2009年1月20日火曜日

政治家の言語力


国会は言論の府と言われています。民主主義の基本です。演説というのが政治家には要求されています・・・。政治家はどこかでは言葉によって国民を導いていかなければならないのです・・・。


きのう自民党と民主党の党大会がありました。マスコミは「異例の同日開催」とか「麻生は結束を訴え、小沢は転換を訴えた」とか「いよいよ政治決戦」とか。たしかに"事実"としてはそうなんですが。


テレビで見た両党首の演説。あまりにも無味乾燥。政策を述べたり、自説を披瀝しても何も伝わってこない。会場からも何の熱気も感じられない。何故か。彼らは紙を読みながら紙に目を通しながら喋っている。口を動かしている。マスコミは「麻生は俺たちという言葉を二回も使った」とか書いて揶揄するのが精一杯。小沢に至ってはほとんど原稿の棒読み。


全て、自分の言葉で語られていないのです。よしんばあれが自分の言葉だとすれば余りにも悲しい。


人の心を動かすのは言葉です。何を考えていて、この国をどう導いていこうとしているのか、目指す理想は何か。それが前提にあって、それのもとづいた政策が行われる。彼らが発する指導者、為政者としてのこころが国民に届けば、それを良しとすれば、個々の政策も受け入れられる。言葉で惹きつけるものがないから、出される政策にも懐疑的になる・・・。


熱く、力強く、人のこころに響く言葉で語って欲しかった。いささか脱線気味かもしれませんが、全共闘全盛時代、学生達がそこにのめり込んで行ったのは、強い力を持ったアジテーターがいたからかもしれない。リダーがいたからかもしれない。少なくとも言語力という意味では麻生も小沢も、リーダーではなく指導者でもなく単なる権力欲に操られる政治屋煮すぎない・・・。そんな印象だったのです。


なぜか。前後して伝えられるアメリカのオバマ新大統領の就任式の話題。オバマが大統領になったのはすぐれて彼の類い希な言語力にあったのでは。それをテクニックと言ってしまえばそれまででしょうが、過去一年間の彼の演説には人々のこころに届く言葉で満ちあふれていた。彼の言葉は希望を惹起させ、彼を戴くことをアメリカ国民はその言葉を聞いて良しとした・・・。


彼我の差であります。悲しいかな。「一国の国民はその器量にあった総理大臣しか持つことは出来ない」。古い昔の外国の哲学者の名言。


オバマの就任式にははかりしれない数の人々が、彼の「言葉」を聴きに集うといわれています。亭主も何を言うかに、ある種の期待感を持って20日を待っています。多くのゴーストライターや知恵袋が演説の中味を作っていることでしょう。それをオバマは完璧に自分の言葉として、言葉にして伝えることが出来る。多くの聴衆がオバマ演説に再び涙することがあったら、会場の議事堂前が歓喜の声でつつまれたら、アメリカ国民に嫉妬するかもしれません。


日本国民だって指導者の言葉を待っているのです。せめて言葉に救われたいと思っている人だっているはず。「政治家の言は信用出来ない」。そう切り捨てられているように思えるのが日本の現状なのです。



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