2010年12月31日金曜日

「錯覚」なのかと

大晦日。いよいよ今年も終わり。ご来店各位ありがとうございました。

今年一年、言葉で表すってのが流行っており。大体が漢字一文字ですが。世相みるに亭主は「錯覚」の一年だったと。去年の政権交代。これってやはり国民の「錯覚」だったのではと。そして政権を担当した民主党連立内閣。政治を知悉しない人たちが政治というものに、政権というものに「錯覚」しているのではと。小沢クンだって自分の力や立場を錯覚と。

今朝も新聞が伝えています。年越し派遣村は今年は無いからはじまって、失業者が280万人。

貧困、孤族、地域社会の崩壊・・・等々。人々の絆が無くなり、つながりが無くなり、孤独なひとが多く、無縁社会なるものが生まれ。

人は皆、さびしさを抱えて。年越しの孤独感に耐えられず自死する人も出るとも。

人と人のつながり。犯罪を起こした人も言う。ネットだけが頼りだとか。ネットでつながっているとか。子供たちの間ではメールのやり取りをめぐっていじめ問題にも発展するとか。

ネット以外に居場所が無いという人多し。ブログ書いたりつぶやいたり。それにレスがあってつながりを感じるという。

ネット。偽装のつながり、架空、匿名社会での。顔を見てのつながりではなく。見えない顔につながりを求める。人は人と相対し、顔をみて話すことで絆やつながりが生まれるもの。ネットでつながっていると思うのは絆の錯覚。

なんでもかんでも地域社会っていうけど、顔の見えない、会ったこともない町内会長、民生委員。地域社会なんてとっくに崩壊している。それを金科玉条の如く言うのは、村社会が存在していると思っている、いや無いもののせいにする一つの錯覚。幻覚。

完全にデジタル化していないのに、3Dテレビがどうとかこうとか。3D。単なる目の錯覚じゃないのかと。

あと数時間で今年も終わりかい。日付の錯覚であってほしいとも(爆)。紅白見ながらたぶん思うでしょう。なんだい去年と同じじゃないかと。ここでも起きる自分の錯覚。

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