2010年12月27日月曜日

凋落するのか新聞は

新聞の発行部数が大幅に減っているという。2010年。5,000万部を割り4,000万部台へ。一年間で100万部の減。

新聞がつまらなくなったのか、必要とされなくなったのか、テレビが台頭したのか、購読料がはらえないのか。巨大メディアの凋落を見る思い。

新聞・テレビ・雑誌・ラジオ。広告収入低下の一途。経営難、経営難。とってかわるネット。新聞は読売まあまあ、朝日はその後塵を拝し。毎日・産経は・・・。

ニュースはテレビで見ればいい。ネットでみればいい。ネットも携帯で十分。そんなご時世。その日のニュースや出来事はそれで知るのだけで十分でしょうが。

まだまだ、というか、やはり。新聞でなければ果たせない役目がある。ネットでは見られない記事に意味がある。特集ものや企画物。十分な紙面を割いて書かれたルポ。今を考えるヒントを提供してくれるのは新聞と。

ツイッター含めネットの速報性は群を抜くし、テレビも然り。新聞社も勢いネットにシフトしているけれど。

新聞社も人材確保に懸命とか。テレビへの「天下り」もろくでもない奴だけ。ましな奴は大学教授などへ転身とか。

もし新聞が無くなれば。日本人の「知」はどうなるのか。繰り返すようだが新聞でなければ果たせない使命ありと。

新聞の凋落は日本人の「知力」や「考える力」の凋落につながりかねない。最早メディアの棲み分けは不可能になったのか。

そんな中、元日の紙面は各紙どんな記事や特集で飾るのか。それが来年一年間の新聞界の趨勢を占うことにもつながるかも。そして来年は購読料値上げもあるのかな。

新聞を世帯の半分もとっていないという現実。それも新聞人の自業自得と切り捨てるのはちと哀しいかも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...