2009年8月7日金曜日

モザイク

裁判員制度による初の公判が終わった。この制度の是非を論ずるわけではないが、未だにどこか釈然としない思いを抱いている亭主。市民感覚を裁判の中に取り入れる。なら、裁判官や司法関係者が市民感覚を学べばいい。世間を勉強すればいい・・・。法に照らして、人を裁くことを職業としている人と、市民感覚の中で知らずに、意識せずに、思いだけで「裁き」をしてきた人達との差は・・・。


それはさておき、公判終了後に記者会見に臨んだ裁判員の方達。顔を隠すわけでもなく、自分の言葉で「感想」を語った。こころない輩がどこかに存在するこの世の中。いわば堂々と顔を出し、顔を見せた。素晴らしい人達だと。何らかの"不利益"あることも承知の上で。偶然ではあろうが、制度に叶う人達がたまたま選ばれたのかもしれないが。


制度の定着を目指す「当局」の様々な工夫、配慮もあったであろうが。顔出して記者会見するとは思ってもいませんでした。ネットを含め、「匿名社会」が蔓延してるこの時代に。


「責任を果たした」。そんな思いがあの方々にあったからでしょうか。顔の見えない世の中に顔を見せてくれたことへの敬意。もし、あの会見で裁判員の顔にモザイクがかけられていたら、それこそ裁判の信憑性にも感覚的疑念が湧く・・・。


そして思うのです。テレビにはなんであんなにモザイクが多いのか。モザイクをかけなければ話出来ないという"目撃者"がいるとすれば、そもそもテレビカメラの前に出てこなければいい。警察だけに話していけばいい。


モザイクを"武器"になんでも話を聞こうとするメディアにも問題あり。見ている方はモザイクがあればあるほど、その「中味」を見たく知りたくなる。


ニュース番組だけでなく、最早あらゆる番組、バラエティーにまで「演出方法」としてなのかモザイク、モザイク。


一括極論。モザイクは映像文化の堕落。


テレビの黎明期。映像で社会の真実に迫ろう。こうした気迫を持っていたカケダシテレビマン達と今日のテレビの差異・・・。


テレビ映像はいかにあるべきか。デジタルなどというハード論にうつつを抜かす前に、テレビ人は真摯に考えなくてはいけないと。


あの裁判員の人達の姿勢が、それを改めて教えてくれた。テレビに対するある意味"裁判"だったのかもしれない。自分に責任を持つという意味においても・・・。


余談。裁判員は70歳以上の人はなれない。今回の被告72歳。「キレた」老人。おしむらくは、被告に同情するとかそういうことではなく、キレル老人と同世代の裁判員がいて、そのことに言及して欲しかったなと。どこかで事件の本質、根底にある視点だとも思うから。



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