2009年3月4日水曜日

事故もらっちゃいました

昨夜ー夕暮れ時。郡山駅前国道4号線。


亭主は右側車線を走っていました。やや渋滞気味の道路。自足は20キロそこそこ。


やにわに車の衝突音。左やや後方。車に衝撃。咄嗟、なにがあったか理解不能。瞬時のこと。左後方を見ると亭主の車に斜めに車が突っ込んでいる・・・。車止めて、渋滞かき分け歩道の上に申し訳ないが車移動。


ぶつかって来た車を傍に誘導・・・。車を降りて"戦闘態勢"(笑)。相手の車見ると年配のご婦人が3人。ただひたすら頭下げており・・・。


いきなりに右車線に変更しようとした。ミラーは見たけど直接目視せず。ほとんど真横にいる車は視界に入らない。車の死角による事故。よく白バイがやる摘発手口(笑)に似ている状況。


ひたすら「ゴメンナサイ」を連発するご婦人。きちんと和装に身を整えた人。怒る気力湧かない亭主。顔は恐かったと思いますが。なぜか冷静。警察に電話。相手の住所氏名、保険の有無確認。


亭主の車は左側のドア二枚が完全にへこんで、破壊されており。ドアは開いたんですが。やがて警察車両到着。現場検証。


昨夜の郡山、刺すような寒風。とても表で立っているのは耐えられない寒さ。相手の老婦人も着物の上にコート着てショール巻いてはいるものの寒かったでしょう。相手の車は右の前哨灯付近破損。道路に散らばるガラス等の破片。


「最近年取って眼がよく見えないんです」とか「うっかりしてました」とか「お忙しいのにゴネンナサイ」とか平身低頭の態。郡山の人でなく浅川町という離れた所の人。お茶のお稽古の帰りだとか。


通りすがりの人が見ていくー。知人も。どうしたんですか??って。


検証終わり。「ガラスの破片などは道路の脇に掃いてきたので持って帰ってくださいね」と警察。エコバッグ取り出し素手で拾うご婦人。手袋はめて手伝う亭主。そんな自分が変(笑)。年取って丸くなったのか・・・。


さてさて大変なのはその後であります。保険屋さんに連絡。車屋さんに連絡。昨夜から今日、今に至るまで。


相手の保険は損保ジャパン。連絡は来たものの、「今は忙しいので事故の確認作業は遅くなる」の一点張り。代車の手配も出来ない。


自走は出来たので家に持って帰ってきた車。幸い(?)亭主の保険に代車特約付き。それでやっと手配出来。それまでは事務所にも行けず・・・。


もらった事故でも、被害者でも、迷惑と損害は大きい。わかっているものの「運が悪かった」ってしか思いようがない。しかも相手の損保ジャパン。担当は個人の代理店。一人でやっているんでしょうね。さっぱり埒明かない。


「双方とも走行中ってことなんで100対ゼロってわけには行かないかも」。保険屋さんの弁。それはこっちの三井住友海上の話なんですが。なんら瑕疵がなくても被害はこうむる。


車社会の宿命なんですかね。


やっと借りた車はなんとエンジンスタートはカギでなくボタン。あらら慣れるかな。CD装置無し。おまけに禁煙車。


いろいろありますね。世の中。ついてない。その一語に尽きるかも。普通のサラリーメンやっていたら朝どうやって出勤したり保険処理にあたれたんでしょうかね。「無職」でよかった(爆)。だけど警察は聞きましたよ。「お仕事なんですか。勤務先の住所と名前は」って。一応何の役にもたたない名刺は渡しておきましたが・・・。サッカーの高原も先日自転車に突っ込まれた。新聞には「高原が交通事故」って見出し。もらい事故でも事故は事故か。有名人でない亭主。新聞に載るはずはないけれど遭遇した数人の知人。噂のタネにはなっているでしょうね。


損保ジャパンからは未だ連絡無し。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...