてそういう積極性、挑戦する姿勢を若い外科医に受け継いで貰いたいという彼なりの考え。講演の主題。


この講演の座長を務めたのが済生会宇都宮病院呼吸器外科科長の田島敦志先生。なんと亭主が入院時、まだ研修医だった人。今やこの道のベテラン。菊池先生の薫陶を受けた人。田島医師とは退院後原宿で一献傾けて以来の、それこそ十年以上ぶりの再開。堂々たる外科医。再会、嬉しいし、懐かしいし。


台風の予兆を感じながら後ろ髪ひかれる思いで郡山に戻ってきましたが、久しぶりに「勉強」したって思い。興奮と疲れ。バカ亭主は思う。「医者になりたかったーーーー」。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...