昔、「会議は踊る」という映画がありました。ナポレオン失脚時のウイーン会議。題名の由来。「会議は踊る、されど進まず」。
きのう行われた麻生君と鳩山くんの党首討論。会議ではなく「討論」ではありましたが。「言葉は踊る。されど進まず」って。どうということのないような討論。テレビ見ていましたが。気になったのは麻生くんがやたらと連発した「我々は」という枕詞。我々とは誰なのか。麻生内閣の閣僚なのか。自民党議員なのか。与党なのか。はたまた官僚も含めた政権全般なのか。「こう思う」という言葉の客体がいかにも曖昧。麻生太郎はこう思う、こう考えるというものが無い。我々といいう不特定多数の主語によってかえって言おうとしていることの訴求力が薄められてしまっている。鳩山くんも時々は「私ども」という言い方をしていましたが。数えてはいませんが「我々」のなんと多かったことか。
笑っちゃうのが「言葉は大事にしなくてはなりません」と麻生君が鳩山君を諫めた場面。この人だけには言ってほしく無かった(爆)。
政治的にみれば「党首討論」をやったということだけで双方それなりの意味合いはあったのかもしれませんが、中味は何とも薄っぺら。一分ですむところを三分もかけて堂々巡りのような、同じような言葉を脈絡つかずに喋る麻生君の日本語力。さすがに党内からも「回りっくどい」って評価されるありさまだし。
そして今朝の新聞。「激しい応酬」「対決の号砲が鳴った」「相手の非をつく激しい展開」・・・・。新聞だけみればどんなに凄い舌戦がかわされたのかと思ってしまう。テレビの中継からは全くそんな気配を感じられず。無理矢理記事に仕立て上げたような。文字だけが躍る・・・。
鳩山君が「友愛の政治」を語れば、麻生君は「理念では政治は成り立たない。100年に一度という経済危機に如何に対処するかが大事」と。そう、理念でメシは食えないけれど、政治家に求められているもの、宰相に求められるもの。それは麻生君の言葉を借りるまでも無く「国家100年の大計」であると。大言壮語といわれようとも「国家100年の計」を語る政治家がいなくなった。夢と希望を与えるような国家の在り方を語る政治家が。
昭和の歌謡史に名を残し、きのう亡くなった作詞家の石本美由紀さん。憧れのハワイ航路♪。歌は人々に希望を与えた。だからそんな歌は何時の時代になっても歌い継がれる。語り継がれる国家の夢、ありや。